2013-04-03

人類はいかに気候変動に適応したか~プロローグ~

ブログ「自然の摂理から環境問題を考える」のチーム‘気候問題’では、気候変動や気象操作について追求しています。その追求を通じて、近い将来、寒冷化がすすむ可能性が高いと考えています。そうすると、過去の気候変動に人類はどのように適応してきたのかを追求する必要性も高いということになります。歴史を振り返ると気温や酸素濃度といった大気環境の変化についていけず絶滅していった種もたくさんいますし(恐竜等)、寒冷化が戦争の遠因となったとする研究も最近ではたくさんあります。もはや温暖化などという詐欺話に惑わされることなく、寒冷化にいかに適応していくか、を考える段階ではないかと思います。
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上記はイギリス気象庁が16年前に温暖化は停止したと報道したというネット記事からの引用。既に欧米は温暖化詐欺に見切りを付けている。

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未来の寒冷化を考える上では過去の寒冷化に学ぶ必要があります。その点、日本は世界中で農業革命が起きたヤンガードリヤス期の寒冷化においても農業化することなく、独自の縄文文化を作り出してきました。農業がその後、私権闘争、私有意識の土台となる土地の占有をもたらしたのに対して、縄文人は定住こそすれ、土地の占有→私有意識を持つ事はありませんでした。逆に里山や入会地といった概念に見られるように、あくまでも土地(山林や河川)は共有財産として、その保全に努めてきました。
また4200年前にはより大きな寒冷化が引き起こされ、これにより世界規模での戦争が引き起こされ、奴隷制度と古代宗教の成立へと発展していきました。ところがこのころ日本に流入してきた江南人≒倭人たちは、この段階でも、大きな争いを引き起こすことはなく、水田農耕が本格展開したのは3000年前頃からになります。
そしてこの縄文から弥生時代への転換にあっても縄文時代につくられた自然の摂理を重んじ、自然の循環と折り合いをつけながら生活空間を保全するという精神は堅持されました。
近い将来、寒冷化と窮乏?の時代が訪れる前に、寒冷化や温暖化といった気候変動に縄文人(そして人類一般)がどのように適応してきたのかを学ぶことは非常に重要だと考えます。
そこでチーム気候問題の新シリーズとして「縄文に学ぶ自然の摂理~縄文人はいかに気候変動に適応したか」をこれからはじめることにしました。
以下、このシリーズで取り上げる予定のテーマを挙げておきます。
(1)モンゴロイドたちを日本列島へ誘った気候変動はどのようなものだったのか?
初期縄文人がどこからやってきたかを探っていくと、一方では東シベリア・中国東北部から、北方諸島を経由して、またもう一方は東南アジアの旧スンダランド大陸から西南諸島を経由して、日本に到着したことが解かる。彼らモンゴロイドが故郷を捨てて、日本列島へ渡ってきた、その外圧(気候変動)とは何だったのか?
(2)日本に渡ったモンゴロイドたちはどのようにして日本の自然環境に適応したか?
縄文時代は弓矢の発明、土器の発明、定住の始まりといった様々な生活環境の変化を伴って始まった。そしてこの時期につくられた自然観や集団や社会のあり様は、その後の日本人のあり様を大きく規定している。まさに日本人は縄文時代の豊かな自然環境がつくりだしたといっても過言ではない。日本的精神、縄文精神と日本列島の自然環境との関係について考えてみたい。
(3)ヤンガードリヤス期の寒の戻りに縄文人はどのように適応したか?氷河期から温暖化に向かう過程で、一時的に寒の戻りを経験する。この時期はヤンガードリアス期と呼ばれる。そして世界中で、この寒の戻りに適応するため世界中で農業が開花していった。しかし日本列島は農耕化の道を歩まなかった。その差は何にあったのか?
(4)喜界カルデラ大噴火に縄文人はどのように適応したか?
南の縄文人に大きな打撃を与えたのは喜界カルデラの大噴火であった。南の縄文人はこの難局をどのように生き延びていったのだろうか?
(5)温暖化→縄文海進は縄文人の生活をどのように変えたか?
縄文時代、温暖化の進展と共に、海水位面は上昇し、日本列島には大きく海が入り込んでいた。そして、この縄文海進によってつくられた内湾を基盤に内湾性漁業が花開き、縄文人は分業体制へと移行していった。貝塚遺跡はそのような高度にネットワークを形成した縄文社会の姿を今日に伝えている。温暖化→縄文海進は縄文人の生活をどのように変えたか?
下図は縄文海進が進行した時期の関東地方の海岸線。貝塚遺跡が関東平野の山奥まで展開されているのは当時の海岸線が関東平野の奥深くまで進行していたことを今に伝えている。kaisin.gif
(6)縄文後期、寒冷化の進展に、縄文人はどのように適応したか?
寒冷化の進展と共に、縄文文化はますます発展し、特に縄文土器は高度な芸術性を獲得する。そこには寒冷化に伴う困窮を略奪や戦争で解決するしかなかった大陸の文化とは異なる、寒冷化に適応する道が示されているように思う。
(7)縄文から弥生へ、何が引き継がれ、何が変化したか?
寒冷化がさらに厳しくなり、大陸からの流入民が増えるにつれて縄文精神の中に、大陸的要素が混入してくる。そんな中、生み出された「出雲人の世界」は縄文的精神を引き継いだ上でつくられた独自の農耕文明だといっていい。何が引き継がれ、何が変化したか?
(8)弥生から古墳へ、大陸から持ち込まれた私権原理。それでも残された縄文精神
その後、半島情勢の激変によって多くの難民が日本に押し寄せ、日本にも多くの大陸での私権闘争を経て形成された自然観、社会観が持ち込まれることになった。しかし、それでも大衆には縄文精神が引き継がれた。何故、縄文精神はいき続けたのか。それを解くことで、これからの激動期を乗越えていくヒントを探ってみたい。
以上の視点で展開していきます。お楽しみに♪

List    投稿者 staff | 2013-04-03 | Posted in D02.気候No Comments » 

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