2016-02-03

植物と人類の共生関係 ~何故植物の葉は全て緑色なのか?~

唐突ですが、植物の葉は一部を除いてそのほとんどが緑色です。

当たり前の事実ですが、しかし『何で?』と問われると不思議な点が多く出てきます。

私達が対象を「見る」ということは、その対象が光を吸収、反射し、その反射した光の色の周波数によって、その対象が何色なのかを認識します。

つまり、植物の葉が緑色に見えるということは、緑色の光を「反射」していることになります。

 

しかし、可視光線の色の中で、実は最もエネルギーの高い色はなんと「緑色」なのです。

これ不思議だと思いませんか?

彼ら(植物)にとって、最も効率の高い緑色の光をわざわざ捨てて(吸収せず反射して)いることになるのですから。

 

この”なぜ植物が緑色なのか?”はどうやら植物学の永遠の謎とも言われているのですが、その何故に仮説を立てたブログがあったので紹介いたします。

以下、『植物が「緑色」であり続ける理由がわかった! そして人間の生活システムの完成は「植物との完全な共生」にあるのかもしれないことも』/In Deep様より引用(※一部修正・構成変更しております。)

※画像は全て引用元からお借りしています

 

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★ ★ ★ 植物が生存のためには「非効率的な色」をしている理由

植物が緑であることの「謎」は、植物以外のすべての生物、たとえば、哺乳類、爬虫類、両生類、魚類、昆虫やそれに類するものから、微生物や細菌などに至るまで、あらゆる生物は種により様々な「色」を持っています。

 

花に止まる蝶                プランクトン

しかし、地上の植物は、ほんのわずかな例外を除けば、その葉は緑色です。地球上のあらゆる生物の中で、植物ほど、どの種類もすべてが同じ色を持っているというものはいないのです。花の色や大きさ、葉や全体の形、 育つ環境や、生育のしくみなどは、植物ひとつひとつでまったく違うのに「葉が緑である」ことから外れた植物はほとんどいない。

ここには何か地球の創造と関係するような「大きな必然性」があるはずです。

偶然でこんなことになるわけがない。

まず、最初に、この問題の最も大きな壁であるひとつの事実、

「光と水で生きている植物にとって、実は、緑色という色は最も効率が悪い」

ということを少し考えてみます。

 

★ ★ ★ 緑色は植物の生存には最も適さない

まずは、4年前の記事でも抜粋しました、社団法人 日本技術士会 北陸本部のウェブサイトにあります

「彼らはなぜ「緑色」を選んだのだろうか・・・???」というコラムから抜粋します。

ほとんどの植物の菓っぱは緑色をしている。そんなことはあまりにも当たり前すぎて、以前はな~んも気にならなかった。毎日空気を吸いながら、空気の存在そのものを忘れてしまっているように。私がこの世に生まれるずっとずっとず~と以前からそうだったはずだし、私が神に召された後もやっばりず~とそうだろうと思う。(略)

植物の葉が緑なのは、「葉が緑色の光を反射あるいは透過し、他の色の光を吸収している」という理由による。

つまり、葉は緑色の光をあまり必要としないということである。光のエネルギーを取り入れて糖を生産(光合成)するのに、緑色の波長領域のエネルギーを捨てた……ことを意味している。

 

ところが……である。(私の記憶に間違いが無ければ、ここが重要!!)

地球に届く太陽光の強さと波長との関係を見ると、緑色の光に強さのピークがあるらしい。最強の緑色光を使えば、例え曇天の日でも光合成が可能となるんじゃないか? その方が明らかに効率的ではないか。

光のエネルギーを利用して光合成を行う植物が、最も強い光を吸収しないで捨てる。そういうメカニズムになっている植物たちって、一体なんでやねん!?!

なんでそんな非効率的で訳のわからん選択をするのだろう?

単に、神様の御戯れかな???

 

数億年も前に植物が誕生してから、ずっとずっと緑で来たのだろう。だから、緑であることが何か非常に重要な合理性を持っているはず。

そして植物たちが選択して来たその合理性は、強いエネルギーの光を捨てて相対的に低いエネルギー利用を選択することの意味を納得させるだけの説得力を持っているはずである。(どなたか、知っている人がいたら是非教えて下さい!!!)

35年も見続けて来ながら、そんな基本的なことすら解っていなかったのだなあ~と、かなり凹んでいます。彼らが緑である理由はいまだに解りませんが、自分の無知さ加減は身にしみて解りました。

 

このコラムを書かれた方は、植物と35年も付き合ってきた方だということのようですが、それから4年経っていますから、お元気なら、植物と付き合って 40年ということになりそうです。

この方の持つ疑問とは、「太陽の光と色の関係」と「色はどうして、その色に見えるか」ということから考えてくと、わかりやすいと思います。

 

★ 色の発生の原理

太陽光がその物質に当たったときに、光は、

・反射する光

・吸収された光

とにわかれます。

light-color

 

上の図にありますように、「目で見える色は、反射した太陽光」ということで、実は、私たちは物質の色を見ているのではなく、

「反射した光が目に入ったものを脳で感じているだけ」

だということになります。

 

たとえば、植物なら、その葉が緑色に見えるということは、植物が緑の光を「吸収しないで反射している」から緑に見えていることになるという理解でいいのではないかと思われます。

