2020-10-06

「清潔」や「健康」という概念が宗教化しているという現実

マスクで顔を隠し、相手との距離を取ることを【法的では無く】、半ば強制され、あげくの果てには、陽性者が出たら彼らを「害悪」のように扱う風潮。法制度が成されてもないのに、多くの大衆があるイデオロギーの方向に向いている状況は、なんとも気持ちが悪く、息詰まります。

このような状況を的確に表現しているなと思うのが

 

「健康という宗教」が世界中に拡大し、今や、医療と健康概念は神であり宗教となっているという現実 

だということ。

 

以前、行き過ぎた清潔志向が人類にもたらす危機 ~自然の摂理に反する除菌、清潔、無菌生活~

 

というエントリーの中でも、清潔志向が病気を作る

という趣旨を記事にしましたが、

 

一昔前の公害などが減る一方で、このような病気が蔓延するのは、【「薬」や「医者」が病気を作る】という市場拡大の圧力の構造と同時に、現代人が当たり前となってしまっている、いわゆる【清潔志向】によるものだと考えられます。

 

清潔志向や健康志向もいつからこんなにまで「宗教化」してしまったのでしょうか。

 

「清潔絶対。」「健康絶対。」

 

このように、絶対化、神格化する概念、は近代思想、近代科学と同じで宗教と全く同じ構造を持っています。

 

・ 宇宙は膨張していない!?~科学的認識はすべて仮説、その神格化が創造の壁~

・ 近代(現代)科学はまるでマンガ!宗教と全く同じ”唯一絶対の不変真理という思考”で貫かれている

 

今や、“医療と健康概念は、神であり宗教となっているという現実“に目を向けていくしかないのだと思います。

 

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以下、In deepさん より引用

 

 

◆ ◆ ◆ 健康はいつから宗教になったのか

 

(~中略~)

 

*  *  *  *

健康主義は強力なイデオロギーである。なぜなら、非宗教化した社会において、健康主義は宗教が欠けたあとの真空を埋めてくれるものだからだ。宗教の代用品として、健康主義は幅広い支持を得ている。特に、伝統的な文化とのつながりを失って、急速に変化する世界の中で、ますます不安を感じている中流階級の間で。 (人間的医学の終焉と強制的健康主義の台頭)

*  *  *  *

 

この書籍のアマゾンのページを見ますと、「健康はいつから宗教になったのか」とあり、私がずっと感じていたことが、そのまま文字となっている感じがいたしました。さらに、大脇 幸志郎さんの『「健康」から生活をまもる』には、2019年に医学誌ランセットに掲載された論文からも以下の部分を抜粋していました。

 

*  *  *  *

病院は、社会的ケアが必要な高齢者のための情報センターのようになった。人間の行動と感情の正常な多様性はいまや薬物治療の対象になった。人生の中で避けられない実存的問題を解決するのは医者の仕事になった。どうすればいいのだろう?

医学は疑似宗教になってしまった。私たちの患者には、そっと変節と棄教を促さなければならない。 (Lancet)

*  *  *  *

 

 

この大脇 幸志郎さんが引用したランセットの論文を、巻末の「参考文献」からランセットのウェブサイトから探してみますと、以下のようなタイトルでした。

 

・黄金時代の後に : 薬は何のためにあるのか?

After the golden age: what is medicine for?

 

ちなみに、先ほどの『人間的医学の終焉と強制的健康主義の台頭』を書かれた医師は、アイルランドの方ですが、今日(10月5日)、アイルランドに関して、以下の報道が流れていました。

 

 *  *  *  *

アイルランド専門家チーム、全土のロックダウンを政府に提言

アイルランドの国家公衆衛生緊急対策チームは4日、政府に対し4週間にわたる2回目の全土ロックダウン(封鎖)を提言した。2人の政府筋が明らかにしたもので、予想外の動き。5日に閣議で協議するという。 (ロイター 2020/10/05)

*  *  *  *

 

シュクラバーネク医師は、どういう気持ちで自国の対策を見ていらっしゃるのかなと思います。

 

しかし、いずれにしましても、どの国においても、

 

「健康が宗教化した今だからこそ、新型コロナに対してこのような政策を強行することが可能だった」

 

のだとは思います。

 

 

◆ ◆ ◆ 既存の宗教を超えた「健康」

「自由」や「良心」「正義」といった最も人間にとって大切な概念を、「健康という大義名分」が上回ってしまった世の中では、何をやっても許されることにもなってしまった。各国の緊急対策の大義名分は「人命の尊重」でしたが、何度も記してきていますように、対策によるメンタルの悪化、失業者の増加、経済的苦痛、孤立、既存病の治療の停滞などにより、膨大な「命の損失」が進んでいます。

 

そして、いったん、この「大義名分」が通用してしまった以上、それを貫き通すことは可能なわけで、現実として、多くの世界において、マスクと社会的距離(という名の強制孤立化)が日常と化しています。ここまで人の生活を見た目からさえ根本的に変えて、さらには「人々に自主的にそれを行わせる」ことができるようなものは、かつては宗教くらいでした。

 

今は「健康」は既存の宗教を超えました。

 

冒頭のようにマリア様は殺菌剤で消毒されるし、下のように、ムスリムたちもマスクをして社会的距離を保たないと礼拝もできません。

 

写真:ラマダンの間、社会的距離を保ち礼拝するインドネシアのムスリムの人たち

 

・Muslims change traditions in virus-hit Ramadan

 

 

 

息=イキというのは、日本の宗教感では突出して重要ですが、他の国でもそれはある程度同じだと思われます。つまり、マスクをして礼拝するというのは、神々に対して失礼なんです。というか、息というようなことより、少し前までは、多くの国で、カトリックの教会の集会もイスラム教のモスクの集会もロックダウンで禁じられていた事例が多かったです。

 

今はイスラエルで「仮庵祭」というユダヤ教の重要な祭日ですが、人々は基本的に礼拝所などに行くことはできないとイスラエルの報道は伝えています。おそらく、仮庵祭に人々が外に出られないというのはイスラエルの建国史上初めてのことだと思われます。

 

報道の写真を見れば、イスラエルの礼拝堂もまたシートとマスクだらけです。

写真:ビニールシートが貼られまくるイスラエルの礼拝所の中で祈るラビたち

・NY Times

 

 

何らかの存在たちは、この光景を見て腹を抱えて笑っているはずです。

 

(引用ここまで)

List    投稿者 tutinori-g | 2020-10-06 | Posted in G.市場に絡めとられる環境問題No Comments » 

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