『水資源』の危機!!どうする?⑪:3.水資源危機の原因は?1)豊かな生活→市場拡大第一
これまでのシリーズから、
■工業生産の拡大
■農業生産の拡大
■人口増加
■都市化
が、水資源の危機の直接的な要因として挙げることができますが、これらは全て『市場拡大』とつながっている問題です。
そこで、 「何で市場が拡大していったのか?」そして、 「市場拡大とこれらの関係はどうなっているのか?」を歴史を遡って考えてみたいと思います。
【現代の「水資源の危機」に関連する年表】
よろしければ、ボチッ とお願いします。
■最も効率的に利益を上げる方法は、略奪と騙し
【GDPの歴史的推移】 『社会実情データ図録』より引用
このグラフは、西暦1年からのGDPの歴史的推移のグラフである。
これを見ると、世界のGDPが漸増する中で、西欧の先進諸国は、17世紀以降の対世界倍率が急伸し、19世紀には2~4倍、米国にいたっては1950年以降は4倍を越える生産性があったことが分かる。
生産性とは、簡単に言えば「どれだけ効率的に利益を上げるか」ということだが、世の中で最も効率的に利益を上げる方法は何か?
それは、 略奪と騙しである。
実は、西欧諸国は中世からそれらの手段を使って、高い生産性を確保していたのだ。
中世の西欧諸国では、繰り返される十字軍と当時ユーラシア大陸のほぼ全域を支配していたモンゴル帝国の保護により、商人が台頭。
15世紀中頃から17世紀中頃の大航海時代には、国家と商人が結託して『新世界』で武力による略奪を繰り返して植民地にし、植民地の資源と労働力を只同然に手に入れて、価格格差を利用した騙しの交易で富を蓄積していったのである。
(ちなみに、高度成長期における日本の生産性の高さは、勤勉性とものづくりの技術力によって付加価値をつけて売り、価格格差を享受してきたもの。)
■市場拡大とは、工業生産が原動力となって国家→商人→大衆へと快美欠乏が拡大再生産されること
こうして得られた富は、国家ばかりではなく商人にも蓄積され、これにより当時身分の低かった商人にも私権(*「注」)獲得の可能性が広がり、より快適に、便利に生活したいという『快美欠乏』が増大していった。
当時人気を集めていたのは柔らかく、軽くて暖かい綿布。
そこに英国の商人が目を付け、植民地で搾取した綿花を原料に大量加工して儲けようとしたのが産業革命だった。
産業革命により工業生産が登場することによって、新たな商人として産業資本家に富が蓄積される一方、工場労働者が都市に集まることで都市での市場が拡大、市場のおこぼれを享受する新たな消費階級が登場し、『快美欠乏』が増大していき、さらに市場が拡大していった・・・・・・
つまり、市場拡大とは、国家→商人→大衆へと『快美欠乏』が拡大再生産されていく過程であり、その原動力が工業生産だったのである。
*注:私権とは、「私権とは、私的権益あるいは私的権限を略したもの。人類史の過去3000年は財(金)、地位、異性(女)などの、全てが私権の対象となっていた。その結果過去3000年間は、誰もが私権の獲得=私権闘争に収束することによって統合される私権統合の社会となった。(正確には私権闘争は、力=私権の強いものに弱いものが従う序列原理によって統合される。)貧困が消滅して以降、私権を求める欠乏や私権価値や私権闘争は衰弱を続けている。」(るいネットより)
(参考)
「るいネット『市場拡大の歴史』 」
「るいネット『近代における市場拡大の原動力』」
■工業生産が、都市化・人口増加・農業生産の拡大を生んだ
工業生産は、大きくは二段階で拡大してきた。
第一段階は、1760年に始まる『第一次産業革命』で、織機・紡績機の改良のみならず、基礎技術として重要だったのは製鉄技術の改良(コークス製鉄法)と外燃機関(蒸気機関)の開発で、これらにより、蒸気船や蒸気機関車という新たな移動手段を手に入れた。
第二段階は、1865年に始まる『第二次産業革命』で、エネルギー源としての石油・電気利用、平炉による製鋼法や内燃機関の開発、化学繊維の実用化が行われ、食料や飲料、衣類などの製造の機械化、輸送手段の革新(自動車、飛行機)、さらに娯楽の面では映画、ラジオおよび蓄音機が開発されるなど、 『快美欠乏』を満たす基本的な工業技術がこの時期に開発された。
そして、これらの工業生産の拡大に伴って、都市化、人口増加、農業生産の拡大が進展した。
【都市化】
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まず、伝統的な手工業が衰退し、没落した手工業者は、工場労働者となる。同時に、このころのイギリスでは、「第二次囲い込み」といわれる地主による経営規模の拡大化がおこなわれていて、多くの農民が農村を離れ、都市に流入していました。かれらも、職を求めて工場労働者になる。
