2010-12-30

社会期待の歴史(2)自然に包摂された精霊信仰、守護神信仰。自然を倒錯させる古代宗教

社会の人々の期待、集団や超集団(国家)の期待、最先端の収束先がどうであったのか。その期待の中身が、自然をどう見ることになるのか、環境破壊が起こっていくのかどうか。 
 
るいネットの秀作投稿 10/17なんでや劇場(2) 原始時代~部族連合時代~武力支配時代をもとにしてみていきます。 
 
部族連合の時代、帝国による武力支配の時代は、主にメソポタミア地域と関連付けてみたいと思います。 
 
 精霊樹として信仰されていたバオバブの木 
 
 baobab.jpg 
 写真は、ブログ「木のように生きよう」さんリンクからお借りしました。 
 
1.原始時代:仲間と精霊信仰による本源充足、自然は仲間であり畏怖と尊敬の対象 
2.部族連合時代:富国強兵には自然の霊力も必須、自然に包摂された守護神信仰 
3.帝国による武力支配の時代:現実捨象の倒錯観念、自然を倒錯させる古代宗教 
 
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1.原始時代:仲間と精霊信仰による本源充足、自然は仲間であり畏怖と尊敬の対象

【1】原始時代 
 
原始時代の単一集団は共認収束によって統合されていたが、その統合様式はサル以来の進化段階をなぞっている。原猿段階の親和共認(ex.歩行訓練→踊り)⇒真猿段階の闘争共認(課題・役割・評価の共認)というサル時代に形成された共認機能を土台に、最先端に人類固有の観念機能(精霊信仰)を塗り重ねて作動させている。 
 
ここで注目すべきは、最先端の収束対象が何か? 
 
想像を絶する自然外圧に対応するために、人類が収束したのが精霊信仰であり、このことを「期待」という概念で捉え返すと「生存期待」というものになるだろう。生存期待をかけて自然と対話し、精霊信仰に収束した。これが原始人類の最先端の姿である。 
 
10/17なんでや劇場(2) 原始時代~部族連合時代~武力支配時代

原始時代、人類は過酷な自然外圧、現実の真っ只中で、仲間と精霊信仰により本源充足していました。過酷な自然を対象化し、自然に仲間としての期待をかけたのが精霊信仰です。 
 
その観念(精霊信仰)は、徹頭徹尾、現実直視のなかで生まれたものであり、架空観念の入り込む余地がありません。
自然への畏怖と恵みへの感謝の念で生きている人類は、自然の摂理の中で生きおり、環境問題など起こらないのです。 
 
例えば、アフリカで信仰されているバオバブの木は、多くの恵みをもたらす精霊の木であり、人間が人為的に植えたりするものではなく、また、決して切り倒すものではありません。

 dscn1011.jpg  dscn1013.jpg 
 
バオバブはアフリカ、マダガスカル、オーストラリアなどの亜熱帯から熱帯に分布し、長い乾季を伴う乾燥地帯に生育します。5千年から6千年生きられると推測されますが、中心が空洞化するので正確に測量することは困難なようです。 
 
捨てるところがないというバオバブですが、樹皮は屋根を葺いたり縄をなうのに使い、葉にはビタミンやミネラルが豊富に含まれ食用になります。甘酸っぱい実の中の種衣は子ども達のおやつになり、種からはオイルが取れます。実の外皮は食器や楽器になります。マラカスのようにしてお土産用に売っていました。葉や根を煎じれば薬となり、大抵の病気は治るそうです。 
 
人々はバオバブには精霊が宿ると信じ、植えることも切ることもしないそうです。 
 
ミポリン世界航海紀2西アフリカ マリの旅・6日目-3

 
 
2.部族連合時代:富国強兵には自然の霊力も必須、自然に包摂された守護神信仰

【2】部族連合の時代 
 
人口が増加し、部族同士の緊張圧力⇒一部では戦争が始まっている。しかし、巨大帝国は成立していない段階。 
 
この時代は同類闘争圧力は高まっているものの、依然として自然圧力>同類闘争圧力である。この時代には既に富の拡大欲求や私権意識は登場しているが、それは自然外圧⇒物的欠乏がなければ登場しえない。 
 
