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京都議定書~・基準年設定の裏側に迫る・~

京都議定書では、温室効果ガスの削減目標値は1990年を基準としているが、一体なぜ1990年を基準年としているのか?その経緯の情報公開はされていない。

それには様々な説があるようです。
その一つが、「国際エネルギー機関(IEA)の最初の発表(1991年版)であり、その中で使用されている二酸化炭素の排出等に関する統計が1990年になっている。」というものである。
つまり、地球温暖化問題とエネルギー問題は密接な関係があるという観点からであるが、実際には活用可能なものとしてIEAのデータしかなかったというところではないだろうか。

だとしても、1990年以降は活用すべきデータはあった訳で、京都議定書時(1997年)などを基準年とすることも考えられたのではないだろうか?

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【基準年で何が変わるのか?】
1990年以前から温室効果ガスの削減努力を行ってきた国にとっては、基準年が1990年だと不利になります(1990年までの削減努力が報われません)。
しかし、1990年以降に削減した国にとってみれば、その削減努力が反映され有利になります。

従って、基準をいつに設定するかで、それまで削減実績を上げている国が不利になり、上げていない国が有利になります。つまり、基準年である1990年に最も多くの温室効果ガスを排出し、それ以降排出が減少していれば有利になるのです。

【基準年が1990年で有利になる国】
基準年が1990年に設定されて利益を得る代表国はロシアや旧東欧の国々で、これらの国々は低いエネルギー効率のもとで、温室効果ガスの排出は1990年までにピークを過ぎ、以降は経済的・社会的混乱から減少する傾向をたどります。

つまり、そのような有利に働く旧東欧の国々を抱えるEUでは1990年を主張した。これは、この年を基準年とすることで大きく不利側に働くことはないという試算があったからだと思われます。
現に、先進国の中で京都議定書の目標を達成できるのは、イギリスとドイツのEUの国ぐらいのものであるという見方が一般的なようです。

このあたりは、「京都議定書で嵌られた日本」シリーズとして『EU各国が8%の削減でまとまったのはなぜか?』 [1]『過剰消費なのに持続可能な開発と言う欺瞞性』 [2]『京都会議時点ではなく90年が基準年なのは?』 [3]『90年を基準年としたいイギリス・ドイツの御家事情』 [4]に記載されていますので、参考までにご一読をお願いします。

【なぜ先進国、特にアメリカは1990年に文句を言わなかったのか?】
アメリカは京都議定書からは離脱しましたが、それまでは、この基準年に異論を唱え、基準年を1995年にする提案などを行ってきました。しかし、いつしかそのトーンは落ち着いてきます。
それには、「排出権取引」が影響していると思われます。

つまり、自国の削減量が多少は多くなっても、排出権取引によって市場に出回る二酸化炭素の量が増え、市場の拡大に繋がり、結果、排出権の単価が下がり用意に手に入るというもくろみがあったのではないのでしょうか。
自国にも多少の痛みがあるが、決して達成できないものではないという見方です。
従って、アメリカは1990年に反対するよりも、削減量を減らすための取引材料として使っていく方向に進むことになります。

この裏付けになるのが、京都議定書にある「ロシア・旧東欧の市場経済移行諸国は温室効果ガス削減に際して1990年よりも以前に設定してもよい」という規定です。
これは、温室効果ガスをもっとも多く出していた時期を選んでも良いというものです(実際にブルガリアやポーランドなどは1988年に設定されています)。




結局のところ1990年を基準年をする考えは、EUの達成可能である予測アメリカの排出権取引による市場拡大という目論見が合致した年であったと言え、温暖化問題の解決策ということには無縁のものであったことが伺えます。

最後までお付き合いありがとうございます。m(_ _)m

by 村田頼哉

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