2013-07-24

森林問題の深層◆2)混迷した林業政策の歴史(2) 平安時代・鎌倉時代の林政

前回 は、「渡来人が伐りまくって近畿圏の大径木は無くなった(古代の略奪)」ことを述べた。
今回は、中世のことをサラッと触れてから、次は、江戸時代の森林事情について見ていきたいと思う。
【平安時代】
◆農地の管理権は、換骨奪胎されて所有権と化す◆
奈良時代後期(8世紀)から課税逃れの偽籍・逃亡・浮浪が増大し、律令制度の根幹たる人別支配課税制度は綻びを見せる。そして、9世紀末から10世紀初頭に政府は、土地を対象に課税する体制へと大きく方針転換した。
それは、民間の有力百姓層(富豪層)に権限を委譲して、これを現地赴任の筆頭国司(受領)が統括するという支配体制(王朝国家体制)であった。その後特定の権門が独占的に徴税権を得る荘園が時代の節目ごとに段階的に増加し、受領が徴税権を担う公領と勢力を二分していった。

▲中世の不安定耕地。(歓喜光寺蔵『一遍聖絵』より)
*図版は、こちらからお借りしました。
 ↑もっと知りたい方はこちらをご覧下さい。
受領(ズリョウ)は名田請負契約などを通じて富豪層を育成する存在であるとともに、富豪から規定の税を徴収しなければならない存在でもあった。受領は、大きな権限を背景として富豪層からの徴税によって巨富を蓄え、中央官界とも直接結びついて富豪を牽制するなど、受領の統制を超えて権益拡大を図る存在でもあった。つまり、恣意的な地方政治を展開した。
本来、土地は全て天皇のものであり、その収穫物に対して年貢を納めるべきのものであった。国司(クニノツカサ)はその管理を委任された存在に過ぎない。にもかかわらず、その土地利用権を委譲された地方の有力農民は、新たに開墾した土地を貴族に寄進し、改めてその土地を借り受けて農業を営むようになる。
貴族に対する公的な給与が滞るようになってくると、貴族の所有する荘園から納入される官物をもって給与の代替とするために、貴族の所有する荘園に不輸の権(免税の権利)を与えるようになる。
農民にとっては、年貢を納めるよりコストがさがり、貴族にとっては、名義貸しだけで収入が得られるというメリットがあった。そのようにして、権門層(有力貴族・寺社)は各地に私領(私営田)を形成していった。
%E4%B8%8A%E8%A8%B401.jpg%E4%B8%8A%E8%A8%B402.jpg
▲国司苛政上訴 *図版は、こちらからお借りしました。
「尾張国郡司百姓等解」は尾張の在庁官人・百姓層が尾張守藤原元命(もとなが)による非法・濫行横法三十一箇条を訴えたもので、この結果元命は国司を罷免された。
参考 「水土の歴」 「荘園制から戦国大名による支配」 「戦国時代から江戸時代」

◆武士の台頭◆
9世紀ごろから関東地方を中心として、富豪層による運京途中の税の強奪など、群盗行為が横行し始める。朝廷は群盗鎮圧のために東国などへ軍事を得意とする貴族層を国司として派遣するとともに、従前の軍団制に代えて国衙に軍事力の運用権限を担わせる政策をとっていった。
そして、この時期の勲功者が武士の初期原型となった。彼らは自らもまた名田経営を請け負う富豪として、また富豪相互あるいは富豪と受領の確執の調停者として地方に勢力を扶植していった。

▲武士の発生と成立 受領と国衙(こくが)より
*図版は、こちらからお借りしました。
12世紀中期に天皇家・摂関家を巻き込む政争が起こり、その勲功のあった平清盛は異例の出世を遂げ、後白河上皇の院政を支えた。しかし、次第に後白河と清盛との間に対立が見られるようになり、清盛は後白河院政を停止して、自らの政権を打ち立てた。
平家支配に潜在的な不満を抱いていた各地の武士・豪族層が次々に挙兵し、平氏勢力や各地の勢力の間で5年に渡る内乱が繰り広げられたが、最終的には朝廷から東国の支配権、軍事警察権を獲得し、朝廷から独立した地方政権へと成長していた武家政権、すなわち鎌倉幕府の勝利によって内乱は終結した。
参考 「10世紀以降の受領と国衙 」

(さらに…)

  投稿者 staff | 2013-07-24 | Posted in E02.林業編No Comments »