2012-10-31
【森林問題の深層】◆1)森林環境の現況と課題(その1)
■現在は、森林飽和状態■
日本の森林率は江戸時代頃は45%で、戦前も低い水準だったが、戦後急激に増えて67%にまで拡大し、以後この水準を保っている。森林率自体はここ40年変わっていない。にもかかわらず経済的な採算にあわないからと伐採をしていないので、森林蓄積(森林の木の体積量)は猛烈な勢いで拡大しており、40年で実に2倍以上に達している。
▲こちらからお借りしました
◆何故、森林飽和になったのか
江戸時代は、各藩で経済的な基盤としての森林保護政策がとられていたし、村落共同体においては入会制度の規範があったので、ある程度のブレーキがかかっていた。それでも里山の植生劣化・荒廃は洪水の氾濫や山崩れなどの自然災害をもたらしたので、江戸幕府は治山・治水に向けての布令を発することとなった。それは、大衆の制度安定願望を反映したものであったがゆえに、徳川幕府は300年も続けることができたともいえる。
明治時代となって、山林原野の官民有区分を行ったものの、森林政策は定まらず財政確保のために過伐・乱伐で森林資源は著しく荒廃し、豪雨の際は山崩れや土石流は多発した。
1894年当時の国土は、森林:55%(内訳:樹木地は30%で、70%は禿山)、原野:25%、耕地:16%(志賀泰山東京帝国大学教授の論文より)ということからも当然のことであっただろう。
その後の流れをざっと俯瞰すると、
明治中期:明治政府の財政を支える過伐で資源劣化の頂点
昭和時代:森林鉄道の普及で奥山の天然林を過伐・乱伐
1950年代:台風や豪雨で山崩れなどの自然災害が多発
戦後復興気運も相俟って、拡大造林
(*自然広葉樹林を伐採してまで針葉樹植林)
1960年代:エネルギー・肥料革命で利用圧減
1970年代:林業不振で利用圧減
1990年代:森林の量的回復
2000年代:森林の多面的機能重視の気運
(量的な)森林飽和は、①エネルギー・肥料革命、②林業不振がもたらしたものといえるが、もっと深いところでは、江戸時代に文明の崩壊にまでは至らずに踏み止まれたのと同様に、社会的な安定に対する希求が強く働いているからと思われる。それは縄文時代から連綿と続く縄文人の心根(=自然に対する感謝と畏敬)が底流にあるからだろう。