下の図は色の分布で、図の下に「電波」とか「マイクロ波」とかが書かれてありますが、つまり、私たちは電波とかマイクロ波とかいう「波長に色を感じている」わけです。波長に色などはついているわけもないのに、私たちはそれを「色」と認識します。

 

spectrum

光のスペクトル

 

上の図の「色のスペクトル」を見てみると、真ん中に緑色があることがわかると思います。

つまり、緑の光は「強い光」なのです。太陽光の中で最も強い緑の光を、植物は「吸収していない」ことになるのです。

ここから考えますと、光合成で生きる植物にとって、自分の体が緑色であるということは、非常にエネルギー効率の悪いことになっているのです。緑色の光は強いものですので、これを吸収するほうが良いはずです。そして、体の色としては「黒」がベストです。

 

しかし、植物はそれを選ばないで、最も非効率で不適切とさえいえる緑色で生きている。(しかもほぼ例外無く!)

 

★ ★ ★ 植物は他生物と共生するために存在する

ここまで書いたことは、簡単に書きますと、

【光で生きる植物が効率よく生きるためには、緑色ではないい方がいいのに、現実は植物はほぼすべてが緑】

ということで、これは一種の永遠の謎とされています。

 

地球の植物の多くが「光で生きている」のに、その生存のために最も効率のいいはずの緑の光を「拒絶する色」である緑であることを植物は選んだということになります。

エネルギー生成の観点からは、本来は「植物の色は黒に近いほうが理想的」です。

なぜ、植物は黒にならなかったのか。

 

植物という存在は完全なもので、進化上の間違いなどということがその歴史の中で起きるわけがない。

効率だけ考えるのなら、植物は緑色など選ばなかったはずです。なので、「効率」以上の理由がそこにあるはずです。

 

私たちの多くは、緑を見て「美しい」と思えますが、なぜ、このような美しい光景を保って、あるいは「自らの生存条件を弱くまでして」植物は緑色の存在として長い年月を地球で生きてきたのか。

 

もっとも光合成の効率の悪い色を選んでまで、植物が緑であり続ける理由は何なのか。

 

前回の植物での発電の記事でご紹介したものの中に下の文章があります。

実はこの部分を読んで、今回のことに気づいたのでした。

 

プラント- e 社は、植物が光合成をする際に、その 70パーセントが使われていないことを発見した。

根を通って排出されるその廃棄物は C6H12O6 (グルコース)の化学構造を持っており、それが微生物によって分解され、二酸化炭素(CO 2)、プロトン(H+)と電子(e – )になる。

生きた植物と生きた微生物と水のコラボレーションが生み出した驚異の発電法

 

なーんと、植物は、光合成において 70パーセントもの「無駄」を作り出していた。ただでさえ効率の悪い「緑色」の体をしている上に、70パーセントもの無駄を出しているなんてのは、やはり植物は不完全なものだった?

 

しかし、植物の意志はどうであれ、これで助かる存在があります。

それは人間です。

 

植物が無駄にした廃棄物があるからこそ、人間はそこから「エネルギー(電気)」を取り出すことができます。

電気はこの地球上で人間だけが使うものです。

その源となるエネルギーが、植物という人間の身近で自然発生している。

しかも「あえて植物が無駄な光合成の効率をとる」ことによって、初めてそこに電気というエネルギーが発生する条件が生まれている。

そして、植物が、光合成を「効率悪く」おこなえばおこなうほど、電気転換の効率は良くなる。「効率悪い光合成のため」に最も適した色は何か?

 

それはおそらく「緑色」です。

そして、その理由が「植物は人間(他生物)と共生するために存在しているから」だと思うに至ったのです。

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以上、引用終わり

 

いかがだったでしょうか?

『植物が緑色なのは、人間(あるいは他の動物)との共生する為だった』というものですが、面白い仮説だと思います。

 

以前、当ブログで微生物の適応戦略は、“他者との共生”という方法によって貫かれているという論考をアップしたことがありますが、

 

微生物は単細胞生物に属しており、その名前から単体で生きているように思われますが、初期段階から“群”として交信による外圧共有と適応を行っており、いわば、「集団で生きることが生命を貫く基本原理」と言えます。

微生物の共生は、多細胞生物の各部位の正確な連携で外圧適応していく機能に比べて、その正確さは劣りますが、その適応レンジが非常に幅広い広いことが分かります。それゆえ、多細胞生物が生まれるずっと以前から現在まで、大きな環境変化を潜り抜け、生きてこられたのではないかと思います。

~微生物の群生による有機的な分解メカニズム~

 

この基本原理は人間や微生物だけでなく、植物にも当てはまるのかもしれません。そして、それは植物という種との共生をも飛び越えて、人間や他の動物との共生という可能性を秘めているのです。

List    投稿者 tutinori-g | 2016-02-03 | Posted in G.市場に絡めとられる環境問題1 Comment » 

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コメント1件

 kamuna | 2016.09.27 4:37

緑色について語っている、
「もののケのしおり」ちゃんという11歳の少女の仮説が面白いので、ぜひご覧ください。
植物の緑=保護色。なんのためか?

共生ではなく、人類社会と、光から身を守るため、です。
ウランと同じですね。反射しています。
 
地球の本来の構成要素は水と火が本来であり、水と光ではありません。

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