産業革命がすすむにつれて、工場で働き賃金を受け取って生計を立てる賃金労働者、プロレタリアートともいうのですが、増加します。
(中略)
そして、新興工業都市が急速に発達するのですが、そこに職を求めて人口が集中した結果、さまざまな社会問題が生まれます。
人口の急増ぶりはどんなものか。
マンチェスターの人口、1760年3万人、1861年46万人。100年間で15倍の増加。
リヴァプールの人口、1760年4万人、1861年49万4千人。100年間で12倍の増加。
人口増加に住宅建設が追いつかず、上下水道も整備されない中で、住宅問題、衛生問題が発生する。また、低賃金や失業などから極端な貧困生活をおくる人も増えます。犯罪も増える。いわゆるスラム街が、歴史上初めて出現したのも産業革命によって都市が拡大して以降のことです。
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『世界史講義録:第88回産業革命』からの引用。
これは、英国の第一次産業革命は当時のことだが、第二次産業革命では、ドイツ、フランス、アメリカ等でも新興工業都市が発達し、都市化が急速に進展していった。
【人口増加】
「るいネット『人口増の主原因は私権収束ではないか?』
の視点に立てば、先進諸国では工業生産の拡大によって、工場労働者が都市に集まり、都市での市場が拡大し、私権拡大の可能性の場が拡がることで、都市を中心に人口が急速に増加していったと考えられる。
一方、植民地となった開発途上国では、専ら先進諸国の工業生産の原材料を生産するため、モノカルチャーの農業生産を拡大したが、市場のおこぼれではあるものの、ここにおいても私権拡大の可能性に導かれて人口増加していったのである。
*左表は、 『社会実情データ図録』より引用
【農業生産の拡大】
農業生産の拡大については、12世紀或いは18世紀の農業革命が注目されるが、現在の『水資源の危機』に直結するのは、第二次産業革命で開発された内燃機関によるトラクターの普及(1910年代)を契機とする機械化農業(大規模農業)である。
そして、決定的だったのが、1940年代から1960年代にかけて広まった高収量品種(HYV種、いわゆるF1種)による『緑の革命』である。
『緑の革命』に対する評価は新しい「農」のかたち「緑の革命ってどうなん?」
が参考になるが、この農法の特徴は、化学肥料と化学農薬、そして、水を大量に必要とするという点である。これは、HYV種の高収量が種子に固有のものではなく、投入物によって決定されるためで、大量の水と化学肥料、さらに多肥が雑草を繁茂させるため農薬や除草剤を必要とし、水資源の危機に直結する負の循環をつくった。
これらの化学肥料、化学農薬は工業生産に支えられており、さらに工業生産から生まれた重機や土木技術を使って、大量の水を確保するためのダム、パイプライン、井水汲み上げ施設などの灌漑施設をつくり、大規模な灌漑農業を拡大していった。
(参考)
自然の摂理から環境を考える「『水資源』の危機!!どうする?-⑦:2.水資源の危機とは 4」このままだと、今後どうなる?:食料危機に直結している」
これまでのことを図解にまとめると、次のようになる。
そして、第二次世界大戦が終了して、先進諸国が自由主義経済に突入した1950年以降は、国際分業、グローバル化の名の下、世界規模で市場が急拡大した。
それに伴い、大衆の末端まで増大した快美欠乏が、過剰とも言える快適な生活を求め、必要以上に工業生産と農業生産を拡大させ続けた結果、現在見られる「水消費量の急増」「淡水の汚染」「水の循環系の破壊」という深刻な事態を迎えているのである。
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コメント2件
think☆ | 2009.04.17 18:15
春、麗ぁ~ですね☆
今年は、お花見にいけなかったのが、残念。。
>自然の摂理を学ぶことで、現代社会の諸問題(諸欠陥)の解決の糸口になる
自然の中に必ず存在する全てが繋がり、循環する…という「摂理」に乗らないものは、うまくいかないって考えると、すごく現代社会は【個】や【一方通行】が多すぎるように思います。
これからも楽しみにしてます♪
スイートス♪ | 2009.04.14 19:31
人間以外の生物は、自然に適応しようと変異することはあっても、自然を無理に変えることはしないんですよね。
自分達が適応するのではなく、自然を変えようとすること自体が、自然を否定しているということなんだと思います。
自然の摂理に学ぶって、『自然を肯定視する』っていうことなんですね