2010-01-08

環境を考えるには構造認識が不可欠!『潮流9:経済破局を突き抜けてゆく充足・安定・保守の潮流』-3

シリーズ最終回です。
第9回  潮流9:『経済破局を突き抜けてゆく充足・安定・保守の潮流』
    
現代の環境問題も、特権階級による市場原理一色に染まった法制化が存在するため、共認収束への転換を阻害しています。しかし、そのような特権階級の暴走にも一定の歯止めがかかる可能性が出てきました。

自民→民主→その後の再編における支持の方向が固まり、特権階級の暴走がある程度抑止されるには、3年を要する。しかも、特権階級の暴走が抑止されても、大衆的な目先の制度収束はしばらく続く。しかし、次政権によって特権階級の暴走がある程度抑止され、その後の政界再編における支持の方向が明確になってゆくにつれて、特権階級というリード役を失った目先の制度収束も急速に衰えてゆかざるを得ない。
    
それどころか、暴走を生み出した危機発の目先収束にしても、その危機が倒産・失業30%→米・中の秩序崩壊(暴動・殺し合いから国家分裂)として現出すれば、もはや目先の制度にしがみつき、そこに収束し続けることは困難になる。おそらく、マナーファシズムは吹き飛ばされ、試験制度収束もかなり揺らいで、いよいよ大学の存在理由が問われ始めるだろう。

それは上記のように、共認収束の大潮流と、予測される経済破局による秩序壊滅の2つの流れからです。そして、この条件が整ったとき、特権階級の暴走も目先の制度収束も息の根を止められます。しかし、その時はもうひとつの大きな課題が登場します。
       

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それは、行動のスタンスにつながります。

これから始まる経済危機の本番は、間違いなく生存圧力を急上昇させ、改めて闘争・挑戦etcの実現可能性を広げる。従って、40年ぶりに男原理を復活させてゆく。
そのような状況下では、あるいは否定発の変革期待が強まり、我々はあくまでも充足発の共認収束の潮流に乗って、実現策を提起し続けるべきであろう。
   

つまり、経済危機の本番には、特権階級打倒に代表される否定発の行動ではダメで、あくまでも充足発の共認収束の潮流に乗って、実現策を提起し続ける、ということです。現在でも、環境問題の欺瞞振りをあげつらうだけの発信は、本筋ではない対立を煽り、無駄なエネルギーを使うことになっています。  


その実現基盤は、すでに用意されている。
すでに、私権欠乏の衰弱(or崩壊)は誰の目にも明らかであり、私権圧力も衰弱(or崩壊)している。私権原理が崩壊してゆく流れは、もはや変えようがない。
    
また、頭の中の「否定」も「自由」もすでに空中分解して終っており、「否定と自由」発の近代思想=架空観念はもはや機能しない。ましてや騙しの架空観念にこの危機を導くことなどできる訳がない。
    
加えて、’70年以来の充足志向・安定志向の潮流は、すでにはっきりと「節約」意識へと収束している。云うまでもなく、節約とは、言葉の本来の意味での保守意識そのものである。

この3点つの実現基盤から、おおきな行動の転換方針が見えてきます。
    
(1)私権欠乏の衰弱(or崩壊)、私権圧力も衰弱(or崩壊)、その結果、私権原理が崩壊。
  ⇒序列原理にかわる共認原理での統合。
   
(2)「否定と自由」発の近代思想=架空観念の機能停止。
  ⇒要求するだけの個人から当事者への転換。
   
(3)‘70年以来の充足志向・安定志向の潮流が収束する「節約」という保守意識。
  ⇒自分のための過剰消費から、みんなが求める節約へ。
    
これらはどれも共認社会の行動規範の中核になります。

経済破局下においては、何よりも『食料の確保』『仕事の確保』etc実現能力が問われる。しかし、盲滅法に動くのは危険である。そこで、行動を導く道標が必要になる。
    
その時、初めて「どうする?」という根源的な当事者意識が生起し、みんなの期待に応えて、その答えを求める潮流=認識収束の潮流が生み出される。(新たな認識収束の潮流は、すでに若者の先端層に顕在化してきた。)       
ここで求められるのは、経済危機を突き抜けてゆく確かな見通し=この危機を導き出した近代市場と近代思想を根底から突き抜け、乗り越えてゆく新理論である。
    
ここにおいて、’70年、生存圧力の弛緩によって生起した40年に及ぶ充足・安定志向(女原理)は、目前の危機を突破する新理論の実現期待を男原理に委ねることになる。
    
かくして、男女を包摂した実現期待⇒認識収束の潮流は、当然、充足発の実現方針(⇒答えを出せる新理論)へと収束してゆく。そして、実現方針への収束が進むにつれて、’95年以来の危機発の秩序収束も、実現方針に基づく充足発の新秩序の中に完全に吸収されてゆく。
    
しかし、暴走を制止し、共認原理に基づく新秩序が確立されるには、少なくとも10年は要するだろう。その間、残存する私権派(とりわけ第一権力たるマスコミ)との闘いは続く。おそらく、マスコミの解体=マスコミに代わるネット上の統合サイトの実現をもって、この闘いは終るだろう。その時、はじめて、共認原理に導かれた共認社会が実現する。

