2009-08-22

地球環境の主役 植物の世界を理解する23 森の民ゲルマーニー人と北欧神話の世界

前回に引き続き、ゲルマーニー人の森と自然に対する意識を扱って見たいと思います :D

森の民ゲルマーニー人々の意識はどのようなものだったのでしょうか。その手がかりは北欧神話(Norse Mythology)にあります。北欧神話は、ローマ化される以前の森の民が広く口承で伝えてきたものを、後にラテン語で文字化したものです。

Idun_and_the_Apples2.jpg

北欧神話とは、とても奇妙な神話です。

世界中に神話はあまたありますが、その苛烈さと哀切さにおいて、北欧神話の右に出るものはないとも言われています。その特性は他の多神教神話にありがちな善悪二元論とは異なり、秩序と混沌の対立にあるという分析もあります。

北欧神話・滅びを運命づけられた神々の物語

アスガルド(神々の家)に住むオーディンを頂点とする神々は、自分たちがやがては宿敵である巨人族の力に抗しきれなくなり、滅びるであろうことを知っています。神々にしてそうなのですから、下界にいる人間に至っては、まことにはかない存在にすぎないのです。いかなる勇気、忍耐、偉業によっても、人々は自らを破滅から救うことはできません。にもかかわらず、男であれ女であれ、命をかけて雄々しく敵と戦わなければなりません。敵との戦いに身を捧げ、勇敢に死を迎えることによってのみ、人々はアスガルドの一角にあるヴァルハラに憩うことが許されます。

しかし、ヴァルハラの住人たちも、やがてくる神々の宿敵である巨人族との最終決戦において、神々の側に立って戦い、神々とともに滅びる運命を免れることはできないのです


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北欧神話のあらすじ
この世で初めての生命である巨人族の系譜から生まれた神族は、その巨人を殺し自分たちを頂点とした世界と人間を作ります。しかしその神々による秩序世界も、やがては自身の道徳性の堕落に伴い、生き残りの巨人族との最終戦争で滅亡する運命を辿ります。

話の中の主要な勢力(登場人物)は、巨人族(力・粗野で乱暴・野蛮な存在)・ヴァン神族(魔術を巧みに操る豊穣の神)・アース神族(剣技に優れた戦いの神)の3つの氏族です。

巨人族とアース神族は初めから敵対(アース神側が仕掛けた)・ヴァン神族とアース神族は長期に渡り敵対→やがて和解そして連合を組み世界が秩序化し安定。しかし、最終的には巨人VS神族(ヴァン神族+アース神族)とのラグナロク(最終戦争)となり神々は滅びます。

こういった話がアース神族(もっとも有名なのは最高神オーディンですね)の神さま達の行動や生活を中心に物語が展開されてゆきます。
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奇妙なゲルマーニー人の文化

さて、このような北欧神話を語りついでいたゲルマーニー人とは、あらためてどのような人々だったのでしょう?

ゲルマーニー人は金髪・青目・巨漢で粗野で野蛮で凶暴な白人であると(ローマ人によって)記録されていますが、その文化記述においては北欧神話と同様とても奇妙な人々に映ります。ゲルマーニー人は多神教神話を持ち、神木を祭り、自然界・世界のあらゆる現象を神の霊の実現であると恐れ敬っていた森の民のようですが、一筋縄ではいきません。

なぜならば、そういった森の民でありながら、略奪を糧とする好戦的な戦闘民族ともされているからです。にもかかわらず、なぜか必要以上は略奪も戦闘もしない。

略奪の一方で森を敬い森と共にに住み、狩猟・採取・農耕・牧畜を行い、多くの小集団の集まりであり、各小集団で各々共同統治を行う。(ゲルマーニーの戦士は同時に職人であり農民であり詩人であるともいわれる)土地も共有性。巫女がいてシャーマニズム信仰・精霊信仰を残し口承文化といった母系的・本源的な要素も持ちつつ、父系氏族でかつ一夫一婦制であるとされる。神話に於いては神々は人格神であることは元より、闘争神が頂点に君臨する。早期にルーン文字(刻む文字・日常は殆ど使用しない)を獲得、自由民と奴隷という階層構造もあり、長く定住もするが、土地には拘らないともされる。

おそらくこの奇妙さは、ゲルマーニー人と呼ばれる人々の定義とその歴史に起因するのではないかと思われます。

ゲルマーニー人の定義と歴史
ゲルマーニー人という用語を広めたのはユリウス・カエサルであると言われていますが、カエサルはこの言葉を「ゲルマニアに居住する非ケルト系の民族」及び「ガリア北東部に住む系統不明の民族集団」という二つの定義で用いました。

後者の定義による集団は今日でもケルトかゲルマンか判然とせず、また前者の定義はゲルマニアにはゲルマン系だけでなく、ケルト系の民族も存在していた事を示しています。このような複雑な経緯から、ゲルマニアに住んでいた諸民族の系統については現在も考古学の分野で議論が続けられているのです。

