2012-10-03

【気象シリーズ】日本の局地気候と農業 ~福井・若狭における伝統野菜の可能性  最終回~

今回の気象シリーズ「日本の局地気候と農業 ~福井・若狭における伝統野菜の可能性」では、かみなか農楽舎のある福井県・若狭にスポットをあてて、気候特性を探る(その1)(その2)と共に、若狭・上中のような中山間地の環境特性を活かした農業、とりわけ最近注目を集めている伝統野菜と焼畑農業の実態をご紹介してきました(その3)(その4)。
最終回は、焼畑再生の可能性はどこにあるのか?を探っていきます。

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◆焼畑再生の可能性 ~その1 自給期待に応える~
従来の市場の枠組みの中で、焼畑を再生するのは難しいと思いますが、一方で私たちの意識は「脱市場」へと向かっているのも事実です。

バブルが崩壊した’90年以降、見通し不良と先行き不安から、「この先、どうなる?」という方向へ意識が向かい、滅亡論や陰謀論が登場したが、’11年原発災害以降は、「どうなる?」という情報探索が加速し、予知・予言に対する関心が急上昇してきた。
しかし、予知や予言が一点に収束することはないので、結局は、「現状(=事実)は、どうなっている?」という状況認識に収束してゆく。
おそらく、この先行き不安発の情報探索は、1~2年後には「放射能はなくならない」「日本経済の没落も避けられない」etc、『もう元には戻れない』という状況判断に収束してゆくだろう。
この『もう元には戻れない』という判断は、状況認識の大きな転換であり、それは脱市場社会への価値観の転換を引き起こす。
従って、おそらく数年後には、脱市場≒ゼロ成長の自然循環型社会への変革気運が高まってゆくだろう。

るいネット「実現論:序8」より引用しました
【食と放射能汚染】
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こちらからお借りしました
【食の安全 関連年表】

1945年頃 イタイイタイ病(富山県)
1951年  黄変米事件(配給輸入米に毒素を発生するカビが付着していた)
1955年  森永ヒ素ミルク事件(多量のヒ素が含まれていた)
1956年  水俣病(熊本県)
1965年  第二水俣病(新潟県)
1968年  カネミ油症事件(福岡県中心)
1990年  O157食中毒事件(埼玉県)
1996年  O157食中毒事件(岡山県、大阪府堺市)
1998年  和歌山毒物カレー事件
2000年  雪印集団食中毒事件
2000年  改正JAS法が成立(品質表示義務化、生鮮食品の原産地表示義務化など)
2001年  BSE(牛海面状脳症)が日本でも確認
2002年  牛肉偽装事件(「国産牛肉買い上げ制度」を悪用した詐欺など)
2003年  食品安全基本法が制定(基本理念など)、食品安全委員会が発足

こちらをもとに作成
例えば市場への不信感で言えば、食の安心・安全に対する期待は、1996年のO157(カイワレ)事件や2001年のBSE(牛海綿状脳症)事件などをきっかけに高まりつつありましたが、現在はそのような意識の先に、“食の確保を市場に依存するのではなく、自らがその一端を担いたい”という自給期待が顕在化しつつあり、それは全国レベルで進行中の市民農園や野菜直売所の急速な伸びにも見てとれます。
【市民農園】
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こちらからお借りしました
もちろん、市民農園や家庭菜園などが趣味の延長線上にあるのに対して、焼畑はより本格的な農作業です。たとえば傾斜地で行う火入れや草取りなどはかなりの重労働ですが、むしろ無肥料・無農薬から生まれる安心で美味しい野菜、地域みんなで行う共同作業から得られる充足、そして日本の伝統農法を継承し、農産物自給の一端を担うという充足は、他ではなかなか得られないものです
【焼畑イベント】
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こちらからお借りしました
◆焼畑再生の可能性 ~その2 自然の摂理に学ぶ~
焼畑のもう一つの可能性は、環境教育です。
現在高まりつつある自給期待ですが、この言葉は二つの意味を含んでいます。
1)自分たちのものは自分たちで生産(消費)する
2)自分たちの頭で考える(学ぶ)

