2020-12-31

何故『自然界で実際に起きていること』を近代科学は認めようとしないのか2

61vPC8kW40L近代科学の問題点は、西洋思想の問題でもあり、唯一神が自然を支配するとする一神教の問題でもある。

写真は2014年のものだが元素転換のフロンティアについての著書

正月休みの間に読んでみたい一冊。
リンク より引用

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<人、自然、神の分極~人類の近代化>

古代、まだ科学も哲学も宗教も芸術もあらゆる「智」が一つだった頃、自然界とは人知を超えた無限に深遠なものであり、それを人の手でコントロールしようとすることなどバカげていると思われていました。

ところが、時の支配者が自然界の営みを唯一の神の手によるものであると説明するようになり、それを強要するようになると、人々が自然界に対して抱いていた畏敬の念は唯一の神に対するものへとすり替えられ、本来季節の変わり目などの、自然への感謝や祈りの祝日だったものも、経典上の登場人物の記念日などに置き替えられてしまいました。

それらの宗教は、世界を神の支配する人と、人の支配する自然界の上下関係のピラミッド構造であると教えました。また、世界を絶対的な何かと何かとの対立であると教え、万象を善と悪に、人々を信者と非信者に、あらゆるものの間に境界線を引き、人と自然、人と人とを切り離し、人生のあり方を自立から依存へと変えてしまいました。

宗教は、死後の世界やこの世界(宇宙)の仕組みなど、誰にも確かめることのできないこと、つまり間違いを指摘することのできないことを真実として捏造し、失うことを恐れる人々の無知に付け込み、神(教祖)に従順な人々をつくります。

人が「誰にでも証明できる確かなもの」を求めるようになったのには、そんな宗教による支配や搾取の歴史背景もあるのかもしれません。 政治(法律)と宗教(神の教え)が結びついたとき、大ウソを堂々と民衆に強要させ、生活をコントロールすることなどたわいもないのです。

<木を見て森を見ず>

あらゆる“近代的なもの”の抱える欠点は、“木を見て森を見ず”の一言で言い表すことができます。目先のおびただしい数の問題に気を取られて、それらが全体として抱える根本的な問題点や解決法を見出せずにいます。

僕らはこの世界が、無数の独立して存在する、個別のものの組み合わせで出来ていると教わってきて、無意識にそういう目で物事を見てしまいます。ところが実際には、個別のものは全てが繋がっているために、それぞれが別々に存在しているのではないのです。

木の本性は森であり、森の本性は木なのです。この『個は全であり、全は個である』という全く当たり前の世界観を取り戻すことで、旧くも新しくもない本来の時代へと、いつでもどこでも誰にでも踏み出すことができるのです。 自分の体、人生の本性が宇宙全体であると気づくことで、すべては無くなり、すべてが現れるのです

List    投稿者 tutinori-g | 2020-12-31 | Posted in G.市場に絡めとられる環境問題No Comments » 

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