2009-10-31
シリーズ 環境問題の核心=「国家と市場」 を超える可能性を考える⑤
超国家・超市場論5 私権闘争・掠奪闘争をどう止揚・統合するのか?
戦後復興後に、三種の神器(白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫) 、その後も新三種の神器(カラーテレビ、クーラー、車) などもてはやされました。豊さを求めて、みんなこぞって手に入れようとしていた時代でした。
みんな「豊かになること 」が活力源 になって、それで社会が回る時代でした。
その後も様々なものが作られ、それを買うことによって豊かさが実現されていきました。
しかし、そのような状況が続いた結果、特に欲しいものがなくなり 、それでも景気を維持しようとして莫大な税金をカンフル剤として投入して借金900兆にも膨れ上がり 、おまけに環境破壊は深刻なものになってきました 。このまま突き進んでいたのでは、取り返しのつかないことになりそうです。
画像はかさこワールドさんからお借りしました。
そこで紹介したいのが、るいネットより「超国家・超市場論5 私権闘争・掠奪闘争をどう止揚・統合するのか?」です。
今後の方向性を見出していくために必要な、正確な状況認識 が示されています。
民主党の温暖化政策~日本は先導役にも環境貢献もできない 2~
引き続き、民主党の温暖化政策を考える上で有効な記事を紹介したいと思います。
前回は、日本のCO2 25%削減は苦労の割りにが世界的にみて影響度が小さいこと、さらに排出権取引に巨額な資金が拠出されてしまうこと、が取上げました。
では『温暖化防止で世界のリーダーシップはとれない』 (アラスカ大学国際北極圏研究センター 赤祖父俊一氏)の続きをどうぞ。ちなみにこの赤祖父氏の記事は「るいネット」でも取り上げられています。
(写真はここからお借りしました。→→→)
*引用開始
ここで学問的問題に移ろう。現在の温暖化を炭酸ガスによるとするのは一つの仮 定でしかない。例えば、想像物の竜のようなものである(実在した恐竜とは異なる)。現在その仮定が IPCC と報道によっていつの間にか「事実」にすり替えられているのである。
IPCC はその仮定を証明しようと、世界中から2500 人の専門家をかき集めた。地球の気候変動には自然変動があることを無視した。そのため、後ほど詳しく述べるように、彼らの2100 年までの気温上昇予測は2000 年から最初の10 年で大きく外れてしまった。実はIPCC そのものに問題がある。
*引用終わり
むむっIPCCの問題って何???
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シリーズ新エネルギー⑤『消費を市場から共認による制御へ(バイオマス技術の可能性)』
イラストは東北大学工学研究科付属超臨界溶媒工学研究センターさまからお借りしました
新エネルギーシリーズは、今回からバイオマスについて連載してみたい。
まずはバイオマスをめぐる状況からはじめよう
バイオマスとは『植物資源でエネルギーとして利用できるもの』と考えてよいだろう。具体的には、植物を食べた家畜排泄物・生ゴミ・木屑・穀物・穀物の茎・草などの再生可能な有機性資源のことさす。これらは、植物が太陽エネルギー、水と二酸化炭素から光合成によって作ったものだ。
この原料を基に燃料としてバイオエタノール、バイオディーゼル燃料や有用化学品を製造することを『バイオリファイナリー』ともいう。リファイナリーとは精製所のことで、石油精製所の植物材料版を作って行くという意味だ。これらの製品のひとつにバイオプラスチックや工業用酵素がある。
この様な技術開発は、地球温暖化防止、循環型社会形成という世論に後押しされて、世界的な流れを形成している。アメリカでも、バイオテクノロジーの急速な進展を基とする産業化の強力な推進を図る国家科学戦略として位置付けされている。しかしこれは、アメリカが安全保障の必要からエネルギーを自給自足したい、という側面が強い。
そして、日本でも、農林水産省の『バイオマス・ニッポン』のように、すでにバイオマスの実用化についての研究開発が始まっている。この中には、地球温暖化防止、循環型社会形成のほかに、農山漁村活性化等の観点も含まれ、新工業製品を作り出すだけというアメリカ・ヨーロッパの戦略に比べて、新しい社会の構造そのものにも注目しているところが特徴だ。
このように、バイオマス利用技術の開発は進んでいるがその方向性に問題もある。とりわけ、アメリカ主導の技術開発の方向性には問題が顕著に現れている。そこで、どの辺りに可能性があり、どこに問題があるのか?を追ってみたい。
人工物質が肉体を破壊してゆく その5 JTの「塩」をどうかして欲しい!!