原始時代まで人類は200万年以上もの間、自然圧力に対応するために精霊信仰に収束していたが、部族連合時代の守護神信仰も、その基本構造は精霊信仰と変わっていない。加わったものは同類闘争圧力であり、それに対応して富族強兵共認が生まれ、それが守護神信仰に収束した構造。つまり、守護神信仰がこの時代の先端共認である。 
 
ここで注目すべきは、富の拡大欲求や私権意識などの欠乏の全てが守護神信仰に包摂されているという点である。このことは、精霊信仰的な意識構造が如何に強く部族連合の時代にも残存していたかを示している。 
 
部族連合時代の構造をまとめれば、
自然圧力×同類闘争圧力⇒富族強兵共認⇒守護神信仰で統合。 
 
社会期待という概念で捉え返せば、原始時代の生存期待の上に同類闘争上の勝利期待が加わったということ。だから、この時代の人々は、生存期待も勝利期待も含めて全ての期待をかけて、守護神や祖霊に祈っていたのである。 
 
10/17なんでや劇場(2) 原始時代~部族連合時代~武力支配時代

古代メソポタミアでは、各部族が都市国家を形成します。そして、部族は守護神をもっており、各都市はその都市の守護神を信仰しています。古代メソポタミアの神々、都市の守護神をみてみましょう。

ニップルの守護神エンリル 
 
エンリルは風と嵐の神。人類を滅ぼすために大洪水をも起す神である。メソポタミアではしばしば洪水で大きな被害を出した事もあり、エンリルは強力な神として人々に認識されていた。 
 
都市エリドゥの守護神エンキ 
 
エンキは大地と水の神で水の持つ力を備えている。
エンキは、世界を豊かに保つ力をアプスーから獲得し、そのまま地底を住処として、淡水および繁殖を司る神としての役割を継承した。 
 
ウルクの守護神、天空の神アン 
 
ウルクの白色神殿で崇拝される、事実上の最高神。
古代バビロニアの守護神マルドゥク 
 
鍬をシンボルにしていることから元来は農耕神であったといわれている。しかしバビロンの隆盛とともに各地の神の性格を取り込んで遂にはバビロニアの最高神にまで高められた。

部族連合の時代には、部族間の戦に勝つ必要があります。その力を、自然の力を象徴する神々に求めます。各部族が収束する守護神は、様々な自然の力を備えた神々なのです。 
 
例えば、エンリルは風の力、エンキは水の力です。
そして、部族連合を統合した古代国家になるにしたがって、各部族の守護神を統合した(神々の性格を吸収した)最高神ができ上がっていきます。 
 
一方、富国強兵の意識は、国力(生産力)を高めるために、農業を拡大し、武器を作るために冶金を行い、都市を築き、舟を作ります。 
 
麦を栽培するために、森林を畑地にかえる、精錬のために木材を切出す、都市や船のためにも大量の木材が必要になります。 
 
部族連合時代の富国強兵収束は、森林破壊という環境問題を登場させます。 
 
しかし、自然の力を組み込んだ守護神を信仰している段階ですので、自然を人間(部族)の都合で破壊することには戸惑いがあったのです。 
 
例えば、森の神フンババを倒す、ギルガメッシュとエンキドの物語にみることができます。
地球環境の主役 植物の世界を理解する⑳ 麦作・牧畜部族の森の神殺し(森林破壊)
 
 
部族連合時代の部族の意識は、自然の力を包摂している守護神に収束していたのであり、まだ、自然の摂理に包摂されていた時代だったといえます。 
 
 
3.帝国による武力支配の時代:現実捨象の倒錯観念、自然を倒錯させる古代宗教

【3】帝国による武力支配の時代 
 
この時代の圧力構造は、自然圧力×同類闘争圧力に支配圧力が加わっている。従って、富国強兵共認+支配圧力に対応する身分序列共認によって統合されている。 
 
ここで、富国強兵共認と身分共認は現実の共認であるが、精霊信仰⇒守護神信仰的なものはどうなったのか? 
 