です。
私たちが自然から学ぶことは数多くありますが、焼畑で注目されるのは何と言っても「」です。
【循環型農業・焼畑】

【焼畑の火】
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こちらからお借りしました
火と人類の付き合いは、古くは始原時代の洞窟での火の使用に遡ります。そして人類は、1万年前の弓矢の発明によって洞窟を出て以降も、あるときは火を制御し、あるときは火に命を奪われ、その脅威の前に畏れと感謝の念を抱きながら生きてきました。
【火炎土器】
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こちらからお借りしました
そして、火に対する憧憬や畏敬、感謝の念は、今でも全国各地で続く火を使ったお祭り(若草山の山焼き、那智の火祭りなど)の中に見ることができます。そして、身近なところでは、キャンプファイヤーやバーベキューなどで火を囲んだ時に私たちの心に浮かんでくる感覚もそれに近いものがあります。そのとき私たちは、過去1万年以上に渡って続いてきた共同体における仲間との共同作業の記憶も一緒に、重ね合わせているのかもしれません。
【那智の火祭】
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こちらからお借りしました
現在、全国各地で細々と継承されている焼畑作業の中にも、同じような想いが見て取れます。
以下、ナショナル・ジオグラフィック「焼畑の名人に学ぶ――自分探しの旅
で取り上げられた、宮崎県・椎葉村で現在も焼畑農業を続けるクニ子ばあさんの記事から、焼畑という自然に寄り添った生き方の一端をご紹介します。

クニ子さんにとって、山は常に身近にあるものだ。「山のもんは、すべて山の神様のもの」。だから山で、これといった作業をするときには、必ず山の神に祈る。たとえば、焼畑の火入れのときには、次のような唱えごとをした。
「これより、このヤボに火を入れ申す。蛇、わくどう(蛙)、虫けらども、早々に立ち退きたまえ。山の神様、火の神様、どうぞ火の余らぬよう、また、焼け残りの無いよう、御守りやってたもうれ」
山に火を入れるという危険を重々承知しながら、食いつなぐために、山に火を入れる。そして、人間だけではない。山のすべての命を尊び、どうぞ守ってくださいと祈る。
「動物も植物も、人間もみな同じ。子孫のために、命をつないでいくために世渡りをすっと」

【山の神様への祈願】
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こちらからお借りしました
人類が豊かさを実現して以降、「自然」といえば、「水」「土」「風」「木」の領域ばかりが注目され、特に先進国では自然の重大要素の一つである「火」は日常生活から遠ざけられてきました。
しかし、もともと人類にとって火は自然の中にある一つの同化対象であり、火とうまく付き合うことで食の生産につなげる焼畑は、単に食の本能を満たすだけでなく、現代人の自然志向、あるいは自然から学ぶという意味での自学期待・自習期待にも応えうる幅広い可能性を持っています
◆終わりに
今回の気象シリーズでは、福井県・若狭の気候特性と中山間地での農業の可能性、なかでも「焼畑」や「火」にスポットを当てて探求してきましたが、改めて福井県・若狭という地域に戻って考えてみると、このエリアは原発のメッカであり、一見すると自然の摂理とは正反対の地域のようにも見えます。
【福井・若狭の原発】

こちらからお借りしました
しかし、幹となる産業が育っていない地域がエネルギー施設立地として選ばれる可能性は、ここ若狭に限らずあるわけですから、それを単に負の遺産として捉えるのではなく、現在の脱原発から新エネルギーの模索という新しい流れの中で捉え直す必要があると思います。
例えば、ここ若狭の地から「火」という原初的なエネルギーを活かした焼畑の流れを拡大していくことができれば、それは大きな意味を持つのではないでしょうか。
P.S.今回焼畑を調べることで、改めて林業の在り方が気になりました。近代以降の林政で大量のスギなどが植林されましたが、今ではその多くが荒廃し、一部では大雨による地滑りで災害や環境破壊を引き起こしているという実態があります。次のシリーズでは、林業と山の生態について取り上げてみようと思います。

List    投稿者 seiichi | 2012-10-03 | Posted in D02.気候No Comments » 

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