環境を考えるには構造認識が不可欠!『潮流9:経済破局を突き抜けてゆく充足・安定・保守の潮流』-2
『環境を考えるには構造認識が不可欠!』シリーズの、今までの流れのまとめの続きです。
第5回 環境を考えるには構造認識が不可欠!『潮流5:失われた40年』
失われた40年、なぜ市場縮小へと方針転換できなかったのか?それは、『市場拡大を絶対命題とする特権階級の利権維持およびその特権の維持と固く結びついた彼らのイデオロギー(「潮流5:失われた40年」より)』によって’70年以降も一貫して市場拡大=自我・私権拡大に資金を注入し続けてきたからです。
この世には、医療だけではなく、農業や介護や新資源・エネルギー開発、あるいは「なんでや露店」のような社会活動etc、市場には乗り難い(ペイしない)が、社会的に絶対必要な仕事(or活動)がいくらでもある。市場に資金を注入するなら、すでに飽和状態に達した物的生産ではなく、あるいは福祉と称して単なる消費者にバラ撒くのではなく、市場ではペイしないこれらの類的生産を刺激or支援する方向に資金を注入することもできた筈である。画像は資源エネルギー庁よりお借りしました
つまり、物的供給を促進するために市場拡大へと資金投入が進み、市場に乗り難いが社会的には必要なエネルギー開発には投資してこなかったのです。その結果、化石燃料と原子力のエネルギー供給量の増加≒自給率の低下を招き(何の政策も打ち出せず)、諸外国に対する依存度を高め、国際競争力を低下させていったのです。
第6回 環境を考えるには構造認識が不可欠!『潮流6:’95年、私権原理の崩壊と目先の秩序収束』
そして、‘90バブル崩壊に伴う経済危機により、私権原理の崩壊と目先の秩序収束が顕在化します。
豊かさの実現以来の充足志向→実現志向の大潮流は、’95年、私権意識の衰弱が顕在化したことによって、一段と強くなっていったが、同時に、危機発の目先の秩序収束の潮流が生起したことによって、実現志向と秩序収束の合流点に目先の制度収束の潮流を生み出していった。既存の制度の枠組みの中での、授業や試験や資格への収束が、それである。画像は環境省よりお借りしました
この頃、二酸化炭素による地球温脱化問題が、マスコミそして官が主導で発信され、人々の危機感を煽りました。これは、衰弱する市場に対して欧州勢が全世界にしかけた市場戦略ですが、これが危機発の目先の秩序収束の流れにピッタリはまってしまいました。
ここで、共認収束は本源的な自然回帰を伴いますが、この危機発の目先の秩序収束は、まやかしの二酸化炭素削減運動に収束して、自然回帰とは全く逆の市場拡大の片棒を担ぐことになりました。『環境市場』などという矛盾を孕んだ言葉が出来たのもこのためです。
この潮流分析から確実に言えるのは、環境問題を解決するためには、目先の秩序収束、制度収束を超えて共認収束に転換する必要があるということです。これは、新しいエネルギー政策を提示する上でも重要なパラダイムになります。
第7回 環境を考えるには構造認識が不可欠!『潮流7:暴走する社会(特権階級の暴走と下層階級の暴走)』
現在、多くの人々の共認収束への転換の流れに反して、既得権益維持のために自らの権力行使の快感に溺れる特権階級が台頭してきています。
大多数の私権意識が薄れていく陰で、ひとり権力喪失の危機感を募らせた特権階級は、その飼い主たる金貸しや国際企業を含む自分たちの特権を維持するために、優遇税制をはじめ様々な特権制度を強化し、その結果ますます格差を拡大させ、身分を固定化させてきた。
中略
それだけではない。危機に脅えた特権階級は、アメリカの力に拠り縋り(その結果、アメリカの言い成りになって)中立公正も何もない露骨な偏向・煽動報道によって小泉フィーバー、郵政選挙を演出し、更には検察とマスコミが一体となって、鈴木宗男、佐藤優、植草一秀、小沢秘書etcの政敵を失脚させてきた。
これは、麻薬中毒よりももっと恐ろしい、権力の自家中毒である。
画像は油谷産業 株式会社よりお借りしました
