2009-12-03

シリーズ 環境問題の核心=「国家と市場」 を超える可能性を考える⑦

超国家・超市場論7:私権闘争を統合した 力の序列共認
生物あるいは、自然環境は、秩序立った存在と言うことができますが、人類も例外ではありません。個体レベルから集団、社会レベルまで、秩序(統合原理)が保たれてこそ生物として環境適応可能といえます。ところが、最近の環境問題や社会システム崩壊の危機は、この秩序原理崩壊の危機
でもあります。そこで、これまでの私権時代の秩序原理は、どうなっていたのか、見てみたいと思います。
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では、
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=30553
より引用です。
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超国家・超市場論7 私権闘争を統合した 力の序列共認
四方勢至 ( 老年 京都 編集 )
自我は「自分以外は全て敵」とする。しかし、「全て敵」である以上、共認は成立せず、従って共認機能で止揚・統合することはできない。従って、この様な自我と自我がぶつかり合い、欲と欲がせめぎ合う性闘争→私権闘争は、必然的に掠奪闘争(縄張り闘争、つまり戦争)を生み出して終う。
この様な自我に基づく性闘争→私権闘争→掠奪闘争は、力によってしか制圧できない。従って、これらの自我に基づく同類闘争(性闘争・私権闘争・掠奪闘争)は必然的に武装集団を生み出し、最終的には力による制圧を土台とし、それを追共認した力の序列共認によって統合された武力支配国家を作り出す。
この力の序列原理も、互いに顔が見える範囲の集団内部でこそ有効に機能する原理であり、それだけでは数百万人もの超肥大集団=国家を統合するには無理がある。互いに顔の見えない社会を統合するには、統合指標(評価指標)となる観念の共認が不可欠になる。そこで、力の序列共認を下敷きにして、士・農・工・商etcの身分制度が確立された。つまり、最終的には身分(肩書き)という観念の共認によって国家は統合されており、武力時代の評価指標とは、この身分観念に他ならない。
私権社会での活力源となっているのは、性闘争・私権闘争の圧力である。しかし、性闘争・私権闘争の圧力は、武力による制圧⇒力の序列共認⇒身分制度の共認による徹底した収奪によって(つまり、人為的に作られた飢え=貧困の圧力によって)、生存圧力に等しいほぼ絶対的な強制圧力となる。つまり、無政府的な性闘争・私権闘争を止揚(秩序化)した筈の私婚→私権の共認は、真の統合原理たる力の原理によって絶対的な私権の強制圧力に転換する。
この私権闘争の圧力が生み出した(力の原理に基づく)私権の強制圧力(私権を獲得しなければ生きてゆけないという圧力)は、最末端まで貫通する圧力であり、従って、「私権」という価値の評価指標(=最先端価値)たる「身分」観念は、立派に統合機能として働くことになる。(例えば、この肩書きという統合指標=評価指標は、現在でも官庁や企業において、普遍的に使われている評価指標であり、ほんの数年前まで「肩書き」こそが、人々の最大の圧力源とも活力源ともなっていた。)

なるほど、さすがに、強制的な文字通りの物理的力(武力)だけでは、超巨大な国家という集団(社会)を統合することは、不可能。そこで、序列共認を下敷きした、身分や肩書きを観念で共認して、統合したということですね。
 そして、それが誰もが求める価値(評価指標)になったので、活力源にもなって、社会は機能していた。中身の良し悪しは別にして、社会は統合されていた。
 ところが、現在は、序列共認の背景たる生存圧力(飢えの圧力)が衰弱したために、身分も肩書きも評価指標足りえなくなってしまった。実際、ほとんどの人が、あくせくして、身分や肩書きを手に入れようとはしていない。従って、新しい状況に適応した秩序原理(共認)が、生まれていない現在は、文字通り秩序崩壊へ向かってまっしぐらの状態。
 環境破壊にしろ、その他の社会問題にせよ、目先の対策ではなく、新しい状況に適応した社会の秩序原理を生み出すことが先決で、次に、それを踏まえた具体的な施策が必要になって来そうです。
 少なくとも、それは、武力や資本力を背景にした序列共認ではなく、全く異なったものになることだけは確かでしょう。

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