2010-01-06

環境を考えるには構造認識が不可欠!『潮流9:経済破局を突き抜けてゆく充足・安定・保守の潮流』-1

今回は『環境を考えるには構造認識が不可欠!』シリーズの、今までの流れのまとめからはじめます。
   
第1回  環境を考えるには構造認識が不可欠!『潮流1:共認原理と私権原理』
   
今まで、人類社会はどのように統合されてきたのだろうか?

1.jpg人類500万年を貫く統合原理は、共認原理である。事実、人類は500万年に亘って課題を共認し、役割を共認し、あるいは規範や評価を共認して存続してきた。そして、個体(の意識)や集団や社会は、人々が、それらの共認内容に強く収束することによって、統合されてきた。又、そこでは、集団を破壊する自我や性闘争は、永い間、封印されてきた。

このシリーズは、エネルギーや環境の問題を、“市場”を前提に、“環境”という抽象観念で捉えるため、原因が見えなくなってきているのではないか?という問題提起から出発しました。そして、そこを超えるには、市場の構造も踏まえた環境問題の根本原因の分析が必要になってきます。そうすることで初めて、実現方針を構築できるようになる、というものでした。
     
そしてこの問題を考えるための、切り口として『共認原理と私権原理』という人類が経験してきた2つの統合様式を取り上げています。なぜならば、環境破壊の最深部には、共認原理が私権原理に侵食されたという事実あるからです。この侵食により、人類は、自然を共認対象から略奪対象へ転換して環境問題を起こしてしまいました。
     
だから、環境問題を解決するための、次代のエネルギー・資源のパラダイムは、自然や仲間を共認対象としてとらえる、人類500万年を貫く共認原理に委ねる必要があるのです。そこでの、追求対象は、単に自然科学的領域の問題にとどまらず、集団・社会の構造の大転換という問題も含まれてくるのです。
     
ところが、現在の環境問題は、自然科学的領域の問題に終始し、集団や社会構造は対象化していません。これは、環境問題の本質は市場での自由な私権獲得競争であるという事実を隠蔽するため、科学的装いによって、あたかもこれが環境問題のすべてであるかのように思わされているからです。
     
これが、みんなが感じる現在マスコミから流される環境問題への違和感の原因だと思います。
     

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