環境問題に焦点を合わせていくと、2000年前後から急速に環境関連法が制定されてきます。例えば、家電リサイクル法です。旧来、修理再生できる家電類は、廃品回収業者がお金を払って回収していました。お金が払えるのは、修理再生して再利用(主に輸出)したり、家電製品から銅や貴金属を取り出したりしてお金になるからでした。
ところが、家電リサイクル法では、消費者がお金を払って引き取ってもらうので、破棄家電製品はすべて解体処理で修繕しなくなります。環境にいいはずはありませんね。また、このような動きになることは、通産省・環境省、大手家電メーカーは事前に予測出来ていたようですが、リサイクルという観念を絶対化し、法律を強行してしまいました。
これによって、実現できたのは、環境負荷が高まることと、大手メーカーと官僚の特権の維持だけです。どうすればこのような暴走を抑止出来るのか?も重要な課題になります。
第8回 環境を考えるには構造認識が不可欠!『潮流8:自民党は、なぜ見限られたか?』
こうして、’05年のマスコミを使ったやりたい放題の郵政選挙を経て(「マスコミの煽動報道とその最後」参照)、’09年、遂に「何が何でも自民を引きずり降ろせ」という脱自民(反特権)の潮流が顕現した。これまで好き放題に格差を拡大し、権力の乱用を繰り返してきた特権階級に対する大衆の怒りと不信と危機感こそ、自民党が見限られた理由である。その権力中毒を直せない限り、もはや永久に自民党に未来はない。この点は、次政権も同様で、彼らが権力中毒に溺れる時、彼らも忽ち支持を失うことになる。
おそらく、今回の選挙結果を受けて、財界や自民党や官僚の少なくとも一部には反省の気運が生じるだろう。しかし、何の反省もしない特権階級が生き残っている。この厚顔無恥な最後の特権階級こそ、今回の暴走をリードしてきたA級戦犯であるマスコミ人に他ならない。
そして、2009年8月。ついに大衆の怒りと不信と危機感により衆議院議員総選挙で自民党は惨敗。大衆共認が勝利しました。国民不在の政治が終わり、国民のための政治への期待感が高まっています。しかし、すでに2006年時点でもその萌芽が見られます。
同年7月。「もったいない」をキャッチフレーズに、草の根運動のネットワークを持つ無所属新人・嘉田由紀子氏が滋賀県知事に初当選したあの事例です。マニュフェストは新幹線新駅の凍結など、現政権の目玉「仕分け作業」の先駆けとも言える政策です。政党の思惑や派閥ではなく、県民の立場で事業が必要か否かの判断を行った象徴的な事例であるといえます。
滋賀県知事を生み出した当事者意識の顕在化・共認原理社会の幕開け
これらの現象は明らかに共認原理に基づく場の転換の現れです。これは、環境問題の解決にとって重要な転換点になることは、先の記事からも明らかです。特に、『必要か否か』は節約意識や共有意識につながる重要な判断軸になります。
そして、今後ますます国民の潜在思念に応える人物・事実に基づく政策が評価される社会になっていくと思われます。しかし、いまだに旧態依然とした特権階級もいます。それは、マスコミです。彼らから出てくる情報は、大衆の意識を無視し、同じ穴の狢である特権階級の利益を代弁したものばかりです。
そのことに気づき、社会の当事者として自分達で事実を調べ、それを発信する庶民の動きがネット界を中心に世界的に顕在化しています。この流れをどう加速していくのか?も課題の一つになります。
つづく
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天神地祇 | 2010.12.25 21:14
地域共同体・社会・自然は人類の命綱である本源共認充足基盤(外圧適応するための)ですが、その本源共認充足基盤が私権の追究により崩壊の危機に瀕しています。この状態が続けば人類の滅亡に至るのは必然であると考えられます。
私権に可能性が見出せない現在、潜在思念が地域共同体・社会・自然の再生に可能性収束するのは必然だと思います。