2019-07-29
脳回路を解く(10)~・人類の思考様式と構造認識・~
本能は最適手法たる照準化→類型化に収束し、把握機能(感覚機能)を進化させてきたが、足の指が先祖返りして樹上で生きてゆけなくなった人類は、把握機能をどんなに駆使してもとうてい対応できないような極限状態に陥ります。
人類はひたすら「どうする?」を思考、追求し続けるしかなかった。結果、数万年におよぶDNA変異によりチンパンジーの400ccから1400ccへと人類の脳容量が急拡張した。
人類の脳は「どうする?」を追求するためにある。その追求こそが、抽象化の極北に言葉(観念機能)をも生み出したのです。
“近代科学”とはひたすら現象を”数学”に置き換え、”数学”とはひたすら抽象世界(=非現実世界)に傾斜する思考
★ ★ ★ 近代科学とは【現象がなぜ起こるのか?ではなく、数学に置き換える】という思考
近代科学がいよいよ終焉 を迎えていますが、そもそも近代科学とそれ以前の科学では何が違うのでしょうか?
それは、端的に言うと、
「現象の何でそうなるのか?には一切触れず、ただひたすら、現象を定量的に数学で表現するようになった」。近代科学の特徴はこれに尽きます。
参考:量れるところだけ量る、あとは知らんぷり。これが近代科学
…とにかくガリレイは、あらゆる現象の量に注目して、いろんな量をはかることで、問題を数学におきかえたのです。これはそれまでの、現象がなぜおこるのか、その目的を説明しようとしていた科学とはぜんぜんちがいました。これがいろんなサイトでいわれるところの「現象の目的的な説明から、現象を定量的に数学で表現するようになった」という文の意味です。近代科学の特徴はこれに尽きます。現象の量れる部分だけに注目して、量る。あとは知らんぷり。この態度が近代科学なのです。
脳回路を解く(9)~・生命の始源:中心体の仕組み・~
前回の『脳回路を解く(8)~・生命の始源:中心体の仕組み・~』では、脳容量の拡張にはDNA変異を待っていれば数万年もかかり、それでは外敵に襲われ絶滅する可能性が示唆されています。
そこで、本能は最適手法たる照準化→類型化に収束し、DNAに頼らない進化を獲得するのです。その役割を担っていたのが『中心体』という事になります。
では、その中心体とはどのようなものでしょうか?
脳回路を解く(8)~・把握様式の進化と脳容量の拡張・~
背景と対象に二元化したり、共通部を抽出して類型化したり、抽象化するのは、本能に備わった根元的な把握機能であり、カエルも、ネズミも、ネコも、無意識にそうしている。
とあるように、生物が生きていくためには把握機能は不可欠で、把握スピードで生死が分かれます。
眼が登場したのがカンブリア紀。この時代は、奇妙な形をした種が大量に発生した。その形態は、攻撃用の強いハサミや口を持った生物や、その攻撃から身を守る大きく堅い棘で覆われた形態などで、生物史上はじめての厳しい外敵闘争に対応するために多様な種へと進化した。
その時代の覇者の一つがアノマロカリスという節足動物で眼をもっていた。この眼は、現生の近縁種のヤドカリ・カニ・エビ・昆虫と同じ複眼だったと思われる。 複眼は、円錐状の筒の底部に一つの視細胞が接続されたユニットが、多数くっついて半球状になったもので、進化した単眼のように、網膜上に視細胞だけがつながって並ぶ形状とは異なる。そして複眼は、筒の軸上の光は入るが、軸から大きくずれると直接光は遮られて見えなくなる。それに対して、単眼は眼球内に入った光を網膜上で広く捉えることができる。また、視細胞の数も進化した単眼の方が圧倒的に多い。
