2007-12-14

京都議定書~・基準年設定の裏側に迫る・~

京都議定書では、温室効果ガスの削減目標値は1990年を基準としているが、一体なぜ1990年を基準年としているのか?その経緯の情報公開はされていない。

それには様々な説があるようです。
その一つが、「国際エネルギー機関(IEA)の最初の発表(1991年版)であり、その中で使用されている二酸化炭素の排出等に関する統計が1990年になっている。」というものである。
つまり、地球温暖化問題とエネルギー問題は密接な関係があるという観点からであるが、実際には活用可能なものとしてIEAのデータしかなかったというところではないだろうか。

だとしても、1990年以降は活用すべきデータはあった訳で、京都議定書時(1997年)などを基準年とすることも考えられたのではないだろうか?

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【基準年で何が変わるのか?】
1990年以前から温室効果ガスの削減努力を行ってきた国にとっては、基準年が1990年だと不利になります(1990年までの削減努力が報われません)。
しかし、1990年以降に削減した国にとってみれば、その削減努力が反映され有利になります。

従って、基準をいつに設定するかで、それまで削減実績を上げている国が不利になり、上げていない国が有利になります。つまり、基準年である1990年に最も多くの温室効果ガスを排出し、それ以降排出が減少していれば有利になるのです。

【基準年が1990年で有利になる国】
基準年が1990年に設定されて利益を得る代表国はロシアや旧東欧の国々で、これらの国々は低いエネルギー効率のもとで、温室効果ガスの排出は1990年までにピークを過ぎ、以降は経済的・社会的混乱から減少する傾向をたどります。

つまり、そのような有利に働く旧東欧の国々を抱えるEUでは1990年を主張した。これは、この年を基準年とすることで大きく不利側に働くことはないという試算があったからだと思われます。
現に、先進国の中で京都議定書の目標を達成できるのは、イギリスとドイツのEUの国ぐらいのものであるという見方が一般的なようです。

このあたりは、「京都議定書で嵌られた日本」シリーズとして『EU各国が8%の削減でまとまったのはなぜか?』『過剰消費なのに持続可能な開発と言う欺瞞性』『京都会議時点ではなく90年が基準年なのは?』『90年を基準年としたいイギリス・ドイツの御家事情』に記載されていますので、参考までにご一読をお願いします。

【なぜ先進国、特にアメリカは1990年に文句を言わなかったのか?】
アメリカは京都議定書からは離脱しましたが、それまでは、この基準年に異論を唱え、基準年を1995年にする提案などを行ってきました。しかし、いつしかそのトーンは落ち着いてきます。
それには、「排出権取引」が影響していると思われます。

つまり、自国の削減量が多少は多くなっても、排出権取引によって市場に出回る二酸化炭素の量が増え、市場の拡大に繋がり、結果、排出権の単価が下がり用意に手に入るというもくろみがあったのではないのでしょうか。
自国にも多少の痛みがあるが、決して達成できないものではないという見方です。
従って、アメリカは1990年に反対するよりも、削減量を減らすための取引材料として使っていく方向に進むことになります。

この裏付けになるのが、京都議定書にある「ロシア・旧東欧の市場経済移行諸国は温室効果ガス削減に際して1990年よりも以前に設定してもよい」という規定です。
これは、温室効果ガスをもっとも多く出していた時期を選んでも良いというものです(実際にブルガリアやポーランドなどは1988年に設定されています)。




結局のところ1990年を基準年をする考えは、EUの達成可能である予測アメリカの排出権取引による市場拡大という目論見が合致した年であったと言え、温暖化問題の解決策ということには無縁のものであったことが伺えます。

最後までお付き合いありがとうございます。m(_ _)m

by 村田頼哉

List    投稿者 yoriya | 2007-12-14 | Posted in G01.二酸化炭素による温暖化って本当?11 Comments » 

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コメント11件

 simasan | 2008.05.23 17:46

水問題って、人口と食糧問題、市場の問題と、複雑ですね。
地下水を使った農業は限界があることは良く分かりました。
では、天水農業だけで一体どれだけの人口を賄えるのでしょうか?このまま人口が増え続けると、いくら水の循環、再配分を世界規模で調整したとしても、限界があるように思いますがどうでしょう?

