2009-09-12

地球環境の主役 植物の世界を理解する24 欧州・アルプス以北の森林破壊と再生

前回に引続き、欧州地域を扱います。時代は、中世・近代・現代です。
歴史以前、欧州地域は原生林で覆われていたと言われていますが、現代に於いては森林面積比率に大きな違いがあります。この違いができた原因は一体何なのでしょうか?今回はこれについて考えてみたいと思います。 
 
1.欧州諸国の森林面積比率 
 
欧州諸国では過去に於いて森林伐採が行なわれ森林面積は大幅に減少しました。その後、民有林の助成強化などにより森林率は回復してきました。現代に於ける欧州諸国の森林面積比率は下記の様になっています。 
 
欧州諸国の森林面積比率は大別して3分類になります。
すなわち、①フィンランドを始めとする北欧諸国は40%~76%、②アルプス以北の高地を持つ諸国(フランス、スイス、ドイツ、オーストリア)は30%~40%、③英国及び平地諸国(イギリス、オランダ、ベルギー)は10%前後です。 
 
sinrinritu02.bmp 
数値はOECD諸国の森林面積比率と森林利用率からお借りしました。 
 
欧州諸国の森林面積比率が、上記のように違いがあるのはなんででしょうか? 
 
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2.歴史以前、欧州の80%、90%は森林に覆われていた 
 
古来、欧州全域は原生林で覆われていたと言われています。この原生林はどのように出来たのでしょう。 
 
暖流(北大西洋海流)が、欧州大陸に水を運んでくる 
 
森林の生育は降水量に左右されます。英国及びアルプス以北は、全般的に年間を通じて降水量が一定しています。例えば、ロンドンやベルリンは毎月50~60mmの降水量があります。この年間を通じた降水量がある為、森林生育が可能な環境になっています。 
 

各図はポップアップです。 
 
出典:世界の雨温図 
 
降水量は海流に左右されます。暖流が流れる地域は、暖流からの海水蒸発量が増える為、降水量が大きなります。メキシコ湾を発する暖流(北大西洋海流)が、北米大陸の東側を北極海地近くまで北上し、欧州大陸に向けて南下してきます。この暖流が、欧州大陸に安定的な降水量をもたらします。 
 
欧州の森林生育には長い期間が必要 
 
植物・森林の生育スピードには、気温が重要な要素になります。欧州諸国の年間平均気温は低いので、緑の生育スピードはアジアモンスーン地帯に比して小さいといえます。すなわち、長い年月をかけて森林が形成されたのです。
そして伐採しても再生可能ですが、再生には長い時間がかかります。例えば高温多雨の日本では、荒地が森林に戻るのに、数十年ですが、欧州では百年単位を必要とするのです。 
 
3.英国の森林伐採、森林残存の論理 
 
ローマ以来の農業・牧畜による森林破壊

イギリスでは、紀元前~2世紀頃にかけてローマ人の植民地として、森林伐採が大々的に行われ、農耕地(牧草地も含む)に変えられました。当時、フランスやドイツの森林被覆率は90%以上だったことからもわかるとおり、当時希に見る農業大国になっていたのです。そのため、イギリスには、大陸から数多くの民族がやってきました。アングロサクソンの大移動などはこれが理由の一つです。多くの人が移住してくれば、農業生産力を保たねばなりません。そこで、イギリスに住んでいる人たちは、自然による森林への回復を抑止したのです。 
 
イギリスでは、森林は林野法という法律(14世紀頃策定)によって王家や貴族によって保護されてきました。それは、森林内でウサギや鳥の狩りをするためです。そのため、イギリスの森林はリザーブという形で保全されてきたものが多く、自然度の高いものになっています。

イギリスと日本における森林率の違いの理由は?から 
 
産業革命で更に森林を減らす

17世紀には産業革命が起こり燃料木の需要拡大により伐採がすすみ慢性的な木材不足に陥ってしまいました。20世紀に入り第一次世界大戦には軍需物資として森林が大量に伐採された結果、森林被覆率は5%まで低下したのです。 
 
1979年に発足したサッチャー政権下で民有林の助成強化を進めて以降、森林被覆率が回復しつつありますが、現在でも僅か10%程度で、ドイツの30%と比べて極めて少ない状況が続いています。

イギリスにおける森林減少の歴史的経緯 
 
英国の王家や貴族達は林野法を制定し、自分達の狩猟地として、森林を残しました。産業革命以降の森林伐採で残ったものは、王室・貴族所有の森林です。これが森林被覆率5%の意味です。 
 