この様な構造から、複眼の見え方は、光が入る部分と、遮られる部分の差異の認識が基本で、移動する物体を多数の複眼が順次その変化を利用して認識するのだと思う。また、視細胞同士連携も大脳が(ほとんど)無いためうまくいかず、機能的は極めて解像度が悪いものであったと思われる。そのため、複眼の数に分割された、変化するモザイク画像の様な認識しかできなかったのではないか。 その様な状況の中で、脊椎動物の先祖が誕生する。動きが遅く、柔らかい体しか持たない初期脊椎動物にとって外敵をすばやく察知し、逃げるのが第一課題になる。しかし、解像度の低い複眼様の映像と、極めて小さな大脳しか持ち合わせていないため、その限界を突破するために、『動くもの(敵)』と『それ以外』という二元化機能を獲得し、大脳の容量限界を突破しようとした。そのイメージは、モザイク映像の中の動く部分の塊を一括りにして、その中心付近を一つの点(丸い影)として類型化して適応した。
その後、目も脳も進化し単眼になり少し解像度が上がると、次に問題になるのが、外敵のうち最も危険な、攻撃を仕掛けてくる頭部の認識になった。この段階では、動く点(丸い影)の中の映像も、もう少し鮮明になってきたが、数ある外敵のすべての頭部(顔)を記憶できるほど脳容量は大きくないので、『二つの眼と一つの口』を三角形の各頂点にある点として類型化して、敵の頭部(顔)を判別することで適応した。この原理は、現代のデジカメの顔感知にも応用されているし、実際、三角形の各頂点を想定した3つ点を書いただけで、人間の場合でも顔に見える。
その次に獲得するのが、敵の大きさを感知する棒のような線であるが、これは、空間上にあらゆる方向で存在するので、より眼の解像度も、それを空間認識する脳容量も必要になるので、もっとあとになる。その進化の最先端にあるのが、サルや人類の立体視であり、網膜上に映し出された平面映像を、大脳の処理により立体として認識することができる。 『視覚の二元化・類型化機能の獲得過程』より
我々の脳は一体どのように進化してきたのでしょうか? (さらに…)
脳回路を解く(7)~・把握(認識)の二元化と類型化・~
我々はどのようにして外圧、対象世界を掴み取ってきたか、どのように外圧を構造化して捉え、生き抜いてきたのでしょうか?
生物の脳は、太古の昔に「二元化」と「類型化」の認識様式を確立させました。
対象とそれ以外を瞬時に取捨する二元化、対象のなかから共通点を見出す類型化。これは、全ての脊椎動物に備わっている認識機能の根幹です。
物質と生命2~物質と生命を分かつものは「死と再生」である!?
先週に引き続き、実現塾での物質と生命にかかわる議論をベースに追求してみたい。一般的に、物質はエントロピー増大の法則に従い拡散する一方であるのに対して、エントロピー増大の法則に抵抗して、恒常性を保ち、秩序化していくのが生命であるといった対比で理解されている。
そしてこの恒常性を保ち続けるためなされている、「代謝と分裂」を「生命現象」の特徴として挙げるのが教科書的理解となる。それに対して、実現塾では「再生」こそが生命現象の本質ではないかという仮説が提起された。この仮説について考えてみたい。
脳回路を解く(6)~・成績圧力と文字脳・公式脳・~
赤ん坊は好奇心のかたまりです。おっぱいを欲しがり、抱っこを求め、あれは何? これは何? とキョロキョロします。
すべて本能です。少し成長した幼児も、やりたいことがたくさんあって、常にやる気は満々です。
写真はたまGOOよりお借りしました。
赤ちゃんは自然科学者だ。取りまく全てのものが珍しく、好奇心に充ちた眼差しでひたすら何かを追い求めている。赤ちゃんと同じ道筋で、人類は言葉を見つけ、人間の言語世界を創り出してきました。自然の存在そのものである人間によって、自然の論理にしたがって創り出されたものが人間の言語です。
一方、大人に目を向けてみると気づくことがある。どうして意欲がない、やる気が感じられない人がいるんだろう?
子どものころはみんな元気いっぱい、やる気満々だったのに。本来、持っているものが、なぜ削がれてしまったのか・・・?