ダイオキシンって危険なの?(4)「市場が行き詰まりが規制=新たな市場を生み出した」
『ダイオキシンって危険なの?(2)』に続きを…と思っていたのですが、ちょっと寄り道をしてkumakeiさんの「市場原理の枠組みの中での、規制強化による弊害」に続けてみたいと思います。
ダイオキシン法とは「豊かさの実現」=「市場縮小」を意味しているのはないでしょうか?
つまり、それまでの行政や政治家がとってきた政策は「ものづくりに励め」というものであってのが、ダイオキシン法では「ものづくり」ではなく「後始末」の方を活性化させているように思われます。
考え過ぎかもしれませんが、「ものづくり」が行き詰ってきたが故に、新たな市場として「後始末」へと向かったように思われます。
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【産廃焼却炉の窮地】
ダイオキシン法は2002年12月1日から本格的に適用されます。
2001年6月には、「全国市町村にある焼却炉1600基のうち、360基が基準に達していない」と環境省が改修、新設を促します。
しかし、これだけの数を短期間に供給することは不可能でした。 😥
一方、民間の産業焼却炉にしても、ダイオキシン法を遵守するものは少なく、法制度に先立つ「緊急対策」の折りでさえ、既存焼却炉の3割が休止か廃止に追い込まれています。
経済性に目をつぶり、国からの融資を頼りに税金をつぎ込める自治体とは違って、民間の零細焼却炉事業所は1基に何十億も要する焼却炉の改修はとうてい無理で、まして、新設する余力などありませんでした。
朝日新聞社が2001年にした30都道府県アンケート調査の結果によると、産業焼却施設2050のうち、対応済みあるいは許可申請を準備中の施設をいれても2~3割程度しかありませんでした。つまり、いままでの民間焼却炉の大半は廃止されてしまうのです。
補2) 産廃が主体の事業系ゴミの量は全体の9割を占めています。その内訳は「汚泥」がいちばん多く、「家畜の糞尿」「建築廃材」と続き、この3つで全体の8割程度を占めています。一部は再資源化や埋め立てに回るとしても、産廃の焼却量は家庭の一般ゴミよりははるかに多くなっています。
【地方自治体の窮地】
「ダイオキシン法を適応したら、民間施設では処理できない産廃が山積みとなり増えてしまう。」と国は頭を痛め、市町村の焼却炉で処理せよとの通達を出します(※ここには、一方的に法をつくって規制を強め、ツケを地方自治体に押し付けるという構造が見てとれます )。
しかし、本当にそんな余力が地方自治体にあるのでしょうか?
人口が数万人かそれ以下の町や村も、ときには数十億円かそれ以上の巨費をかけて既存の炉を改修しています。ところが改修をおこなっても10数年しかもたず、以後はダイオキシン法に従って、数百億円という超ハイテク装備の「広域高温連続焼却炉」を更新しなければなりません。
こうして、広範囲で出たゴミを指定業者に集めさせ、長距離輸送して集中的に処理するという、莫大なエネルギーを浪費するゴミ焼却システムが出来上がります。
(※地方自治体の財政破綻や、市町村合併も「広域高温連続焼却炉」の新設と無縁ではないように思えます。)
このように、ダイオキシン法は市町村に大きな財政負担を強いています。
地方自治体からは「負担を納得できるだけの根拠や事実を知りたい」との強い抵抗もあったようですが、結局は「環境」を錦の御旗とした市民運動の盛り上がりを突きつけられては抵抗しきれなかったというのが実態のようです。
【誰のためのダイオキシン法なのか?】
ダイオキシン法への流れは1990年につくられたダイオキシン対策のための「旧ガイドライン」から始まっています。
「旧ガイドライン」の手引書は18名が執筆し、そのうち13名が焼却炉メーカー、1名が分析メーカーと14名が業界人でした。
「旧ガイドライン」の勧告で何が起こったのでしょうか?
