2019-08-29
脳回路を解く(14)~・意欲と追求力を上げるには?・~
江戸時代までは、「記憶」という言葉はあまり使われていなかった。「記憶」という言葉が、これほど重視されるようになったのは、明らかに学校制度→試験制度ができた明治以降のことである。つまり、「記憶」重視は、試験制度という取るに足りない下らない制度の結果でしかない。
ことを見てきましたが、学校制度、試験制度の弊害はこれだけではありません。
本来の脳の使い方ができずに、意欲も追求力も奪われているのです。
脳回路を解く(13)~・記憶ではなく把握機能・~
『脳回路を解く(12)~・脳回路の推定モデル・~』では、把握機能(把握(認識)の二元化と類型化)と潜在思念から生み出される構造認識の仕組みを推定してきました。
一方、自転車のように身体の様々な能力を使って体で覚えた技術は「長期の記憶」として保存されます。長期の記憶の利点は、一度身についたら一生忘れないところです。たとえしばらく自転車に乗っていなくても、幼少のころに何度も練習をして習得した技術は専用回路に入っており、確立された運動回路や言葉回路は永久に消えることがありません。
では、過去の経験や出来事はどうやって覚えているのでしょうか。
(さらに…)
電気的宇宙論のススメ7~惑星軌道は重力理論より電磁気学の方が説明しやすい
近代科学は自然現象を物理学、地質学、生物学とバラバラに説明してきた。そのため、様々な矛盾を孕んだままである。下記の記事は、重力理論をベースに置く宇宙論では惑星の軌道が説明できないが、原子核の周りの電子軌道と惑星軌道を相似形であるとみなせば、理解できるとする分析を行っている。自然現象は原子核から、DNA、地球生態系、惑星系、銀河系に至るまで、螺旋運動の相似形をなしている。そしてその最小原理は原子における電子と核の関係だ。つまりは電磁気理論を根幹におくことで、統一的に理解できるのだ。(なお電磁気理論の更に本質部分は佐野千遥教授が単極子理論として解明している)
惑星軌道と電子軌道が相似形であるという指摘は物理現象の本質を理解する上で重要な事実の一つだ。
脳回路を解く(12)~・脳回路の推定モデル・~
構造認識は、大脳中枢の外識→内識をフル稼働させて照準を絞り込むことによって生み出される。その際、大脳中枢→大脳(専用回路)→連合野を何度も反復させて絞り込んでゆくが、そのサイクルを駆動させるのは連合野ではなく大脳中枢である。つまり、潜在思念が何らかの可能性を感取しない限り、連合野発でどれだけ追求しても、使える構造認識は生み出せない。
一方、生物が生きていくためには把握機能(把握(認識)の二元化と類型化)は不可欠で、把握スピードで生死が分かれるように、スピード力も一つの課題となっています。
では、この把握機能と、潜在思念から生み出される構造認識とはどのような関係になっているのでしょうか?
