2012-10-24

【気候シリーズ(コラム)】異常気象が歴史を変えた!~スペインの征服者に幸福をもたらしたエルニーニョ~

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「大航海時代 嵐の予感」
画像はこちらからお借りしました。
 
近年発生しているイメージが多い異常気象。これまでの気候シリーズでも、様々な異常気象(過去の記事はこちら)を扱ってきました
しかし昔は異常気象は無かったのでしょうか 🙄
 
実は歴史上でも異常気象が社会を大きく変えた事件がたくさんあったようです。
日本でも、元軍を全滅させ日本軍が助けた暴風雨「元寇の神風」が有名です。
 
今回は、わずかな変化でも異常気象となり歴史が大きく変わったペルーの事例をご紹介したいと思います 🙂
 
 
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◆◆◆ペルー征服者の3回の航海と気象変動◆◆◆
 
1524年、スペイン植民地であるパナマに集まった3人のスペイン人、ディエゴ・デ・アルマグロ、神父のエルナンド・ルケ、フランスシコ・ピサロが砂金が採れるという噂のペルーを征服するために、航海遠征に出ることを計画しました。
 
しかしパナマからペルーまで航海で南下するためには、二点の難題が・・・!
北上している逆流のペルー海流と、逆風があったため、航海の環境は厳しいものだったようです。
 
ちなみに帆船は、逆風でも帆の角度の調整で、ジグザクに進むことができます。
 
リンクより引用

風を受けて海原を航行する帆船やヨットが風下に航行するのは当たり前なのですが、風上に航行することも出来ます。と言っても、風に向かって航行するのではなく、ジグザグ航行なのですが。曲がりなりにも船が風上に向かえる原理は簡単です。
 

 
帆の面は、風の向きと、船の進行方向がつくる角の二等分線上に向けます。風の向きと、船を進めたい方向の真ん中に向けます。このとき、帆が受ける風の力は、帆の面に直角になりますが、この力は船を進める方向と、船を真横に押す力で受け止めます。無理やり、力を分解しているように思えるかも知れませんが、自然界では、力は何処かでつり合わせなければならないので自然なのです。船を真横に押す力は、船が横方向には水の大きな抵抗があるので押さえられます。ところが、船は進行方向には水の抵抗が小さくなるように作られているので、船は進行方向に進みます。

参考:逆風で進む帆船モデル(動画)↓

 
 
しかし、追い風とは違い、航海には莫大な時間がかかり、食糧不足になるたびに、一部隊員が物資の補給に戻る必要があります。また途中の陸には戦闘態勢のインディオがいたため、物資の補強のための上陸の度に襲われました。
 
そのため、第一回遠征(1524~1525年)ではコロンビアのブエナベントゥラまでで戻り、第二回遠征ではやっとペルー北部のトゥンべスに上陸するも、遠征を許可されていた期間が切れてしまい、とどちらも大敗退。この2回の遠征で300名ほどの隊員が飢えと病気で死んでいます。ただ第二回遠征時にトゥンベスで手に入れた大量の金銀を元手に、スペイン国王の支援を得ることに成功。第三回遠征の実現に成功したのでした。
 

第1・2回遠征航路
 
 
第三回遠征も、それまでと同じ苦しい航海になると予想されていましたが、難題だった逆風がまったく吹いていなかった上、逆流だったペルー海流も弱かったようです。そのおかげで第二回遠征で二年間かかったサン・マテオ湾にたった13日間で到着に成功!
 
ただ、3回目の遠征は、水災害も多く、集中豪雨による足止め、ペルーに上陸してからの河の氾濫などにより、マテオ湾以降の足取りは遅くなってしまいました。
 

第3回遠征航路
 
 
しかし、征服へのタイミングにはぴったりでした。
1527年に思慮深かった皇帝ワイナ・カパックが伝染病で急死し、二人の異母兄弟ワスカルとアタワルパの王権争いの真っ只中だったインカ帝国。その状況をピサロは利用し、アタワルパを生け捕りにすることに成功しています。そしてアタワルパにワスカルを暗殺させ、その罪としてアタワルパも処刑し、ペルー征服に成功。巨額の金銀を手に入れたのでした。
 
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まさに3回目の遠征時にタイミングよく、気象変化が起きたことが歴史に大きな影響を与えたようです。
しかしなぜ、海流や風向きが変わったのでしょうか。
それぞれの気象状況を押さえたいと思います。
 
 
 
◆◆◆1・2回目と3回目遠征の気象の違いは何だったのか◆◆◆
 
ペルー沖は通常、南極方向から冷たい海流が流れ込むことと、海面に近い浅い深度まで下層の冷たい海水が湧き上がっているために、海水温度が低く、同じ緯度帯と比べても5~7度も低くなります。
特に南半球の冬にあたる、8・9月は沿岸沸昇が活発になり、さらに低くなるようです。
 
逆に、夏にあたる12月~3月は、日射により海面水温が上昇します。このことをスペイン移民者の子孫にあたるペルー沿岸の漁師達は「エルニーニョ=神の子」と呼びました。
12月に生まれたイエス・キリストが名前の由来になっているようです。
 
しかし、2~7年に一度の間隔で太平洋東側の熱帯域の海面水温が温かくなり、夏のエルニーニョが11月~4月と期間が長くなる年があります。これを「エルニーニョ現象」と呼びます。
 
通常の年であれば、ペルー沿岸の11月の月平均の海面水温は17度~18度程度であるのに対し、エルニーニョ現象の発生時には20度近くになります。
 
「エルニーニョ現象」が起きると以下の変化が起きたと記録されています。
①貿易風が弱くなる。
②ペルー海流が逆流になる。
③豪雨になる。

 
3回目の遠征は、まさにこの「エルニーニョ現象」の年だったのです。
 
1・2回目の遠征時ではなく、タイミング良く3回目の遠征時に来た「エルニーニョ現象」
。「元寇の神風」は日本を守る神風となりましたが、ペルーにとってはエルニーニョが逆風となってしまったんですね
 
しかし、こんな歴史までも変えてしまう異常気象も、わずか2・3度の海面水温の上昇で起きてしまった事になります。
なぜ、こんなわずかな変化でも、風向き・海流が変わったのでしょうか。
 
次回は、「エルニーニョ現象」のしくみと、その発生原因について探っていきたいと思います。
 
参考:『世界史を変えた異常気象』田家康 著

List    投稿者 staff | 2012-10-24 | Posted in D02.気候No Comments » 

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