2020-08-15

物理世界は決して機械論的な世界ではなく、物理世界と生命世界は地続きである

コロナ禍でも顕著だが、「マスコミ×専門家」によって人々の思考が支配され、現実と断絶した仮想現実のような世界が現実として経済を物流を動かしている。これを機会に一人でも多くの人が自分の頭で考えだすことによってしか、世の中は変わらない。

 

そのためにも「マスコミ×専門家」が寄って立つ、「近代思想・近代科学」のおかしさに気づくことは非常に重要だ。

 

https://blog.goo.ne.jp/nora_tasuku/e/e4c6caf5dc983b1388e90012b0760ebb の記事を参考に、近代物理学の誤りについ追求していこう。

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光や電子のふるまいを理解する上で、近代物理学は「光や電子などの量子は波であり粒でもある」という結論に至りました。この、いくら文字で聞いてもわからない不思議な「量子」のふるまいと、その量子力学の明らかにした自然界のありようを理解するのに最適なのが、有名な「二重スリットの実験」です。

 

<波であると同時に粒である?~2重スリット実験>

 2重スリット

   (2重スリット実験の図)

 

真空状態の実験装置の中に電子銃があり、その前に2つのスリット(隙間)があり、その後方には電子が当たるとカメラのフィルムのように感光して跡を残すスクリーンがあります。

 

(0)スリットに向けて、光を当ててみます。すると、スクリーンには下図のようなしましまの模様ができます。このしましま模様は、光が波としてスクリーンに伝わっていることを示すもので、つまりスリットAから出た光の波と、スリットBから出た光の波の、山と山の重なるところが強め合って、谷と谷の重なるところは弱め合うことでできる干渉模様です。

干渉模様 

(光の干渉模様)

 

(1)次に、電子銃から電子を一粒だけ発射してみます。するとスクリーンには点がひとつ記録されます。これは疑いようもなく、電子が粒子としてスクリーンに飛ばされていることを示すものです。

 

(2) 電子をしばらく打ち続けてみると、驚いたことにスクリーンには、(0)の実験のときと同じ、干渉のしましま模様が浮かび上がってくるのです!一粒づつ飛ばされた電子には(高速で移動しているので)強め合う相手も弱め合う相手もいないはずなのに!です。

 実験

(2重スリット実験画像)

 

(3) さらにここで、ほんとのところ一粒の電子がどのように伝わっているのか確かめてやろう!と、スリットとスクリーンの間に電子の動きを見るセンサーを取り付けてみます。

すると様子を見ようとした瞬間、つまりセンサーが電子を一粒の粒子として捉えた瞬間、しましま模様はパタリと起きなくなるのです。

 

<波であると同時に粒である?~2重スリット実験>

 

一体ぜんたいミクロの世界ではどんなことが起きているのか?(2重スリット実験について、)世界中の天才たちが考えに考えて、実に様々な解釈が議論されましたが、結果として物理学会の定説として落ち着いているのが「ものは観測されていないときは”波”で、観測された瞬間に波が収縮(確定)して”粒”として一か所に決定される。」というあまりに常識はずれな結論を導き出しました。

 

「ミクロの世界では物のありようが確率的にしか予測できない?」

「物は誰も見ていないときはあやふやで、見た瞬間に物になる?」

 

これには、一緒に量子論を作ってきた多くの物理学者も猛反対!物理学会は「あいまい」賛成派と反対派で真っ二つに分かれました。

 

それまであらゆる常識をぶち壊しまくってきたアインシュタインも「宇宙原理の根本に“偶然”の入り込む余地は無い。神は宇宙相手にサイコロ遊びはしない!」と、死ぬまで反対しました。しかし、アインシュタインの死後、「あいまい」な量子論の正しさが次々と証明されていきます。

 

つまり、自然界の事があいまいにしか解らなかったのは、測定装置の技術や、人類の無知のせいではなく、自然界が本質的にあいまいにできていたことによるもので、古代哲学の「不正確さ」を否定することで生まれた物理学が、やっとのことで辿りついたのは、皮肉にも自然界の「不正確さ」だったのです。

 

<ありえないことなんてありえない>

 

あいまいであることから導かれる自然界の持つ本質の一つが「無限の可能性」です。そのことを現実的に示すものの一つにトンネル効果というものがあります。

 

これは絶縁体の中の電子がごくまれに絶縁体の外へとすり抜けてしまう現象で、実際にこのことを利用したトンネルダイオードなる電子部品もあるそうです。信じられないことですが、これは壁に向かって投げたボールが壁をすり抜ける可能性が「全く無い」のではなく「ほとんど無い」だけであることを示しているのです。可能性が「ゼロ」なのか、ゼロに限りなく近くても「ゼロでない」のかの間には、実に「無」と「無限」との差があるのです。

 

※トンネル効果について

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB%E5%8A%B9%E6%9E%9C 

 

さて、この自然界では、科学的に説明のつかないとされる不思議なことが数多く目撃されています。そのようなことに「科学的根拠が無い」とか、「科学的に言って絶対有り得ない」等と言っている人は、科学について、義務教育に毛が生えた程度の知識しか持ち合わせていないことを暴露してしまっていると言えます。

 

可能性”0”が存在しないこと、この世界に「ありえないことなんてありえない」ということは科学的にとっくに明らかになっていて、この世界は”科学的に言って、何が起きてもおかしくはない”のです。そもそも科学法則なんていうものは、先に自然界があって、その中から人間が法則性を見つけてきて、便利に使っているだけであって、その逆ではありません。自然界が人間の考える法則に、必ずしも従ってくれるとは限らないのです。

 

量子論が明らかにした自然界の真実。この世界はAという入力をした時にBという出力がされる、というような機械的なしくみではない。Aという入力をした時、ほとんどの場合はBだとしても、それ以外である”可能性”を必ず残す。そして、この機械的な正確さでは持ち得ない”可能性”こそが「生きている」ということなのです。 

 

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<物理世界は決して機械論的な世界ではなく、物理世界と生命世界は地続きである>

 

「2重スリット実験」は、「物質世界は曖昧さor偶然性を内在させているのかどうか」という問いに行き着く。そして「トンネル効果」等の最新研究は、この世界は”科学的に言って、何が起きてもおかしくはない”という事実を明確に示している。

 

「生命は先端可能性へと収束する」「しかし可能性は一通りではなく無数の可能性の中から外圧適応的なものに変異していく」というのが生命の構造だが、物理世界も、その発生確率の差こそあれ、同じ構造を持っているのだ。西洋発の「自然を支配する科学思想」から自由になって自然をとらえれば、物理世界は決して機械論的な世界ではなく、物理世界と生命世界は地続きであるということがわかってくる。

List    投稿者 tutinori-g | 2020-08-15 | Posted in G.市場に絡めとられる環境問題No Comments » 

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