日経ビジネスさんよりお借りしました

このように、『経済危機を突き抜けてゆく確かな見通し=この危機を導き出した近代市場と近代思想を根底から突き抜け、乗り越えてゆく新理論』をもとに資源・エネルギー・環境問題を考えていく必要があります。
    
その視点で、現在の環境・エネルギー政策を捉えなおしてみると、豊かさが実現されて以降も増え続けるエネルギー消費量の増加カーブを延長して、何十年後にはいくらのエネルギーが必要になるという予測からはじまります。だから、それをまかなうエネルギー開発が必要で、例えば20年後の絶対消費量が’70年の3倍になるという結論が導き出されてしまいます。
   
これは、市場拡大絶対という固定観念から来ています。もう既に、物的欠乏も私権欠乏も衰弱しきった現代に、いまさらそれらを再生しても誰も充足しません。同時に、環境問題とは過剰消費(≒必要の無いものの消費)が引き起こした問題でもあります。よって、今の政策では、人々の充足はなくなり、環境は悪化することが目に見えているのです。
    
ではどう考えていけばいいのか?過剰消費をやめればいいのです。そうすれば、将来必要なエネルギー量は、おそらく’70年レベルだと思います。そこで、多くの人にとって問題になるのは、それでは産業が縮小して雇用が無くなる=役割がなくなるという不安だと思います。実はこの問題こそが環境問題を解決する糸口になるのです。
    
何故ならば、永続的な仕事=役割と生活可能な収入とがあれば、共認充足は得られ、いまさら、私権(お金や物や地位)に固執する必要も無くるからです。そうすれば、誰かの役に立って充足することに邁進できます。ここを、確実なものにするための政策が求められているのです。
     
ここで、エネルギー問題にひきつけてみると、現在の、過剰消費を促すためのエネルギー政策では、その供給量と経済効率(≒どれだけ利益が上がるか)だけが問題にされます。その結果、雇用=役割創出も含めた人々の充足より、特権階級の利益が優先され、集団は解体されていきます。
     
だから、これからの新エネルギー開発などの政策は、共認充足を得られる役割や場を、いかに構築していくかをセットで考えて行く必要があります。これは、市場原理からくる経済効率とは真っ向から対立しますが、人々の充足と活力は一気に上がる社会が出来上がります。
     
このような、集団再生にこそ国家の資金を投入すべきなのだと思います。つまり、経済効率より雇用=役割創出の方を優先する政策が必要なのです。これらが、環境やエネルギー政策は自然科学的な問題領域だけでは解決せず、社会領域まで課題の射程を延ばす必要があるという所以です。
  
次に、自然科学的視点以外の新エネルギー開発の条件として、いくつかの視点が出てきます。まずは、経済破局を想定し、日本国内で自給自足できること。また、なるべく地域分散して、地域の自立度を高めることが上げられます。それは、自ら地域社会を担うという当事者意識は、そのまま共認充足につながるからです。
      
また、リグニン段階利用化学工業と林業・農業のような関係で、地域の他の第一次産業とのかかわりの中で、存在できるシステムを作りだすことも重要になります。こうすることによって、自然の摂理の中で生産と消費を考えていくことが産業構造の中に組み込まれていくことになります。これにより、自然は再び共認対象に戻ります。
     
最後に、「節約」に関しては、自分だけの勝手な消費から、みんなが充足する消費への転換ということになると思います。これには、これは多世代にわたって大切にものを利用できる、耐久性のある製品は税を低くし、そうでない製品には高額の税を課すなどの政策も必要になります。
     
ここから、単に多くのエネルギーが取り出せるだけでは共認時代におけるその条件を満たせないことがわかります。だから、たとえ夢の無限エネルギーが開発されたとしても、それを共認原理のなかで制御していく社会システムが必要になってきます。その時は、みんなが認めた分だけ使えるという機能をもった新しい通貨などが出てくるかもしれません。
     
これでこのシリーズを終了します。次回からは、その他の新しい視点を盛り込みながら、新エネルギー開発の具体案を追及してきます。
     
ありがとうございました。

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コメント2件

 通りすがり | 2010.12.26 9:53

質問なのですが、
「他の人々に期待される業種」って何を指しているのですか?
自分的に「農業」=「他の人々に期待される業種」という認識がないので、もっと一般的な名前で教えてほしいです。(ちなみに、興味があるので、深く聞きたいだけで、ブログを批判しているわけではないです^^)

 daiken | 2010.12.26 14:37

通りすがりさん、コメントありがとうございます。
ご質問にある「他の人々に期待される業種」とは、医療・介護・農業・社会事業など、必要ではあるが、現在の市場ではペイしない業種のことです。(参考:潮流5:失われた40年
1970年に、物的な豊かさが実現されて以降、人々は、物を消費することで得られる充足ではなく、人の役に立って充足すること(=心の豊かさ)を求めています。
たとえば農業は、生存に欠かせない食糧生産を担うことで社会の役に立つのはもちろん、共同作業を営むことによって充足を得ることや、子どもの教育など多面的な機能があります。これらは、物を消費することでは決して得られないものばかりです。
こうした人々が必要とする業種に対して、成果に応じた支援金を回せば、人々の活力を上昇させ、十分に経済を活性化することができると思います。

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