 カルビ☆ | 2008.05.23 21:56

う~ん、いまいちよく解からないですね???
まず、地下水による農業は、汲み上げすぎで水がなくなりそう。でも、
>また、全世界的には灌漑面積は全体の20数%でもあり、全世界的に食糧生産力向上の余力を失ったのだとも言い切れません。
からすると、それは農業全体の20%でしかない?(こういう意味ですか?)だから、まだ大丈夫ということですかね?
ところで、農業用水の利用量は増えています。そして、それ以上に、中国などの開発途上の国では、工業用水も都市用水も増えていってます。そうすると、農業だけ取り出して水が足りる、足りないという検討では、事実は見えてこないと思います。
直感的にも、中国などの工業化・都市化による水の使用量増加率は、農業のそれより大きいと思うのですが?それが理由で、中国の農地は北部に追いやられたのでは?
もしそうであれば、残り80%の農地は、工業用の取水源(河川や湖沼)と重なるので、水不足になる可能性があるのでは?
このあたりの、もう少しデータ比較が欲しいですね。
次に、
>地球規模で見れば人間が毎年取水している量は最大限利用可能な水資源賦存量の10%程度、耕地からの蒸発散量は全陸地からの蒸発散量の30%程度と、利用可能な淡水自体が枯渇しているわけではありません。
このときの、『最大限利用可能な水資源賦存量』とはどんな数値ですか?たとえは、河川や湖沼の水量の合計だとしたら、それ自体なんの意味も持たない数値になります。
それは、これらを全て(7割でも)使うと、生態系も、気候も変わるほどの大きな環境変化(破壊)になります。たくさん川に水が流れていても、人間が利用して問題が無いのは、ほんの一部に過ぎないといと思います。
これらのことを、もう少し考えていきたいですね。

 basha | 2008.05.23 23:06

simasanさん、カルビ☆さん、コメントありがとうございます!
水が枯渇する!ということで色々調べ始めたものの、実際のところまだ利用可能な水の限界や実態が掴めてません。
食料生産の問題を考えると、土地の荒廃や水質汚染の影響の問題などもあり、水の量だけ見ていても不十分なようです。
要素を増やしてあれこれ情報をつまみ食いしていくばかりだとドツボにはまりそうなので、まずはカルビ☆さんがあげてくださってる点などを足がかりに、改めて探索の方向と要素とを整理して、大きな枠組から状況をはっきりさせながら継続して調べてみます。

 にほん民族解放戦線^o^ | 2008.05.24 2:51

「コモンズ(共有財産)」のことごとくを商品化し、収奪構造を創り出す連中

前回の続きで、今回も「水商売」について書いてみる。
この話題に関する、『「水」戦争の世紀』(モード・バーロウ & トニー・クラーク,集英社新書)という書…

 かっし~ | 2008.05.24 21:49

読ませて頂いて、わからなくなってしまったところがあります。
①一番最初の地図&グラフで思ったのが、日本って意外と、1人あたりの水資源量、少ないんですね!!『日本=水が豊富』と思っていたので、意外でした。『日本=水が豊か』って何をさして言っているのでしょうか?
②>中東の国々は地下水への依存度が高く、食料生産上既に水資源は危機的な状況にあり、輸入が欠かせない状態です。
“食糧生産上に必要な水を輸入する”ってどういう状況でしょうか?
国際河川を通じて、近隣国から持ってくるっていうこと??(しかし中東の場合、周りもたくさん水がありそうな感じもしないし・・・)
ミネラルウォーターのように、飲料水を輸入し、飲み水にするのはらイメージがつくのですが、農業に使うような水ってどうやって輸入しているのでしょうか?

