2010-01-02

環境を考えるには構造認識が不可欠!『潮流5:失われた40年』

潮流シリーズの5回目、今回は『潮流5:失われた40年』について考えてみたいと思います。

ob_047.jpg
『フリー素材屋』より

この国債発行→バブル経済、そしてその後のバブル崩壊から経済危機に至る流れの全ては、市場拡大を絶対命題とする特権階級の利権維持およびその特権の維持と固く結びついた彼らのイデオロギーが生み出したものである。
~・中略・~
本当は、’70年、豊かさが実現された時、「市場は拡大を停止するしかなくなった」のだという現実を直視し、素直に『ゼロ成長』戦略を打ち出していれば、現在見るような経済危機に陥ることもなく、また国際競争力を失うこともなかったのである。
問題は、国債投入なしには市場を維持できないという事実、つまり自由市場など絵空事であって、現実には、国家市場(国家によって支えられた市場)しか存在しないのだという事実から目を背らし、「自由競争・自由市場」という幻想を捨てようとしなかった点にある。要するに彼らは、事実に反する(彼らには都合のいい)イデオロギーに固執し続けてきたのである。

では、エネルギー開発・政策という点ではどうであったのでしょうか?
物的豊かさが実現した’70年以降も、相変わらずエネルギーを消費し続けたのでしょうか?
エネルギー消費・自給率の視点からみてみたいと思います。
以下に一次エネルギーの供給実績があったので引用します。

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■エネルギー供給の増加と自給率の低下

70年前後までの高度成長の後、石油ショックもありエネルギー消費が落ち着いたのが、80~85年くらいからまた増加し続けているんです。
これは、上記のバブル経済=バクチ経済の時期に重なります。
つまり国家の輸血資金で我々はエネルギーを消費していたのです。

これは、以下のグラフからも読み解けます。


energySupply.gif
『コモンズ的アプローチによる環境問題解決』よりお借りしました


また、大まかに見ると、戦後一貫してエネルギー供給は増えるのとは逆に、エネルギー自給率(※原子力は輸入扱いとする)は低下の一途をたどっているという、もう一つの事実も浮かんできます。

’70年までは戦後復興の中、市場・物的供給に資金をつぎ込んできた結果と言えますが、むしろ問題となるのは、物的豊かさが実現された’70年以降においても、物的供給・市場維持に投資し続けると同時に、新エネルギーの開発が進んでいない=「開発に投資できていない」ことを示しています。上記の「バブル経済に輸血資金」の投資もその一例です。

この世には、医療だけではなく、農業や介護や新資源・エネルギー開発、あるいは「なんでや露店」のような社会活動etc、市場には乗り難い(ペイしない)が、社会的に絶対必要な仕事(or活動)がいくらでもある。市場に資金を注入するなら、すでに飽和状態に達した物的生産ではなく、あるいは福祉と称して単なる消費者にバラ撒くのではなく、市場ではペイしないこれらの類的生産を刺激or支援する方向に資金を注入することもできた筈である。

日本の最終エネルギー消費とGDPの推移
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『資源エネルギー庁』よりお借りしました

上記のグラフを見ても分かるように、日本の省エネ技術は最先端を走っているが、それでもなお、現在のエネルギー消費は、豊かさが実現されていた第一次石油ショック(’73)時の約60%以上も増加しています。
特に民生部門、輸送部門の増加は著しくなっています。

このあたりは、今後、個別の部門の内訳を詳細におさえていく必要はあると考えられますが、民生部門においては、共同体の解体が進み世帯数が増加していることが考えられますし、輸送部門については、海外との貿易等の増加、もっと言えばエネルギー自給率及び食糧自給率の低下から輸入・輸送が多くなっているのではないでしょうか。

また、産業部門のエネルギー消費量が変わっていないというのも、省エネ技術の進歩を考えると’73年以上に過剰な物的生産を続けている証拠だとも思われます。

物的需要(の喚起)から類的供給(の喚起)へと舵を切っておれば、日本経済はバブルにも経済危機にも陥らず、次代をリードする国家市場を実現し、世界にそのモデルを提示し得た筈である。
しかし、特権階級は「市場拡大を絶対」とするイデオロギーに固執し、900兆もの資金を市場に注入し続けてきた。これは、彼らが己の特権とそれを支えるイデオロギーにしがみ付いてきた結果であると云うしかない。

彼らには、この失われた40年を総括して、せめて「自由競争・自由市場など幻想」であり、「現実には国家に支えられた市場しか存在しない」のだという事実くらいは、素直に認めてもらいたいものである。それさえ学習できないのなら、この失われた40年は全く無駄になる。

貧困という生存圧力が絶えず生じていた時代においては、飢え=貧困の克服こそが万人に共認された課題であり、全ての人々は私権に収束していました。つまり物的供給を促進するために市場拡大へと資金投入が進み、エネルギー開発や環境問題等は二の次になっていました。

しかし、豊かさが実現された’70年以降、心底では私権への収束力は急速に衰えます。この
私権意識の衰弱こそが市場の縮小ですが、『市場拡大を絶対命題とする特権階級の利権維持およびその特権の維持と固く結びついた彼らのイデオロギー(「潮流5:失われた40年」より)』によって’70年以降も一貫して市場拡大=自我・私権拡大にに資金を注入し続けてきました。

つまり、市場拡大に資金を注入することで、エネルギー供給量の増加≒自給率の低下を招き(何の政策も打ち出せず)、結果、諸外国に対する依存度を高め、国際競争力を低下させていったのです。

そのように考えると、新エネルギー開発や環境問題などは現市場の枠外にある可能性が高いように思われます。
次代のエネルギー・資源とはどのようなものなのでしょうか?
明日へと続きます。

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コメント1件

 ヘンプヒルズ | 2010.12.09 15:19

具体的な事例でわかりやすい記事ですね☆
小水力発電の可能性を感じました。ありがとうございます。
特に山からの湧き水がある農村・田舎は、非常に可能性があり十分自給エネルギーになりうると思います。
一方で、街中・都会では、難しいのかな?
それとも、雨水都市下水路を利用した小水力発電も考えれるのでしょうか?

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