気象操作の歴史を遡る3~西洋人の思考の根幹を成す一点突破思考
(画像はコチラからお借りしました)
今年の夏も暑い ですね。
こうして人工気象操作を調べていると、
気候をコントロールしたくなる気持ちも分かります 🙄
「気象操作の歴史を遡る」シリーズでは、1回目にロシア、2回目にはアメリカの気象操作技術を紹介してきました。
3回目の本エントリーでは、いよいよ人工気象操作の歴史に遡り、なぜここまで気象操作に収束したのか?その思考に迫ります。
これまでみてきたように、一定気象をコントロールする技術が存在するようですが、その技術はどのように開発されてきたのか?雨乞いからに気象操作に至るまでの歴史的背景を振り返りながらその思考を順に整理したいとおもいます。
■精霊信仰の対象としての自然
常に自然は圧倒的な存在感を持つ畏敬の対象であり、祈り=期待・応望の対象であり続けました。言い換えれば、精霊信仰は徹底して共認原理に貫かれていたし、自然も人も共認の対象という意味では一体でした。
次の事例は、アメリカに住むインディアンのものですが、極限時代の人類の自然観が見て取れます。
「気象を操作したいと願った人間の歴史」P50 マンダン族の雨乞い師
(画像はコチラからお借りしました)
ミズーリ川上流の沿岸に暮らしていたマンダン族は、長引く乾期に見舞われることがあった。そのままでは作物のトウモロコシがだめになる恐れがあるため、呪医たちが神秘的な小道具を手に会議所に集まった。。
(中略)
キャトリンはこの物語から二つの教訓を引き出している。第一に「マンダン族が雨を降らせようとするとき、失敗することは決してない。なぜなら、雨が降り出すまで絶対に儀式をやめないから」。第二に、マンダン族の雨乞い師は、いったん成功したら二度と雨乞いをしようとしない。彼の呪術に疑いの余地はないのだ。将来、旱魃に見舞われたときには、自分の力を示そうとするもっと若い勇士に大役を任せる。西洋の科学技術的な雨乞いとは違い、マンダン族の文化においては、雨が雨乞い師を選ぶのである。
■宗教儀式により悪天候を解消
本来、精霊信仰では、人も自然も共認対象であり、従って意志をもった存在でした。それが古代ギリシャ→キリスト教を通じて、自然を物質的なものとし、霊的存在と対立させる思考法が登場してきます。
肉体(欲望)を悪の根源であり死に行くものと見なし、精神=霊を善の根源であり不死のものとみなして、対立的に見る見方が出来上がっていく。
「気象を操作したいと願った人間の歴史」P148 雲と戦う
長年にわたり、厳しい天候が予想される際の対策としては、基本的に二つのアプローチが主流を占めてきた。すなわち、儀式的方法と軍事的方法だ。1750年頃までは、生贄、祈祷、嵐を防ぐ聖なる鐘などが最も人気があった。
(中略)
(画像はコチラからお借りしました)
教会の鐘は祈りの言葉が刻まれ、聖別され、洗礼を施されることさえあった。フランスの著名な科学者にして政治家のフランソワ・アラゴは、『気象論集』において、教会の新たな鐘の据付に際して朗唱される伝統的な祈りの言葉を多く引用している。そのなかには「この鐘を祝し給え。この鐘が鳴るときには、悪霊、つむじ風、落雷の悪しき影響とそれがもたらす荒廃を追い払え」というのもある。
■雲に宿る魔女を打ち落とす
1750年以降は、雲に対する攻撃が主流になっていきます。
「気象を操作したいと願った人間の歴史」P153 雹への砲撃
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(19世紀まで)何世紀にもわたりオーストリアの農夫たちは、聖なる銃で嵐を撃って消し去ろうとしていた。釘を込めた銃は、雲に跨る魔女を殺すためのものだとされていた。銃身に何もこめずに空砲でで発射される銃は、大きな音を立てるためのものだった。
