2022-08-16

磁力の発見の歴史(近代)③~17世紀の機械論哲学(ガリレイ、デカルト)と力

16世紀後半から17世紀の初めにかけて、技術に進捗とヨーロッパ人の活動範囲の拡張により、それまで知られていなかった自然の諸相が明らかになっていったことで、アリストテレスとプトレマイオスの宇宙像が随所で綻びを見せるようになってきた。地球に関する知識の広がりに伴い磁石と地球磁場について多くの事実が判明したことや、17世紀初頭の望遠鏡を用いたガリレイによる惑星の衛星の発見や月面観察のように、新しい観測機器が新しい世界を開いたこともある。さらに、チコ・ブラーエの精密な天体観測が知識をより精密化させたことで、これまでの理論の不十分性や観測との齟齬を暴き出したことも大きい。ギルバードの磁気哲学やケプラーの惑星運動論は、このような時代背景の中で生み出されてきた。一方で、事実の発見に論理が追い付かない(ギルバードはアリストテレスに囚われていたし、ケプラーも新プラトン主義の土俵にあった)状況になっていた。そのため、17世紀になると、アリストテレスや新プラトン主義にとって代わる新しい学問、哲学の創出を目指す動きがヨーロッパ全土で湧き上がってきた。

 

ここで登場したのが、通常はガリレオ・ガリレイ(1564-1642)やルネ・デカルト(1596-1650)と語られているが、共にケプラーの楕円起動の意義を認めることができず、近代宇宙論の要となる万有引力の発見には至っていない。彼らが、提唱した自然観は「機械論的自然観」と呼ばれており、それは、物体の幾何学的形状と大きさ、そしてその運動や配置や個数のみを客観的なものと考え、物体が呈するもろもろの感性的性質を被説明事項とみなす還元主義となっている。

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〇ガリレイと重力

ガリレイは、1590年の『運動について』において、落下を重量物体の自然運動とみなし、また、1613年の『太陽黒点に関する書簡』でも「私の観測するところ、自然的物体は、重い物体が下方に向うようにある運動への自然的傾向を持っています。こうした運動ななにか隠れた障害も妨げられないかぎり、特殊な外的起動者を必要とせず、内在的原理に基づき、自然的傾向によってなされます。」と語っている。この限りでは、アリストテレス自然学に囚われていたといえる。最終的にガリレイが地上物体の落下運動について行き着いた立場が最晩年(1638年)の『新科学講和』で語っていることから、ガリレイは、物体は「なぜ」落下するのかというそれまでの自然学の設問それ自体を退け、物体は「どのように」落下するのかという問題に自然科学の守備範囲を限定している。

ケプラーと異なりガリレイは自然学から存在論を追放したがために、そこには力概念が完全に欠落したものとなり、その意味でガリレイの力学は動力学に到達するこができず、数学的運動学に留まっていた。新しい宇宙像のために闘った闘士として地動説の殉教者のように云われているガリレイであるが、実は惑星運動のダイナミズムについては全く無知であり、『ケプラー全集』の編者マックス・カスパーの云うように「ガリレイは天体力学という観念を捉えるのに完全に失敗した」のだる。

 

〇デカルトの力学と重力

デカルトの自然観も機械論と云われ、物質が無性質で不活性で受動的な存在であるという前提はガリレイのもとの同一となっている。デカルトにとっての自然学は、その機械論的物質感を「明晰判明な第一原理」とし、そこから厳密で隙のない推論により論理的にすべてが演繹される天下りで硬直した閉じた体系である。そればかりかデカルトにおいては、感覚は「認識を妨げかねない」ものであり、そのため実験的検証はほとんど顧みられない。

デカルトは「運動の第一原因」として「神は宇宙の中につねに同量の運動を保存している」という命題を置き、デカルトの力学原理を導き出している。ここで、デカルトは、ケプラーがつまづいた、そしてガリレイが実は不完全な形で表現した「慣性の法則」をはじめて正しく定型化し、同時に「運動量の保存則」の萌芽的形態=衝突の際の運動のやり取りを提唱したことで、初期の力学理論の発展に大きな功績を残している。しかし、デカルトの立場は、物体間の相互作用は、一定の延長をもち幾何学的にのみ特徴づけられる無性質の物体同士の直接的な接触による運動伝搬=衝撃ないし圧力しかないとしている。(デカルトの力学も力概念の欠落した衝突の理論にすぎない。)そのため、デカルトは、宇宙空間には微細な物質が充満し、それがそれぞれの天体の廻りで大きな渦動を形成していると考えている。(デカルトの「渦動仮設」)。デカルトによると、太陽系に動きは、太陽のまわりに巨大な渦動があり、これによって惑星が運ばれ、同様に地球のまわりにも渦動があり、これによって月が運ばれるということとなる。

 

このようにガリレイもデカルトも、ケプラーの画期的な発見(三法則と重力概念)の意義をあらゆる意味で掴み損ねた。とりわけ天体間の重力については、理解されなかったというよりは、むしろ拒否されたというべきだろう。17世紀前半の機械論哲学は、既に死に体のスコラ学にかわって自然を合理的に説明すると勇ましく宣言して登場したが、現実には潮の干満はもとより重量物体の落下と云うような日常的なことさえ説明に窮していたのであった。

 

【参考】山本義隆著 「磁力と重力の発見」~3.近代の始まり~

List    投稿者 kurahasi | 2022-08-16 | Posted in G.市場に絡めとられる環境問題No Comments » 

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