4.ドイツの森林保存と再生 
 
スイスに見られる森林破壊

開墾が始まる以前は、国土の85%が森林で覆われていた。5世紀には、ゲルマン民族の入植により開墾が進んだ。しかし、人口がまだ少なかったこともあり森林破壊につながるものではなかった。12・13世紀には、人口増とともに農牧地が増え、“リュティ”“シュバント”といった森林除去を意味する村の名前が各地で現れた。14世紀に入るとペストの流行や小氷期の影響で凶作に見舞われ、死亡率が増加し人口が激減した。そして一時的に森林が復活した。
しかし、ペストの流行がおさまると人口は再び増加していった。小氷期が終わる19世紀には、高地の冷涼地や痩せ地でも育つジャガイモの普及によって農業生産が安定し、さらに人口は増えて開墾が進んでいった。森林は集落が共有しあうものだったため、伐採は伝統的に厳しく規制されていた。しかし、木材需要が高まり、それまで中央高地から低アルプス地方が中心だった伐採は、スイス全域に及んだ。19世紀後半の森林面積は、国土の15%にまで縮んだ。

引用先:『スイス・ドイツの自然破壊と緑化、引用先URL=http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~konokatu/asano(06-1-29) でアクセスしてください。 
 
中世ドイツ、森林を巡る共同体(農民)と領主の攻防

領邦国家と共同体について。 
 
ドイツでは13世紀頃から神聖ローマ帝国直属の領主が封建知行権、裁判権、森林高権など様々な特権を結びつけて領域の一括支配を志向し始めた。こうした状態を領邦国家化と言われているが、絶対主義国家化へと連動する動きである。一方、封建制が領主直営から地代荘園制に変化するなかで、村落共同体が形成され、村落の命令と禁令を実行するための組織が森番を含め造られるようになった。 
 
森林と放牧地からなる共有地が16世紀以降において領邦国家によって侵害されるようになった背景として、領主の狩猟熱とともに、木材が不足したこと、放牧地がヒツジ飼育にとって不可欠であったことなどがある。領主の支配権を広げる根拠となったのが森林高権、野獣禁令権である。 
 
転機としての1525年農民戦争 
 
1525年にドイツ西南部を中心に激しい農民戦争が戦われたが、バーデンとヴェルテンベルクはシュバルツバルトを含め、その主戦場の一つであった。特にヴェルテンベルクは16世紀初めから厳しい森林保護政策を実施したことで知られており、ヴェルテンベルク伯は伯の権威ではなく、野獣禁令権によって領邦を建設したとされた。 
 
上シュヴァーベン農民が提起した12箇条の第5条では、木材について苦情を持っていることを明らかにした上で、領主が購入しないで所有している場合、森林を共同体に返還し、共同体の自由な処分に委ねることを要求している。農民戦争の敗北は領邦国家の森林支配権を強め、16世紀以降、多くの森林令が制定されるようになった。しかし共同体や農民の力が削がれた訳ではなく、ラントシャフト制という領邦国家の仕組みのなかで生き残り、旧体制の全面的復古は生じなかった。

ドイツ森林史の一断面―領邦国家、共同体そして森林法 
 
ドイツでは、領主に対抗する力を保持していた農村共同体が、『共有地』としての森林をある程度確保していた。一方、領主側も狩猟地として、一定程度森林を保全していたのです。ドイツ(スイス)の森林破壊が15%で止まった要因だと見ることができます。 
 
5.ドイツとイギリスの森林残存の違い、共同体意識の残存が決定的 
 
森林伐採後、ドイツでは森林面積比率が15%に落ち込み、その後は30%に回復しています。一方、英国では5%に落ち込んだ後、回復しましたが10%に過ぎないのです。この違いはなんでしょうか? 
 
15%と5%の違いは、共同体意識の違いによるものです。 
 
村落共同体にとって、森林は共有地であり、生活基盤の一部です。一方、領主(貴族)にとっては娯楽(狩)と家畜(富)の基盤であればよいので、それを満たすだけの森林だけがあればよく、それ以上拡大する必要がないのです。だから、村落共同体の森林保全の力が働いたドイツが15%です。 
 
では、森林再生による30%と10%の違いはどうなるのでしょう。 
 
共同体的意識が生き残る南ドイツでは、歴史的に、森林は生活の一部として継承されて来ました。戦後、経済成長によって登場した、ドイツ中産階級は、保養地として、南ドイツの森林に収束して行きます。
村落共同体の森林保全と中産階級の保養地・森林収束が合流して、ドイツの森林再生が行われています。森林再生は、ドイツ国民全体の関心事項となり、本格的な森林再生を進め、30%まで回復させました。 
 
一方、原点が貴族の狩猟地でしかない英国の森林は、中産階級・労働者階級にとって、無縁のものですから、森林再生に関心をもたないのです。だから、10%までの再生でしかないのでしょう。 
 
黒い森の中にある、ドイツ最大の保養地バーデン・バーデンの秋景色
 
Baden-Baden.bmp 
 
写真出典黒い森(解説サイト)から 
 

List    投稿者 yosiyosi | 2009-09-12 | Posted in D.地球のメカニズム1 Comment » 

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コメント1件

 rino | 2010.04.22 11:57

シリーズを通して拝見しますと、日本ではトリウム溶融塩炉の技術(実験段階ではあるが)をもっているが、いまだにアメリカの追従路線を踏み外さないんですね。
>これは、現在主流の軽水炉を開発した官僚・電力会社・メーカーの国策独占グループの利権と対立するため、意図的に排除されていると思われる。
この分析はうなずけますね。

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