中世になると人間に対する害悪の根源を自然を司る精霊(=魔女)としているところは、精霊信仰の流れを汲んでいると見ることができますが、明らかに「自然=悪」という二元論的思考が進んでいます。
霊を物質と切り離すことで、物質である自然はいくらでも残虐に扱うことができるようになるわけです。近代科学認識に連なる、精神と物質、心と物という心身二元論的思考、そして自然は支配してもかまわないとする思想の起源がここにあるのではないでしょうか。
『科学はどこで道を誤ったのか?』(2)古代オリエントの時代~全てが共認対象として一体であった精霊信仰から精神を上位とし物質を下位とする二元論へより引用
■科学を使った人工降雨
これまで自然魔術においてはかろうじて維持されていた自然への畏怖の感情が、19世紀に入ると科学者達が主役に躍り出ることによって失われていってしまいます。
「気象を操作したいと願った人間の歴史」P107 大火災と人工火山
(エスピー:画像はコチラからお借りしました)
エスピーは大気を巨大な熱機関とみなしていた。彼の嵐の熱理論によれば、雷雨、ハリケーン、冬の嵐といったあらゆる大気の乱れは、蒸気力によって生じるという。
太陽に熱せられ、湿った、大気の柱が上昇すると、そのあとに周囲の空気が急激に流れ込む。熱せられて上昇した大気は、冷やされ、水分が凝結する。それによって潜熱が放出され(これが「蒸気力」だ)、雨、雹、雪などが生じるのだ。エスピーは正当にも、大気中の蒸気量を知ることの重要性を強調した。
(中略)
1838年、エスピーは上院に対し、森林を焼き払うことで雨を降らせる自分の能力にふさわしい報酬を出してくれるよう請願した。
政府に初めて雇われた気象学者であるエスピーの上記の請願は、議論の末却下されました。
この頃になると気象操作に限らず、物理学・電磁気学など様々な分野で自然科学が発達し、「科学技術による自然の征服」という思想し、それによって報酬を得ることが科学者を生み出します。
■西洋人の思考の根幹を成す一点突破思考
自然科学の研究の対象は、複合的な要素が互いに影響しあう複雑系ではなく、ある部分的な実験空間です。課題の全体(本質)を矮小化→捨象して、人間に都合のいい部分だけを追求し、一面的な目先の成果に傾倒した結果、未解明課題がたくさんあるにも関わらず、「科学技術は万能である」という誤った万能観が芽生えていったのです。
そこまで目先の成果に拘るのは、外圧が大きく異なるためです。
日本には、植物が十分に繁茂するには必要な、暑熱と湿潤が重なる夏があるのに対して、ヨーロッパでは両者が結びつく時期が一年を通して全然ない(冬雨地帯)という気候条件の違いからきている。
遊牧の歴史について②より引用
ヨーロッパの気候では東洋的なモンスーン気候と違い、自然の恵みは少なく恒常的に旱魃や飢饉の圧力にさらされ続けていた。
その状況を一気に突破できるような技術(例えば、気象操作や、錬金術)に収束していく。
また、これの流れを加速するのが、パトロンによる科学者の支援が不可欠でした。(詳しくはコチラへ→『科学はどこで道を誤ったのか?』(7)近代の前夜~「科学技術による自然の征服」という思想の登場~)
一点突破思考の問題は、複雑系である現実に対し、様々な条件を捨象し、ある一点しか視野に入っていないことです。重要な現実が完全に捨象されたまま、クリーンエネルギー(これも欺瞞だが)としての原子力に収束した結果が、311の原発事故を引き起こしたともいえるのです。
自然は恵みも災害ももたらす存在として、畏敬の対象であった東洋人(特に日本人)の中には、人類本来の現実直視の思考が残っています。まずは、311の原発事故を直視し、どんな思考が必要かを再考することが求められているのではないでしょうか?
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