「命の素」である塩を明治政府は国家専売にしました。
国家による専売と20世紀の工業技術が結びついて、「塩」が暴走します。
るいネットのJTは、タバコより「塩」をどうかして欲しい。(原賀隆一さん)から、日常的に摂取している「塩」がどのように自然の摂理から逸脱しているかを押さえてみます。
1.明治政府は何故、塩を専売したのか?
「タバコ」と言えば、今はJTですが旧は「専売公社」でした。専売公社は、民間で製造・販売したら法律で罰せられる品を(国営で)売っていたわけです。それが民営化したらなぜか社名が「日本たばこ産業」となったのですが、元々「専売品」のトップ商品は「塩」でした。「塩」がなければ人間は死ぬからです。「命の素」を専売していたのです。
日本は日清、日露戦争の戦費を英国(ロス・チャイルド系金融機関)から借金して、その返済手段として、これまた英国伝授である、「塩」を国の専売にしました。そして国は利益を上げるため?外国から安い塩を輸入し始めたため国内の塩田(製塩業)は壊滅状態になりました。
ところが、第二次世界大戦直前、いわゆるABCD網によって海外からの輸入がストップしてしまい、あわてて国内生産をしようとしましたが復旧が追いつかず、 戦中・戦後間もない頃まで非常に深刻な「塩不足」になり、その時「塩欠病」で亡くなった方は数万人とも言われていますが、未だに正確な数字は公開されていません。
さらに戦費完済及び戦争賠償金などもあり、後もずっと平成まで「専売」を続けたのです。ただし戦後でも(輸入も多かったでしょうが)まだ生命維持に必要なミネラルを充分含んだ「自然塩(天日塩)」に近い「粗塩」が主でした。
旧赤穂塩務局庁舎(現・赤穂市民族資料館)
近代建築Watchから拝借しました。
塩の専売は、日露戦争開戦の年である1905年(明治38年)、当時の大蔵省専売局によって始められました。1904年のたばこ専売と共に戦費調達が目的だったのですね。
専売事業は1949年(昭和24年)に日本専売公社(後に日本たばこ産業)に移管、1985年(昭和60年)にたばこ専売制が、1997年(平成9年)に塩専売制が廃止されるまで続きました。現在、塩事業は日本たばこ産業から(財)塩事業センターに移管されています。
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シリーズ 環境問題の核心=「国家と市場」 を超える可能性を考える④
超国家・超市場論4:同類闘争の圧力と共認統合の限界
環境問題の核心部である国家と市場について追求しているシリーズですが、今回は、これからの国家と市場(社会)をどうする?と考える前に、圧力状況、時代背景を始原人類やそれ以前のサル時代に遡って、そこから現在までを貫く普遍構造の把握を試みようというものです。
なんでサルなん?と言う疑問も出てきそうですが、人類は、元はと言えば、木から落ちたカタワのサル。それが、今は、文明(国家、市場)というものを築いて、果ては、立派に(?)環境破壊までする存在になったわけですが、その底流には、サル時代から引き継いだ(進化を塗り重ねた)ものがあるのではないか?それが、現在を考えるヒントになるのではないかということです。
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民主党の温暖化政策~日本は先導役にも環境貢献もできない~
画像はNIKKEI NETからお借りしました。
民主党の温暖化政策ってどんなもの(1)~(3)で、政策の中身を切開しようとしてきましたが、そもそも民主党のCO2削減25%(90年比)はそもそも実現できる数字なのだろうか?また25%を実現したとして、それは本当に地球環境のためになるのだろうか?国際的な日本の評価に繋がっていくものなのだろうか?
今回はこれらを考えるうえで有効な記事を紹介したいと思います。
シリーズ 環境問題の核心=「国家と市場」 を超える可能性を考える③
超国家・超市場論3 置かれた環境を貫く 闘争圧力を把握せよ
環境について意識して、いろいろやっているのに、一向に問題が解決に向かっている気がしないって思っている人って多いんじゃないでしょうか?