Distribution_of_Celts_in_Europe3.jpg
ケルト人のヨーロッパ分布 -青は紀元前1500年から紀元前1000年 -赤は紀元前400年
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ローマ最盛期の帝国とゲルマーニー人領土の領域区分 紀元0年-200年頃
言語と外観は共通で似通っていたとしても実態は多数の小集団であり、紀元前に寒冷な北部バルト海中心に派生・拡大した民族が、元々ヨーロッパの中心に定住していた森の民ケルト人の領域を徐々に制圧、混血を繰り返しながら、やがてヨーロッパの広範囲に分散居住しローマの脅威となったであろう幾多の一族の総称であり、各々の定住した自然環境により、適した生産様式や文化を構築した結果の複合文化であり、集団ごとの地域性もあったと思われるゲルマーニー人たち。その全てを一くくりにした文化記述こそが前述の奇妙な文化に見えるゲルマーニー人像なのだと思われます。
 
4世紀 ゲルマーニー人の大移動)(色丸は全て異なるゲルマーニーの一族を表す) <図をクリックすると拡大します>

I1a_europe.jpg
現在 北欧人に多く含まれるI1a遺伝子の現在の分布図。北欧、イギリス、バルト海沿岸部に広がっており、西欧では北部ドイツやフランスの大西洋沿岸部より南にはあまり存在しない事が分かる。
それでは ゲルマーニーの歴史を踏まえて、あらためて北欧神話を覗いてみましょう。彼らの間で長きに渡り伝承され共有されてきた北欧神話の中には集団の固有性をこえた共通の意識が表れているはずです。

北欧神話の世界観 世界樹(ユクドラシル)

Yggdrasil.jpg図は北欧神話の世界観・世界樹(ユクドラシル)
北欧神話の世界の中心には、世界のはじまりから存在し、最終戦争(ラグナロク)後も永遠に存在する世界樹の木があります。同類闘争は当然であるものの、木や森は普遍的なものであり絶対的なものであるといった価値観が北欧神話の根幹にはあるようです。

ユグドラシルは、北欧神話に登場する「世界」を体現する巨大な木であり、「世界樹」もしくは「宇宙樹」とも呼ばれます。その木は※セイヨウトネリコであるといわれ、北欧神話では人間もこのセイヨウトネリコの木片からアース神族によって創られました。

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※セイヨウトネリコはヨーロッパに広く分布する、樹高20~35mの落葉広葉樹。葉は長さ20~35cm、対生の奇数羽状複葉で9~13の小葉からなる。(日本のトネリコとは異なる)

神々と森と人間
3人のアース神(オーディンとその兄弟神)は、最初の生命であり祖先でもある巨人を殺しその肉体で世界を創造します。そして人間を作り、世界の頂点に神々は君臨し、その世界の秩序と安定を司ります。

しかし、神々の力で創造・秩序化され、神々が頂点に君臨する世界もやがては滅ぶ運命にあります。それを初めから知りながらも真摯に生きる事を義務付けられた神々と人間のこの物語には、自己正当化と自己矛盾、さらには罪悪感にもとづく自虐性のようなものを同時に感じます。

また、この神話のラストは神々の滅亡後、世界樹だけが世界に残ります。そして、その世界樹の根っこに隠れていた為に生き残ることができた1組の人間の男女。ここから新たな人間の歴史が始まるのです。

これら北欧神話の世界観の根底に流れる木や森林に対する不変視・絶対視は、北欧神話以後も民間伝承の中に脈々と生きつづけ、森の精霊・妖精、森の魔女に形を変えながらグリム童話へと引き継がれ今のドイツの人々のアイデンティティー=森の民意識へと繋がっているのかもしれません。



ギルガメッシュ神話では森林破壊・自然破壊に対する正当化と葛藤が描かれ、ギリシャ神話では闘争の神に支配された自然は、その摂理の超越性は認めながらも同類闘争に利用される形の物語でした。一方、今回の北欧神話では、深いところで森林信仰を保ちつつも同類闘争が先端課題となり、闘争の神と生産の神族が支配した世界は一時秩序化するものの、最後にはそのやり方が自らの破滅を招く物語として描かれています。

紀元前~古代までのヨーロッパ(ゲルマン地方)では、同類闘争の圧力に変質しながらも多数の神々や精霊信仰は生きており、森林破壊や自然支配、同類攻撃に対してまだ完全には正当化は成されていなかったようです :o

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同類(略奪)闘争による秩序化と安定・堕落、そして滅亡の運命
さて、ここからはまったくの仮説・想像になりますが、

ゲルマーニー人とは、元来の自然崇拝・精霊信仰を根っこにもちつつも、環境変化に伴う同類圧力の高まりから、やむなく森に住む採取・狩猟民族(旧石器人の末裔)を駆逐した農耕・牧畜民族と略奪・遊牧民族との融合文化であり一族なのではないか?

本来の共認回路に反した同類圧力に対する自らの適応様式を強力に正当化しながらも、一方では同時に罪悪感を感じつつ目先の秩序・安定に収束する。

そういった自らの存在矛盾に対する自覚を強く持つが故に、やがては復活した自然と共に生きる民族(真っ当な共認回路と適応様式を持つ人々)と対峙する運命を知りつつ、最後には自分たちが滅ぼされ新たな次代がくる事をも宿命として受け入れ、心底では望んでいた人々。

そんな人々であったのではないでしょうか?

List    投稿者 kasahara | 2009-08-22 | Posted in D.地球のメカニズム1 Comment » 

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コメント1件

 せきや | 2010.04.22 22:04

若い人たちの充足したい!という気持ちの強さには驚きます。
農業には、充足を得られる可能性があると感じてくれている事は嬉しいですね。

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