それに代わったのが古代宗教であるが、守護神信仰の神々と宗教の神や「天」等には大きな違いがある。守護神信仰の神々には人間臭さがあって、良い神さまもいるが、悪い神もいて大酒を飲んだり暴れたり強姦したりしている。ところが宗教上の神は、完全無欠の存在として登場してくる。なぜ、このような完全無欠の神が必要となったのか? 
 
支配圧力⇒力の序列原理⇒永世固定の身分制度によって、民の苦しみが常態化し、救い期待(欠乏)が登場した。この救い期待がなければ奇麗事のような宗教(神)が登場する余地はない。 
 
そして、苦しみの原因が富の拡大欲求や私権意識にあることは明白なので、富の拡大欲求や私権意識といった人間の醜い部分を捨象した本源風の普遍的な価値を掲げた古代宗教が登場したのである。 
 
古代宗教が登場した背景には社会統合機運(期待)があったというのが従来の認識であったが、この認識は修正が必要である。背景に社会統合期待があったことは否定できないが、それよりも強かったのは身分支配の苦しみ⇒救い期待であり、それに応える形で古代宗教が登場したのである。 
 
10/17なんでや劇場(2) 原始時代~部族連合時代~武力支配時代

古代宗教の代表であるユダヤ教の成立構造をみてみましょう。 
 
ユダヤ教が成立するのは、ユダヤ民族が新バビロニアに連れて行かれ、捕囚状態に置かれた時代です。

バビロニア社会では、現実の支配部族の力関係を反映して、諸民族の神々が序列下に置かれていた。支配部族の神は主神マルドゥクであり、その下に、諸神が続く。捕囚状態のユダヤ民族の神ヤハウェは、現実世界を前提にすれば、最下級神でしかない。 
 
バビロン捕囚は、ユダヤ民族の中に、帰化していく人々を生み出し、ユダヤの神ヤハウェの力は衰えていく。 
 
ユダヤの司祭階層にとっては、正に、危機的な状況である。この司祭階層が、自らの存在を主張、正当化するには、神々の序列(現実の支配序列)の外側に、序列関係を否定した神を捏造するしかない。現実世界の支配序列(序列関係にある多神)を否定した、唯一神をつくり上げたのである。 
 
バビロン捕囚後、この唯一神で観念武装したユダヤ民族はカナンの地に戻る。しかし、アレクサンダー大王の征服、エジプト・プトレマイオス朝の支配、最後にローマ支配と、決して、現実世界では、民族としての安定・隆盛期をもつことはない。 
 
現実世界での支配序列(それを反映した神々の序列)では、千数百年に渡った敗者民族であるユダヤ民族が、その存在不安を解消し、誤魔化し・捏造したのが、唯一神(一神教)なのではないだろうか。 
 
ユダヤ教の一神教は、何故登場したか? 現実世界の序列(神々の序列)を観念否定したユダヤ司祭階層

このユダヤの神は、極端に破壊的な神であり、自然の摂理を包摂した同時代の守護神達とは、徹底的な対立を、ユダヤ民族に要求します。 
 
自然現象も、怒れる唯一神の罰として描かれ、自然の恵みはどこにも登場しません。 
 
古代宗教(ユダヤ教・キリスト教)は、唯一神・絶対神を作り上げることで、自然の恵みを無視し、自然は、神に帰依する選民にとって、敵対物となったのです。 
 
自然の摂理、自然圧力=自然の活力・自然の恵み という意識構造から、自然は、選ばれた民族(人々)により、征服する対象物となったのです。 
 
これは、自然認識の倒錯にほかならないのです。 
 
 
次回は、このユダヤ教・キリスト教の西洋と自然の摂理意識を濃厚に残している東洋との違いをみていきます。 
 

List    投稿者 leonrosa | 2010-12-30 | Posted in A.史的構造認識から紐解く環境, A04.社会期待の歴史No Comments » 

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