ダイオキシンの分析には一定レベルの技術を確保するためと称し、厚生省がトップダウンで分析業者・機関を指定しました。つまり、市町村が分析を依頼する先は、厚生省のお墨つきを貰った組織となります。
当時の分析経費は1試料およそ100万円と海外の数倍にも当たります。これは、厚生省の指定制が競争原理を押さえ込み、指定業者・機関の談合があったせいです。
1999年4月、公正取引委員会が査察により、全国の自治体が発注したダイオキシン分析の大半が談合であったことが判明し、11法人は独禁法違反で排除勧告を受け、そのうち10法人を含む17法人が同法違反容疑による勧告を受けて、ついに登録制も廃止となりました。
焼却炉メーカーでは、5社が’94年から’98年までに71件、1兆346億円を落札しており、東京都の幹部18名が天下ったとされる某メーカーでは、都と4540億円の契約をしています。
1999年8月、公正取引委員会は全国のゴミ焼却施設をめぐる談合容疑で大型炉メーカーの大手5社に排除勧告をおこなっています。
また、「新ガイドライン」は1997年1月に答申され、地方自治体に通達されていますが、
この「新ガイドライン」の手引書を実質的につくったワーキンググループ(17名)も全て業界人でした。
「新ガイドライン」は自治体の財政破綻につながりかねない巨費の出費を要しますが、これにはよほどの事実がないと正当化できません。
税金を回してもらえる自治体はともかく、民間の産廃業者を納得させるには難しく、「新ガイドライン」を徹底させるためにも法律までに格上げする必要があったのではないのでしょうか?
こうしたことからも、ダイオキシン対策が業界主導で行なわれたことは明白ではないでのでしょうか。
大義名分として「安全性」などが挙げられますが、本質は業界優先=市場優先であったとしか思えません。
【業界と政治で思惑が一致】
前段に示した通り、業界と政治の関わりがあったことは間違いありません。
そして、ダイオキシンはそれほど危険ではないというのが彼らの基本認識のようです。
ダイオキシン法と言えば排出濃度や総量に違反したら厳罰に処するはず…と誰もが思っているのでしょうが、実はそうではありません。第三者による抜き打ちチェックもなければ、事業者が年に1回だけ「随時測定」をして、基準を上回っていたら再度測定し「小さいほう」をとればよいという規定になっています。
ダイオキシンが日本で取りざたされた時期は、1983年(昭和58年)です。
ここまでの状況認識から判断すると、実態上1983年にはじめてダイオキシンが問題化したのではなく、この時期にダイオキシンを測定する技術が確立されたと言ったほうが正しいと考えられます。
そして、政府の規制は、これらの測定技術向上の後を追うかのごとく、強化されているという事実も浮かび上がってきます。
つまり、業界側がダイオキシン騒動によって発生した「社会不安」の解消という大義名分のもとに、「根拠の乏しいダイオキシン」を問題視して、積極的に新技術を売り込んだと考えられます。
そして、これらの業界の動きは政治とうまくリンクしていたように思われます。
戦後の日本から貧困が消滅したのは’70年代です。この時期に、豊かさが実現=ものが行き渡ったことになりますすが、豊かさの実現は同時に市場縮小を意味していす。
GDPは’70年以降も上昇していますが、1975年から赤字国債の発行が始まり、’80年後半のバブル期までは国債によって無理やり市場が支えられており、国債を除けば停滞していた時期だと言えるのではないでしょうか。
そして、バブル期以降の’90年代は、市場は国債なしでは存続できなくなっていると思われます。
右肩上がりの経済成長が絶対というの中にあり、ものづくりだけではそれが困難となった政治家たちが飛びついたのが、ちょうどその時期に話題になったものの一つがダイオキシン問題だったのではないのでしょうか。
そもそも問題性が高くなく短絡的に飛びついたので、「ガイドライン」だけでは不十分となり、法制度による規制を設け無理やり市場を活性化させようとしたと思われます。
ダイオキシンが人体に影響を与えることによる規制強化と捉える事には、かなり違和感があります。むしろ、市場を拡大するための規制と考えた方が論理が整合します。
まさに、市場を活性化(実態は維持)するためのダイオキシン法であったと思われます。
長文にお付き合い頂きありがとうございました m(_ _)m
<参考文献>
・ダイオキシン(神話の終焉)/渡辺正、林俊郎/日本評論社
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コメント2件
コバヤシ | 2007.05.25 13:39
>長谷さま
コメントありがとうございます!
何でも善悪の色分けしたがるのは危険だと私も思います。
自然界にも毒はあり、その毒が薬になる場合さえあります。
共存とは自然界にとどまらず人工物も含めて考えるのが現実だと思います。
長谷 | 2007.05.24 22:40
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DDTの問題に限らず、
人工物質=悪、天然物質=善
みたいな価値観が根強くあることには、とても違和感を覚えます。結局、実態、事実はどうなの?っていうところが深く追求されていないということだと思います。