 basha | 2008.05.26 17:43

かっしーさん、コメントありがとうございます。
①日本が水が豊かに感じられるのは、人口密度は高いものの、降水量が多く緑が豊かで、現在の所、季節変動による渇水や一部淡水入手が難しい地域はあれ、全体としては定常的に水に困ることなく過ごせたからだと思います。
ただ、降水量は多いものの、海までの距離が短く起伏に富んだ地形なので、降った雨はあっという間に海に流れ出てしまうので、都市の給水などはダムなどによる貯水で使用量や変動の調整を賄っています。
②は書き方が悪くて申し訳ありません。生産のための水の輸入ではなく、食料の輸入のことです。

 おまとめブログサーチ | 2008.05.26 23:23

【リモートセンシング】についてブログでの検索結果から見ると…

リモートセンシング をサーチエンジンで検索し情報を集めてみると…

 leonrosa | 2008.05.27 9:27

国別の「一人当たり水資源量」の順位で、意外と日本が下位ですね。
『水の豊かな国・日本』のイメージと上手く合致しない。
順位の高い国をみた方が分かりやすいですね。
カナダ、ロシア、ノルウェー、フィンランド。
冬季に大雪が降るエリアが広く、国土全体の総降水量が巨大。その割には、人口密度が少ない。その結果、一人当たり水資源量が巨大になる。
スイスもこのタイプでしょう。
ブラジルは、アマゾン流域に巨大な降雨がある。国土全体でみると、巨大な降水量の割りに、人口密度が小さい。
ニュージーランドは、降雨、降雪量が多い。その割りに、人口が少ない。
日本の場合は、河川の下流域に人口が張り付いている。だから、降水量(降雨、降雪)に対して、その利用(可能)比率は大きい。
それと、稲作(瑞穂)の国とが合体して、「水の豊かな国・日本」というイメージが固定される。
それに対して、ノルウェーやブラジルでは、降水量が巨大だが、そこには余り人が住んでいない。人の主居住エリアと降水量の関係を比較できると良いですね。(そんなデータは無いかも知れませんが。)

 basha | 2008.05.27 16:49

leonrosaさん、コメントありがとうございます!
おっしゃるように、居住エリアや農地、工業用地と取水のし易さ、し難さも現状水をどの程度利用できているかに関ってますね。
稲作による流出水の緩やかな利用はイメージもなるほどです。
どうも水資源の量的な把握の自体分かり難いもんだなと感じます。カルビ☆さんも書いてくださってますが、水資源賦存量(降水量から蒸発散量を除いたもの)では実際あとどのくらい使っていいのか良く分からないので、その多寡を横並びに比べても、状況が今ひとつピンとこなくて困っています。

 ぱやぱや | 2008.05.29 11:44

難しいからよくわからないままなのですが、ふわんと感じるのは、CO2排出にしても何にしても、個人レベル、企業レベル、国家レベルと大小の差はあれ、もう自分のことだけを考えていい時代は過ぎ去ったということを感じました。大きなことは出来なくても、まず隣の人のことを考えることから始まって、それがちまちま積み重なって、ある地点で爆発的に広がり、地球レベルで思いやりの和が広がるのでは?なんて思うのは甘いのでしょうかね。でも、そうなったら嬉しいなぁ。何百年かかるかわからないけれど…。

 basha | 2008.06.01 21:04

ぱやぱやさん、コメントありがとうございます!
おっしゃるとおり、自分のことだけ考えていてすむ段階では過ぎたように思います。知らなければ明確に危機と捉えられないけれど、現実には危機的な状況は環境問題に限らず沢山あると思います。
自分中心⇒みんな中心に変わっていく上でも、危機や可能性を共有できるように、多くの人がネットなどを通して協働できればと思います。
今後とも宜しくお願いします。

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