環境保護運動に隠された正当化観念2~ラテンアメリカ:金貸し支配編~
環境保護運動に隠された正当化観念2~ラテンアメリカ:植民地時代編~
では、ラテンアメリカが、スペインに支配されるまでを見てきた。
その後、独立を果たした、ラテンアメリカはどうなったのか
今回は、その後をお届します
今回の鍵は、この人
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“相互不干渉”に隠された本当の目的:アメリカによる支配の始まり
このように、スペインの植民地となったラテンアメリカ(ブラジル付近はポルトガル)だが、欧米勢力図が変わると共に、その支配体制も変化してきた。
◆欧州
1789年:金融資本勢力の後ろ盾によりフランス革命がおこる。
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1803年~15年:新勢力としての市場国家フランスと旧勢力の欧州諸国家(スペイン、ロシア、ポルトガル、プロイセンなどとの戦争が続く。
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結果として中南米諸国を支配していたスペインの影響力が低下した。
1804年 ハイチがフランスから独立
1811年 ベネズエラがスペインから独立
バラグアイがスペインから独立
1816年 アルゼンチンがスペインから独立
1818年 チリがスペインから独立
1819年 コロンビアが独立宣言
1821年 ベネズエラがスペインから独立
1825年 ボリビアがスペインから独立
1828年 ウルグアイが独立
ウィキペディア
この独立を支援し、新たな支配国となったのが、アメリカと、そしてそれを裏から操るイギリスであった。
1823年、第5代アメリカ大統領ジェームス・モンローは、年次教書演説で、ヨーロッパ-南北アメリカ間の相互不干渉を打ち出した。所謂 モンロー主義 である。
これにより、ラテンアメリカは独立は果たしたものの、事実上、アメリカ合衆国の支配下に置かれることとなった。
ここで、さらに儲かる国がイギリスである。
元々植民地であったラテンアメリカの国々は、独立しても経済構造は簡単には変わらず、入植者による大規模な農業生産が中心で、工業は未発達のままであった。
そこで、農業と工業生産物を輸出し、海外で作られた安価な工業製品を輸入する。
当時、産業革命により、世界の工場となっていたイギリスにとって、自国で植民地として抱えこむよりも、売りつけ先市場とした方が得となる。
相互不干渉とはいっても、それは植民地支配においてのことであって、貿易であればなんら問題ないというわけだ。
当時のアメリカの中身は、実質、イギリスの金融資本家達とイコールである。
つまり、イギリスとアメリカが結託をして、ラテンアメリカを支配する構造がここに誕生した。
現代:形を変えてなお続く搾取構造
そして現代は、国連主体のもと、環境保護、人口抑制の名の下、先進国に搾取される構造は、現在も変わらない。
「持続可能な開発」とは(1) ~「環境と開発に関する世界委員会」より
「持続可能な開発」とは(2) ~「環境と開発に関する世界委員会」より
アフリカ同様、先進国が、発展途上国を様々な形で搾取し続けている構造は変わらないのである。
この現在も続いている構造は、昔ならば、目に見えやすい植民地という形で存在した。
それが今は、『環境問題』という、キレイな言葉で飾り立てられているだけであるということには変わりはない。
今も昔も、全ては、欧米の金融資本家達の利益のために、巧妙に仕組まれていることなのである。
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