2013-06-05

【気候シリーズ】マヤ暦は地球寒冷化を予測していた!?~後編~

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(画像はコチラからお借りしました)
前回は、マヤ人が天体を観測する中で見つけて来た自然の摂理=マヤ暦にからマヤにスポットライトを当てました。( 前回の記事はコチラ

マヤ暦を太陽の活動周期を正確に記したカレンダーと捉えて、日本の歴史と重ね合わせるとその節目には必ず大事件がおきていることが分かりました。そして、2013年から寒冷化に向うサイクルに入っていくのです。

地球寒冷化説は当ブログでも既に取り上げており、今では一般的な事実となってきています。世界的な異常気象の増加もこの寒冷化への前触れと捉えることができるのです。
このように、寒冷化に向かえば世界的に食糧不足が顕在化し、食料輸出国は国民の食料を確保するために、輸出禁止となることが想定されます。こうなると日本など主に輸入に頼っている国などは立ち行かなくなってしまいます。

では、私たちはどのように寒冷化に対処していけばよいのでしょうか?

そのヒントをマヤの歴史から見つけてみたいと思います。

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■マヤ人はどのように天体観測してたのだろうか?
前回はマヤ暦の周期性に焦点を当てて記事にしたが、マヤ人は太陽だけではなく、金星も重要な天体として位置づけ観測していました。ではマヤ人はどのように天体観測してたのでしょう?
マヤ人は毎日変化する天体の位置を建物の窓を使って観測していたようです。
石窓を一定のピッチで建物に配置し、観測対象の天体の位置する窓の位置の変化によって正確な位置を把握していました。
下の写真は観測に使っていた石窓です。
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(画像はコチラからお借りしました)
このように、彼らは天体観測した結果を建築物として残し、万人の共認軸としてマヤ暦を使っていたようです。

現代の我々にとって、「太陽と月」が重要な天体であるが、マヤの人々にとっては、「太陽と金星」がとりわけ重視された。
遺跡として残る神殿は、太陽の動きに合わせて建設されている。
「春分・秋分」、「夏至・冬至」などの重要な節目には、太陽が神殿と重なったり(カラクルム遺跡)、不思議な影を現出したりする。
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(画像はコチラからお借りしました)
例えば、天空から舞い降りる蛇「ククルカン」は、春分の日にだけ、その全貌を明らかにする。階段の最下段に設置されたククルカンの頭に、春分の日の太陽が作る階段の影が胴体を添えるのだ。
この壮大な仕掛けのポイントは、神殿が東西南北の方角に対して「21°」だけズレていることにある。
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(画像はコチラからお借りしました)
太陽は規則正しく動くために、その観測は容易であるが、「金星」の場合、そう簡単にはいかない。
地球から見える金星の周期は「584日」だが、金星は東の空を260日以上うろついたかと思うと、2ヶ月ほど消えてしまう。
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(画像はコチラからお借りしました)
そして、再び現れるのは西の空。一通り西の空を巡回すれば、また一週間ほど消えてしまう。そして、584日後には元の場所に現れる。
この一見不規則に見える「規則性」を、マヤの人々は完璧に把握していた。
金星は「チャクエク(偉大な星)」として、その観測を欠かすことがなかったのだ。
地球が太陽・金星と一直線に並ぶ周期(584日)と、地球が太陽を一周する周期(365日)が、8年に一度だけ一致することを示す石碑も残っている。
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(画像はコチラからお借りしました)
金星観測の天文台の遺跡も残る。土台や建物が微妙にズレた設計になっているのは、建物の開口部が、金星や太陽の動きを正確に示しているためである。
複雑な金星の動きを、正確に理解していた「マヤ文明」。2012年地球滅亡の論拠ともされる謎の暦をもつ高度な知識。から引用

■なぜマヤ人はモノの周期を知ろうとしたのだろうか?
マヤ人は、正確に周期をするために膨大な時間と労力をかけてきたことが伺えます。
では、マヤ人はなぜそこまでしてモノの周期を必要としたのでしょうか?

それにはマヤの地域特有の厳しい外圧環境が絡んでいます。
マヤは海浜地域で最初の文明が生まれますが、その後は数百年単位で内陸部へ転々と移動していきました。
マヤがあるユカタン半島には火山が集中しています。さらに太平洋と大西洋に挟まれた狭い地域にあり、両方の海洋の影響を大きく受けます。マヤはそのような立地にあり、砂漠から雨林帯まで狭い地域の中にさまざまな気候を内包しています。
短期間で大量の雨も降れば、長い期間乾燥にさらされ、その土地が全く住めなくなる事もありました。完全な砂漠地域、あるいは恒常的な雨林帯なら全く人が住めないか、適応して安定した生活を送っていくのですが、マヤはそれらの地域とは異なり、極端に変動する気候や火山地域特有の噴火、地震、津波による自然の脅威に晒されています。
その結果、マヤ人は自然の変化を丹念に注視する民族になっていったのでしょう。環境変化を予測し、それに合わせて移動し、生きていく事が集団として求められたのです。
なぜ彼らが多くの暦を要しそれを活用したのか、その答えは世界でも稀な、かなり特殊な環境外圧にあったと思われます。
マヤ人にとって自然界にある様々なリズム(周期)を掴むことは、未来を予測し危機を察知すること、そして集団を守る事と直結していたのです。

●マヤ人の時間観③~『時間とは生命そのものである』

それでは冒頭のシャーマンの「時間とは生命そのものである」とはどういう意味なのでしょう?私達は「生命」と聞くと、動物や植物と捉えます。
けれどもマヤの人達は、地球やそれをとりまく宇宙も含め「あらゆるものは生命である」と捉えてきました。
上記②で展開したようにマヤの人たちは厳しい外圧環境の中で、生き延びてきました。彼らは私たちが捉える生命観同様に、その思考方法を生命活動の源である根源的な天体や宇宙という対象に向けたのではないでしょうか?だから彼らは天体現象を動植物と一体のものとして見たのです。環境外圧の厳しいマヤ人が「天体法則」を見出してきた背景にはこのような連続したモノの捉え方があると思われます。
人類は「精霊」を措定した時に同類に対して使った共認回路を自然に対して適用しました。マヤ人も天体現象に対して共認回路を使い、とてつもない宇宙現象をあたかも仲間や同類のように捉えようとしたのではないでしょうか。

日々流れる時間を、あらゆる生命のリズムと感じ、それを敬いながら逆らう事無く生きていく。マヤ人が暦をいくつも作りその周期の中で生きているのは、あらゆるモノに生かされている事を知っているからでしょう。この点については私達日本人の祖先と非常によく似ているものを感じます。

アンデス・マヤ2大文明の“伝え”7~『時間』を識るとは『自然の摂理』を識ること

http://web.joumon.jp.net/blog/2012/12/001463.html

より引用

マヤ人は自然を注視し、そこから学んだ事実認識によって超集団の統合を成し遂げたという偉業を持っています。
今の私たちにも求められているのは、このようなこころの在り様がではないでしょうか?

List    投稿者 staff | 2013-06-05 | Posted in D02.気候No Comments » 

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