宇宙も原子も、電磁気力で回転しながら二重螺旋の動きをしている
古代より、なぜ接することなく空間を隔てて物体間に力(遠隔力)が働くのか探求されてきた。それは西欧では、古代ギリシャの「原子論」から2千年後の17世紀に「万有引力」にゆきつき、20世紀の「量子論」を経て今日に至っている。
コペルニクスにはじまる宇宙像のパラダイム転換(地動説)は、ケプラーの観測を経てニュートンの万有引力を導き、そこから近代科学の体系が始まった。近代科学(西欧科学)の出発点は万有引力の概念化・数式化にあり、現在の宇宙論そして素粒子論の礎(基盤)になっている。
しかしここにきて、地球の最深部の内核は質量の重い鉄などで構成されておらず空洞(リンク)、太陽の重力と惑星の遠心力は釣り合わず惑星は軌道上に留まることができず銀河の回転はおろか太陽系の公転も説明できない(リンク)など、重力理論には大きな瑕疵があるとする説が登場していいる。そして、地球で働く遠隔力は重力ではなく「電磁気力」であるという説(リンク、リンク、リンク)が登場している。
原子の陽子と電子も、宇宙の太陽と惑星も、一様な磁場の方向に回転子ながら二重螺旋の動きをする。
宇宙も生命も原子の世界も電磁気力の世界であり、重力の概念を見直す必要があるかもしれない。
以下、「天文学は間違いだらけ」より引用します。
近代(現代)科学はまるでマンガ!宗教と全く同じ”唯一絶対の不変真理という思考”で貫かれている
一般的に自然科学とは自然の背後にある原理原則や法則を導いたものであると認識していますが、近代(現代)の科学というのは実はその真逆を向いた思考であることを前回のエントリーで明らかにしました。
>「現象の何でそうなるのか?には一切触れず、ただひたすら、現象を定量的に数学で表現するようになった」。近代科学の特徴はこれに尽きます。
>現象をひたすら数学に置き換え、その数学とは、ひたすら抽象化=非現実世界に傾斜していく思考的欠陥を持っているということなのです。
ひたすら抽象世界、つまりは非現実、空想の世界にのめり込む思考。
このことを端的に指摘している記事を引用します。
★ 近代(現代)科学は自然をありのままに見ているのでは無い!まるでマンガのようなもの
以下、破壊学事始さんより引用
『現代科学はマンガだ!』
一般には、自然界の背後にある単純な法則を導き出すのが、自然科学と考えられていますが、これは間違っています。自然は数学で記述されるべきだ、というピタゴラス主義です。科学以前の宗教、思想です。
実際の自然は非常に複雑な現象です。このブログでは、自然現象の複雑さを考えてきました。たとえば、宇宙と地上の重力は違います。地上の重力は、地球内部の構造から発生する電磁質量であることを説明しました。電磁質量から宇宙空間の電気引力・斥力に変化する仕組みもあります。質量が重力を生む、という単純な仕組みではなかったのです。それを単純化して、数式で表しているのが現在の科学です。重力は互いの距離の二乗に反比例するとしています。これは、自然のマンガ化です。ディテールを捨てて、自分が見えている部分だけを取り出した戯画といえます。
歴史を見ると、同じマンガ化が何度も行われてきました。ファラデーは電磁気に関する実験からたくさんの法則を得ました。それを数式にしたのはマクスウエルです。しかし、マクスウエルの導き出した数式にファラデーは大反対しています。ファラデーの考えていた電気力線は、途中で中和するものではありませんでした。プラスとマイナスの電気力線は途中で中和することなく、対象に届き、物体内部でベクトルが合成されます。また、電界と磁界は交換可能な関係ではありません。電界の変化は磁界を生みますが、磁界の変化は、周囲にある荷電粒子を動かすことで電界の変化になるのです。マクスウエルは数式にするために、ファラデーの実験結果を捻じ曲げてしまったのです。
ニュートンも同じことをしています。17世紀、天文家は惑星同士がなぜぶつからないかを考えていました。天空で奇妙な運動をする惑星は、不思議なことにぶつかりません。また、飛び去ることもありません。惑星には、互いに引き合う力と反発する力があることが、当時の天文家の間では知られていました。ところが、天文観測の素人であるニュートンは、惑星の運動を数式にするために反発力を無視してしまったのです。引力と反発力を入れると3体問題になって、当時の数学では扱いきれなくなるからです。ニュートンの万有引力は発表してすぐに受け入れられたのではなく、100年間に渡って批判されました。カントはニュートンの万有引力では、宇宙はひとつの塊になると、星雲論で指摘したのです。ケプラーは観測から惑星の運動が楕円ではなく、螺旋であることを知っていましたが、これも、数式に直すことが出来ないため、無視されました。