エコポイント制、エコカー減税、CO2削減・・・いろいろ動きはあるのだけれど、なんだかズレてる、もしかしたら、悪化に向かっているんじゃないか?
図はダイハツさんよりお借りしました
図はjanjanさんよりお借りしました
鳩山首相が、国際評価を高める目的で、国連でCO2削減目標を1990年度比25%減と発表しましたが、思ったより効果が無く、却って、国内外から現実に即した判断が出来ていない印象を持たれてしまったようです。
写真はPoPBunka!のむふむふBLOGさんよりお借りしました。
これらみんな、みんなが感じている外圧認識からズレた対応・方針であることを示しているのではないでしょうか?
だから、みんな収束できないし、実現・統合される気もしない。
今回は、みなが収束する、統合に至る方針や行動のために、何が一番大事で必要かを明らかにした投稿の紹介です。
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人工物質が肉体を破壊してゆく その4 牛乳の害・徹底追求 後編、現代の牛乳は人工物質に限りなく近い
世界の民族を見渡すと、遊牧部族や欧州大陸の牧畜部族は、2000年以上に渡って、ヤギ、ヒツジ、牛、馬などの獣乳を食して来たのは事実である。その意味では、これらの民族にとっては、獣乳は、危険な食物ではなく、「動物の恵み」である。
一方で、前編で見てきたように、「牛乳の害」が確実にある。
「動物の恵み」と「牛乳の害」の関係を読み解くには、自然の摂理、生物の原理が必要だと思う。
そこで、後編では、以下の点を追求し、「牛乳の害」に結論をつけたい。
そもそも母乳は、哺乳類にとって、どのような意味をもっているのか?
その獣乳を人が食用に使ってきたのは、どうしてか?本当に適応しているのか?
現在の酪農は、年間10ヶ月以上乳搾りをしているが、それは動物の原理を逸脱していないか?
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シリーズ新エネルギー④『都市鉱山の実現可能性を探る』
😉
画像は『時代を読む新語辞典「都市鉱山」』さんからお借りしました。
前回、シリーズ新エネルギー③『都市鉱山は循環型社会の実現基盤』では、レアメタルの基礎知識と、都市鉱山として大量の製品の中に蓄積されている日本のレアメタルの状況、及び、リサイクル技術とその回収体制についての概要を記事にした。今回は、その実現性についてデータを基に検証してみよう。
人工物質が肉体を破壊してゆく その4 牛乳の害・徹底追求 前編、日本人の獣乳飲用とGHQの牛乳指令
グルタミン酸ナトリウムに続いて、今回は牛乳の害です。
牛乳は、牛さんが分泌してくれる「動物の恵み」。「人工物質」といわれると、とても、気になりますか?
少々長い展開になりそうなので、前編、後編に分けて扱います。
日本人は、獣乳飲用の歴史が浅い
採取・漁労民族、穀物・植物食を主体としてきた日本民族は、獣の乳を常食にはしてこなかった。本格的な獣乳が導入されたのは、明治以降の「ヤギ」の移入であろう。
明治の「脱亜欧入」の一角に、ヤギ飼育とヤギ乳がある。中型草食動物である「ヤギ」は、子ヤギを買うとしても値段が安く、飼育の草もただなので、どの農家も飼育が可能だった。だから、「貧農の乳牛」という言葉があるほどである。
ヤギ乳は、明治・大正・昭和と長い時間をかけて、日本人の食物の一角に取り入れられ、農家の自家消費、一部が都市住民の主に「病人食」として扱われていた。
当然ながら、ヤギ乳飲用の危険な側面、不都合な側面は、経験を介して獲得されて行く。(但し、牛乳に比して、危険な要素は小さいのであるが。)
昭和30年代までは、殆どの農家でヤギが飼われていた。実は、筆者leonnrosaも、小学校高学年当時、ヤギの世話をし、毎朝、乳搾りをしていた。
ヤギの乳搾り体験してみませんか?からお借りしました。
ヤギの乳の出方は、子ヤギを出産した直後から、乳を分泌し、2、3ヶ月程度で乳が出なくなる。つまり、子ヤギが離乳できる時期を迎えると、親ヤギは乳分泌を終える。(なお、搾乳用に品種改良されたヤギでは、搾乳期間が6ヶ月に延びている。)
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