地球環境の主役~植物の世界を理解する~⑥海の消滅という逆境から植物の陸上進出は始まった
前回、海中における植物(藻類)の進化を紹介しました 😛 。
今回は、海から陸上へと、どのように植物が適応・可能性収束していったかを考えてみました 🙄 。
(このきれいな写真はhttp://ogatour.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/index.htmlサイト様よりお借りしました 。)
なぜ植物は水中から陸上へと進出してきたのか?
30億年前に地球上に生物が誕生して以来、生物の進化の場は水中のみでした。
それから、植物が水中から陸上に進出してきたのは、地球の歴史の中でも4.1~4.3億年前になります。
この時期は、「シルル紀」と呼ばれ、昆虫類や最古の陸上生物が出現した時期でもあります。
シルル紀初期には、赤道付近にシベリア大陸、ローレンシア大陸、バルティカ大陸にはさまれた「イアペトゥス海」という浅い海が広がり、多くの生物が繁栄していました。
しかし、4.2億年前にはこの3つの大陸が徐々に近接していくことで、イアペトゥス海は消滅 してしまいしました。
その結果、イアペトゥス海に生息していた植物(藻類)達は必然的に陸上への進出という、逆境のレールに乗らなければならなかったと仮設をたててみました。
では、海から地上へ、どのように進出⇒進化・適応してきかを考えて見ましょう 。
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コケ植物の進出
まず初めに陸上へ適応していった種が、浅瀬の海に生息していた緑藻類という藻類の仲間と想定されます。
地表の隆起に伴い、必然的に地上に進出してきたこの種は、比較的まだ湿潤だった大地(表皮)を足がかりに、コケ植物として生息域を広げていきました。
このコケ植物が生息域を広げていくことが、地表の保水力も上昇していき、後に続くシダ植物等の進出につながっていくのです。
ちなみに、植物が緑色しているのはなんで
陸上へ進出してきた植物が緑色の色素を持っているのは、これら緑藻類をもとに進化してきたからなのです。
海中の藻類には、それぞれが持つ色素の色によって緑藻類、褐藻類、紅藻類など、いくつかの種に分かれています。
(この写真、http://www.suisansc.or.jp/04kyoshitu.htmlサイト様よりお借りしました 。)
その色素の違いは光合成で活用する光 の種類によって決定されます。水面近くで生息している緑藻類は、広い波長の範囲で光合成できるよう適応するために緑色の色素(クロロフィル)を選択しました。
必然的な浅瀬の海からの進出が、植物が緑たる所以につながっているのです 。
シダ植物の進出
コケ類の進出に続き、シダ類の進出が始まります。その上で改めて、陸上という環境は水中(海)とは著しく異なる外圧 で構成されていることを認識しなければなりません。
大きくまずは、
①水分・養分を吸収する仕組み
②光合成・二酸化炭素を吸収する仕組み
にどのように適応していくかが鍵となります。
(この写真、緑藻類についてはhttp://nihon.matsu.net/seimei/10.rikujou_he.html様のサイトを参考とさせていただきました。)
海中の藻類の時は、①②の機能を一体的に有していました。
しかし地上においては今まで海流によって運ばれてきた、水分・養分を確実に吸収するために「根」やそれらを体の隅々まで届けるために「維管束」という機関を発達させることで適応してきました。
また、②の光合成に対しては、植物体が空気に直接触れるようになるので「気孔」をつくることで適応してきました。
そして、それらの分化した機能を乾燥という最大の外圧に対し、「クチクラ層」という蝋を主成分とする表皮の外側を透明な膜で覆うことで、適応してきました。
それぞれの機能分化⇒高度化を追求した結果が、陸上植物の骨格(基礎)をつくっていったのです。
植物地上進出による緑の大地へ
生息域であった海の消滅から始まった逆境に対し、進化適応してきた陸上植物は、やがて海中よりもはるかに豊かな二酸化炭素・光を源に、新たな生息域を開拓していきました。
陸上植物 の誕生により、昆虫・動物 が地上に進出していき、それまでの荒涼とした大地は、 緑 の大地へと変わってったのです。
改めて、緑の存在とは、全ての生命につながりを感じる気付きの一つですね 😛 。
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コメント6件
hihi | 2009.07.18 21:38
フンババ殺害とレバノン杉伐採は知っていましたが、ギルがメッシュがその後、後悔と苦渋にさいなまれたというのは初めて知りました。いやー、神話は面白いですね。
まだ、そのころは精霊の宿る森の殺害に罪悪感が伴っていたんだ。
どこから、その罪悪感が無くなったのか、これから楽しみです。
kz2022 | 2009.07.18 23:07
自然を征服していく発想の民族にも破壊の痛みはあったのでしょうか。あるいは滅ぼされた側の伝承が残ったのでしょうか。
続きを楽しみにしています。
leonrosa | 2009.07.21 13:50
finalcutさん、コメントありがとう
日本神話は重要ですが、もう少し、西アジア・欧州の麦作・牧畜部族の意識転換を扱って行きます。
leonrosa | 2009.07.21 13:57
hihiさん、コメントありがとう
神話を読み取るのは、なかなか難しいです。
ギルガメシュ神話については、梅原猛氏の戯曲「ギルガメシュ」があります。そこでは、ギルガメシュの後悔という解釈が行われています。
人類の自然(精霊)信仰の強さからは、論理整合性があると思います。
leonrosa | 2009.07.21 14:05
kz2022さん、コメントありがとう
伝承された神話は、その時代の支配部族による「自部族正当化」が必ず施されているのはその通りですね。
一方、正当化し切れない意識も断片や文脈として残ります。
今シリーズは、その発見をして行こうとの試みです。
finalcut | 2009.07.18 21:23
>人類数万年に渡る、自然との一体意識は、それ程強いものではないでしょうか?
確かにこのときの価値転換が、その後の人類が歩む道程を左右しましたね。神話でも堕落神を登場させないと話がつながらない・・・それほどにハードルが高いものだったのだろうと思います。
日本神話では自然に敵対するようなものはあまり記憶にないので、対比してみると面白いかもです。