光の速度を正確に測れば、そのつど光速が微妙にばらつくことが知られています。精度を高くすればするほど、ばらつくのです。これは光が空間ではなく、周囲にある空気分子を媒体にしているからです。気圧が変化すると光速も変化するのです。このような実験結果を無視して、光速は不変だとされています。重力波の観測も、デジタルフィルターを都合よく変えることで得られた信号を見ています。地震波による地球内部の構造もデータに都合のよい「重み」をつけられた結果です。
私たちの科学は自然をありのままに見ているのではないことに気がつくべきでしょう。
(引用ここまで)
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私達が事実として信じて疑わなかった、近代(現代)科学は、自然をありのままに見ているのでは無く、まるで”マンガのようなもの”だったということです。
そして、良く科学と対比的に扱われる宗教ですが、実は同じ思考で貫かれています。これまでの思考様式そのものが欠陥だらけだったということなのです。
★ 宗教と科学は唯一絶対の不変真理という思考で貫かれている
宗教と科学は唯一絶対の不変真理という思考で貫かれているより引用
宗教と科学は、地動説か天動説かのように対比的に語られることが多い。宗教裁判にかけられたガリレオにしろ、火あぶりになったブルーノにしろ、万物の創造者であり世界の中心である神(聖書)に対し科学の立場で異を唱えたのが科学者だ、と対立的な構図で捉えられがちだ。
しかし、ニュートンもガリレオもコペルニクスもギリシャ哲学のピタゴラスも、西洋の科学者は全て崇敬なキリスト教信者であり、彼らは神の創造したものを解読することが科学だという視点で一致している。神の言葉、創造物を否定する意識は全くなく、むしろ神の存在を所与のものとしその啓示に迫ることが彼らの科学だ。
ガリレオは数学を「神の創造物を解読するための第二の聖書」と言っており、神の創造物だからこそ、美しいものであり単純であり明快なものである、という思考のベクトルが前提の認識として働いている。(=オッカムの剃刀) 万物の対象は複雑に関係し常に変化しながら調和しているが、そのような変化を一切受け入れない唯一絶対の不変真理とするスタンスが数学の世界だ。それは、とりもなおさず、現実を対象化せず非現実の世界を言葉化した神=旧約聖書を絶対不変の真理とする排他的思考と全く変わりはないのである。
現代の科学はそのドグマから抜け出せず思考を停止しているが、実は近代科学は最初から進化ではなく滅亡のベクトルを刻印されているとも言える。
(引用ここまで)
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>現実を対象化せず非現実の世界を言葉化した神=旧約聖書を絶対不変の真理とする排他的思考と全く変わりはないのである。
の指摘の通り、近代(現代)科学とは非現実=神を対象とした宗教と全く同じ思考だったということです。
★ 事実を体系化するには?
この思考的欠陥を総括し、事実を体系化するには、かなり昔にエントリーした
素人が創る科学の世界~プロローグ『科学的認識はすべて仮説、その神格化が創造の壁』
がヒントになると思っています
>観測事実は非常に簡単な事実の一部です。そして、ここには神格化や固定観念が入り込む余地は、ほとんどありません。しかし、仮説の方はそれらが入り込む余地があり、とりわけ近代科学は、キリスト教やデカルトの主観主義(自分の感覚が絶対という意味)や近代個人主義などの思想に大きく影響されています。
そこから抜け出すにはどうすればいいのでしょうか?
まずは、観測事実はどこまでで、仮説はどこまでなのかを鮮明に峻別すること。そして、神格化や絶対視の起こりやすい仮説論理については、それが生まれた時代背景や思想的背景をもとに違和感を鮮明にすることが重要です。
>客観主義などという頭の中だけの架空の論理には見切りをつけ、主体と対象を可能な限り一致させ、対象に肉薄していく思考法である同化思考に徹することで可能性は開けます。それは、事実をありのまま捉えることと同義です。この方法だと、現実対象に限り無く近づくことで、現実課題を突破することが出来ます。
このように事実に向き合い、事実認識の体系化を構築していくことがやはり急務なんだと思います。
脳回路を解く(11)~・構造認識と大脳連合野・~
哺乳類の進化の過程で、霊長類に進化する種が現れます。
ニホンザルやチンパンジーなどの祖先にあたる霊長類は新皮質がさらに発達して大きくなり、『連合野』が出現し、より高度な認知や行動が可能となりました。
連合野の発達はヒトの進化における重要や領域の1つです。霊長類の脳は連合野のみならず、感覚野や運動野も複雑な機能を担うようになりました。こうした霊長類が獲得した情報処理機能を土台として、後にヒトの脳が誕生することになります。
どのように進化していったのでしょうか?