2010-01-02
環境を考えるには構造認識が不可欠!『潮流5:失われた40年』
潮流シリーズの5回目、今回は『潮流5:失われた40年』について考えてみたいと思います。
『フリー素材屋』より |
この国債発行→バブル経済、そしてその後のバブル崩壊から経済危機に至る流れの全ては、市場拡大を絶対命題とする特権階級の利権維持およびその特権の維持と固く結びついた彼らのイデオロギーが生み出したものである。
~・中略・~
本当は、’70年、豊かさが実現された時、「市場は拡大を停止するしかなくなった」のだという現実を直視し、素直に『ゼロ成長』戦略を打ち出していれば、現在見るような経済危機に陥ることもなく、また国際競争力を失うこともなかったのである。
問題は、国債投入なしには市場を維持できないという事実、つまり自由市場など絵空事であって、現実には、国家市場(国家によって支えられた市場)しか存在しないのだという事実から目を背らし、「自由競争・自由市場」という幻想を捨てようとしなかった点にある。要するに彼らは、事実に反する(彼らには都合のいい)イデオロギーに固執し続けてきたのである。
では、エネルギー開発・政策という点ではどうであったのでしょうか?
物的豊かさが実現した’70年以降も、相変わらずエネルギーを消費し続けたのでしょうか?
エネルギー消費・自給率の視点からみてみたいと思います。
以下に一次エネルギーの供給実績があったので引用します。
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投稿者 yoriya | 2010-01-02 | Posted in A.史的構造認識から紐解く環境, A02.環境を考えるには構造認識が不可欠!, E.次代を担う、エネルギー・資源, G.市場に絡めとられる環境問題 | 1 Comment »