豊かさ期待とは何か?2~私権意識はどうやって成立したか~
前回の記事「豊かさ期待とは何か?1 プロローグ~環境破壊の元凶たる過剰消費はなぜ生まれたのか?」について、「豊かさ期待という社会意思」をお送りしました。
今回はその豊かさ期待の基底部にある、「私権意識はどうやって成立したか?」を取上げてみたいと思います。
そもそも、私権意識の根底にある「私有権」は、人類がもとから持っているものではありませんでした。
人類には500万年の歴史がありますが、私有意識そのものは人類の歴史の中で遊牧部族の発生の頃、つまり長い人類史の中ではつい最近芽生えたものなのです。
その時に芽生えた「私有意識」は現在まで引き継がれ、近代の「豊かさ期待」と相まって、「過剰消費」へと繋がっていきます。
<遊牧 平原画像>
ではその「私権意識の成立過程」を見てみましょう。
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では、私権意識の起源である遊牧集団の社会を紹介しましょう。
るいネットより
9/23なんでや劇場(2) ~私権意識の成立構造
【1】~【3】遊牧部族における私有意識の成立構造
ここで重要なのは、自我発で私有権が共認されたのではなく、部族全体の富族強兵共認ができてはじめて私有権が共認されたということ。
物的欠乏と部族間の相対自我⇒富族強兵共認⇒その正当化観念⇒富の拡大欲求⇒略奪闘争と私有権。これが私権意識の原点である。
人類は洞窟の中で暮らしていたが、約1万年前、弓矢の発明によって地上に進出し栽培・牧畜によって人口が増え、部族間に緊張圧力が働くようになる。そこで比較的豊かだった採取部族は他部族と友好関係を構築するために相互に贈与をした。
これは好意を示すために貴重品を差し上げたものであり、私益目的の交易とは全く異なるものである。生活必需品の物々交換が市場の起源であるという話も経済学者の騙しであって、生存上の必需品を他部族に委ねる部族など存在しない。その様な物々交換は、市場(関係)がある程度日常的に存在する様にならない限り成立し得ない。現に採取部族の贈与ルートは無数かつ広範に存在していたことが実証されているが、交易であれば溜め込むor消費するわけだから、これだけ無数のルートで広範にやり取りされるはずがないのである。
それに対して、遊牧部族は元々狩猟や牧畜では食えなかったから遊牧に転じたわけで、一貫して食えなかった部族であり、物的欠乏の強さが遊牧部族において部族間の相対自我⇒富族強兵共認を成立せしめた背景にある。
(中略)
そこでは、遊牧部族の生産手段である羊等は氏族の所有物となってゆき、さらには婚姻を通じて発生する婚資(婚姻料、娘の持参金)は氏族の共有物でさえなく、家族や個人の所有物となっていった。このように遊牧部族はかなり初期の段階から、私有権が共認された私権社会に転換している。
なお、氏族レベルの私有意識は婚姻制度とは関係なく成立するが(但し、父系嫁取り婚は氏族の自我・私有意識を大いに高めた)、個人レベルの私有権は、婚姻制度を媒介にしてはじめて成立する。
<遊牧軍隊画像>
もとは牧畜集団だったが、乾燥や自然の変化により食えなくなり、
1.物的欠乏の強さから、部族の富の獲得と部隊強化の目的で、一箇所に止まらずに移動
する斥候部隊(男部隊の遊牧化)を派遣することになった。
2.派遣(男)部隊は、生産効率から次第に規模が拡大化し、やがて史上初の父系集団が登場
した。
3.そこでは、生産手段である羊等は氏族の所有物となり、さらに婚資も家族や個人の所有と
なって、早くから私有権が共認されている私権社会に転換していた。
4.その結果、富の拡大欲求が高まり、後に略奪へと転換していく。
という経過を辿ることになります。
そして、現在に至っては「私有意識・私権意識 」⇒「豊かさ共認」⇒「過剰消費」と繋がっていきます。
豊かさ共認、便利さ追求によって、使い捨て商品や大量生産品(工業生産品)が発生し、石油や木材など自然から大量に資源を導入していきます。
こうして「過剰消費」は市場拡大へと繋がり、精霊として崇拝していた「自然」さえも、私有対象として巻き込んでいき、その結果「自然(環境)破壊」が繰り広げられているのです。
<森林破壊>
<大気汚染>
人類は「私有意識」を持ち始めて以降、「私権社会」わずか3000年程で自然に対して畏敬の念を失ってしまったと云えるのではないでしょうか。
次回は私権意識の成立構造として、「特権階級はどうやって生まれたか?」についてお送りしたいと思います。
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