2016-06-08

熊本地震から見る「専門家」という弊害~専門家は「基準」や「法」という名の免罪符に思考停止してはいまいか?~

写真はコチラからお借りしました。

今回の熊本地震による建物被害は、全壊家屋は7000件を越え、半壊、一部破損も含めると約20万件にも及ぶ被害をもたらした。(6月7日時点)

(※参考:熊本県熊本地方を震源とする 地震に係る被害状況等について)

この状況の中、建築基準法の耐震基準に対し再考が求められる声が上がっている。

特に、耐震性能に係数を掛け地域差を考慮するとした地域係数について、「実態を反映していない」との指摘が上がっているようだ。

耐震基準の地域係数は過去の地震記録で決められたが、2000年以降の大地震の発生場所をみると、「実態を反映していない」との指摘は説得力をもつ。ただ、係数を変更すれば既存の建物への影響は大きく、難しい判断が迫られる。現在の建築基準法では震度7が連続して起きる事態は想定外といえ、対策の限界も指摘される。

http://qbiz.jp/article/86109/1/より引用)

 

学者や専門家達が使ういつもの「想定外」。

3.11の福一原発事故でも度々「想定外」という言い訳で原発御用学者、地震学者たちが誤魔化し続けてきた。今回の地震の件でも“建築基準法では「1度の大地震」に耐えられるという大前提”によって言い逃れをする始末である。

 

東京都内で2日、防災関連の50超の学会が、合同で熊本地震の緊急報告会を開いた。参加した専門家の間でも意見が割れた。

日本災害復興学会長で、明治大大学院の中林一樹特任教授(都市防災学)は「全国の大きな地震は、発生確率に関係なく起きている。本来は地域係数は一律にすべきだ」と現行制度を疑問視。「国が見直さないとしても、熊本県は今こそ独自に条例を作って引き上げを検討してほしい。特に行政庁舎などの重要施設は急ぐべきだ」とも訴えた。

福岡市は08年、警固断層などを震源とする地震に備えるため、高さ20メートル以上の建物を建てる際、地域係数を「1・0」とするよう促す条例を施行。静岡県も南海トラフ地震対策で「1・2」とする県要綱を定めた。だが、いずれも法的な拘束力はない。

一方、福岡大の高山峯夫教授(耐震設計)は「発生頻度でみると首都圏などの方が多く、地域係数の妥当性は一定程度ある。一律に係数を引き上げると既存建物の多くが基準以下となり、影響は大きい。本当に見直しが必要かを見極める詳細な現地調査が必要」と慎重な姿勢だ。

地域係数以外にも、建築基準法に突きつけられた課題がある。熊本地震の特徴は震度7が連続して発生した点。前震では持ちこたえたが、本震で全半壊した建物が多くあった。

これらの大半は、1981年5月以前の旧耐震基準下で建てられていた。だが、強化された81年6月以降の新耐震基準も1度の大きな地震しか想定しておらず、同法の限界とも言える。高山教授は「大きな地震の連続をどこまで考慮すべきか。活断層近くの建物の耐震化をどうしたらいいのか。今回耐震設計に突きつけられた課題」と指摘する。

(中略)

 

○社会全体で再検討を

名古屋大減災連携研究センターの福和伸夫センター長(建築耐震工学)の話

地震地域係数は、地震の揺れの大きさよりも、発生頻度によって左右されやすい。建築基準法そのものが、絶対的な安全を保証するわけではなく、国民の生命や財産を守るための最低限の基準を定めた法律だからだ。

業者も「過剰設計」と指摘される恐れがあるため、地域の地震地域係数に上乗せして設計するケースは少ないのが現状だ。熊本地震の被害の大きさを考えると、地震地域係数も含め、建築基準のあり方を再検討すべきだ。

これは社会全体の価値観の問題でもある。一層の耐震強化を進めることが有効だが、当然コストも高くなる。経済効率を重視する考えもあれば、より安全を求める考え方もある。熊本地震を契機に、社会全体で考えるべき課題だ。

http://qbiz.jp/article/86109/1/より引用)

 

■法や基準の数値を上げればそれで良いのか?

おそらく、今回の件で建築基準法の耐震基準は大幅に上方修正が成されるだろう。しかし、この法律や基準という枠組みの中で、数値の上限を上げていくことが根本的な解決に至るのだろうか?という違和感を拭えきれない。

 

果たして、法や基準の数値を上げればそれで良いのか?

 

上記の名古屋大のセンター長が言う、過剰設計(→コスト増)という次元の低い話ではなく、もっと根本的な「法」や「基準」に対して聖域化(=絶対化)し、それさえ守れば良いという免罪符によって、それ以上の地震の原理や建物の有り方、自然の摂理への追求を怠ってきた専門家達の思考停止に問題があるのではないだろうか。

 

■「法」「基準」への総括~ある構造設計者の言葉~

ここで、ある構造設計者の言葉を引用する。今回の地震を受け、自戒を込めて発した総括であり、建築の専門家だけでなく、社会に存在する全ての「学者」「専門家」と呼ばれる人たちに向けたい。

 

ここのところ「枠」に嵌った思考とその弊害が強く意識に上ってきている。その例が「官庁脳」、「基準法の枠」、「設計基準という枠(ブラックボックス)」。同時に、まだまだ枠から脱し切れずに捕らわれた思考にあることも自覚されるので、ここでできるだけ言葉化することで確信に到るまで固定化したいという気持ち。そこで改めて「基準法」、「設計基準」という枠の限界と弊害を見つめなおしてみる。

熊本地震では、おそらくは木造であろうが新耐震基準の建物が想定以上の被害を受けている。2度の震度7を被るという事態も基準法の想定外だが、内陸断層地震を反映していない低い地震地域係数(熊本県は0.9と0.8)における震度7は明らかに最低基準を銘うった基準法の欠陥を露呈した。国民の生命と財産を守るべき法が結果として、人の生命と財産を阻害したといえる。

地震地域係数は、河角マップと呼ばれる地震確率を元に定められている。当時としては新しい知見に基づいた研究であったと考えられるが、過去の古文書や歴史書に基づく類推がベースとなっていることから、数百年から数千年スパンの地球の活動を予測することには明らかに限界がある。その後、見直しの機会があったにもかかわらず、既存不適格建築物の大量発生を恐れて見過ごされてきたのが実態で、まさに、思考停止の基準法。生命と財産を守るという大義名分すらも見失った劣化状態といわざるを得ない。

今まで、被災のたびに改変・強化されてきた構造基準はその進歩を美化する風潮すらあるが、自戒を込めて否定すべき時がきたと感じる。近年では、断層研究も進み、地域係数の不十分さが明らかになりつつあるにもかかわらず、基準法は誰も踏み込めない聖域と化していた。今回の九州熊本地震を契機に基準法は変わるだろうか?変わる変わらないに係らず、設計者自らが不十分な基準法の枠を超えて、本来追求すべき課題として再認識する必要がある。

基準法に従って設計することが、設計者の免罪符と化している設計行為。基準法に守られていたのは、実は設計者だったというのが現実であり、設計者自身が自らを守るために欠陥を抱える基準法に固執しつづけてきたという総括に到る。この構造は観念派による社会運動と同じで、基準法に基づく設計を進めれば進めるほど被害を拡大させる張本人だということ。その枠を取り払い、思考を開放し、追求に向かうことが時代の要請だと再認識する必要がある。

 

List    投稿者 tutinori-g | 2016-06-08 | Posted in G.市場に絡めとられる環境問題No Comments » 

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