【気候シリーズ】マヤ暦は地球寒冷化を予測していた!?~前編~
(画像はコチラからお借りしました)
これまで気候シリーズを扱う中で、地球は寒冷化していくということを何度か記事にしてきました。
【気候シリーズ】宇宙気候から気候変動を考える①~地球の気候変動の鍵を握っているのはCO2かそれとも宇宙か?
【気候シリーズ】宇宙気候から気候変動を考える4~スベンスマルク博士による宇宙気候入門(前編)
今回のエントリーは、視点を変えてマヤ暦から地球寒冷化をうまく説明しているブログがあったので引用紹介します。
なんで今更マヤ暦?と言う方も多いと思いますので、なぜ、マヤを扱うのかを最初に補足したいと思います。
■マヤ暦とは?
マヤ文明は中南米のジャングルの中に巨大な石で出来たピラミッドを残し9世紀から10世紀ごろ、忽然とマヤの人々が消えてしまったとても不思議な文明です。マヤ文明だけ海、川から遠く離れたジャングルの中で発達しました。そして遺跡の中から出土するもので、マヤの人々は「マヤ暦」という独特のカレンダーを使っていたことが分りました。この「マヤ暦」は現代の科学技術で解明された地球が太陽を回る「公転」、つまり一年を正確に割り出しているのです。そして、このカレンダーを研究すればするほど、優れたものであることがわかって来ました。
マヤ暦 より引用
「人類滅亡説を否定、最古のマヤ暦」(ナショナル・ジオグラフィック)による、マヤ暦は2013年以降も続いており、滅亡説はウソであったことも分かっています。
マヤ人はその約600年にも及ぶ歴史の中で、正確に天体の動きを予測できるようになっていたといわれており、マヤ暦にはマヤ人が天体観測する中で見つけた“自然の摂理”が凝縮されていると考えることができるのです。
また、太陽信仰であるマヤ人は太陽動きや黒点の数、惑星の動きなどを観測するなかで、太陽の周期が11年単位はとなっていることも発見していたと見られ、マヤ暦の周期が11年サイクルを使っていることも知られています。
このようにマヤ暦を太陽の活動周期を正確に記したカレンダーと捉えると、実は、驚きの事実が見えてくるのです。
いつも読んでくれてありがとうございます
■マヤ暦と日本の歴史を重ねあわせると。。。
地球寒冷化はいつまで続くのか?~地球寒冷化のメカニズム~より引用
マヤの819年暦のサイクルは、819年ごとのサイクルですが、
2013年に何が起こるかを知りたければ、西暦375年に何が起きたのか?を知る必要があります。
西暦375年に起きたのは、【ゲルマン民族の大移動】です。
そこから、世界あちこちで、民族の大移動が始まったのです。
きっかけは、、、【地球寒冷化】です。
下記は、さきほどのマヤの819年暦のサイクルに、
地球平均気温を載せたものです。
西暦375年の所で、ガクッと下がっているのが分かるでしょうか。
(また、409.5年サイクルの各節目や136.5年サイクルの節目辺りでも、
がくっと気温が下がっているように見えますね)
西暦375年には地球が一気に寒冷化し、作物が一気に減産し、食糧不足になりました。
特に、この影響は、両極に近い高緯度地域において顕著に現れます。
西暦375年の時は、高緯度地域に住んでいたゲルマン人が、
高緯度地域で、作物が取れなくなり、その人口を賄う事が出来なくなったために、
周辺を征服するような大移動をした・・・と考えられます。
現代における地球寒冷化も同じで、高緯度地域において、その影響は顕著になります。
日本なら、北海道・東北は寒冷化に要注意ですし、世界で見るなら、特にロシアや北欧・カナダは要注意です。
特に、強大な軍事力を持つロシアの動向には、くれぐれも注意しておいた方がイイです。
彼らは、地球寒冷化で食糧難になると、いつか南下してくるはずですので。。。
太陽活動を観測することで編み出したマヤ暦では、2013年から大きなサイクルが切り替わることを示しており、過去の気温データとの重ねと合わせると寒冷化に向かう可能性が高いといえます。
この結果は、これまで当ブログで言ってきたように2012年から太陽活動が停滞期に入り、寒冷化に向かっていくという結論とも一致しています。
やはり、寒冷化に向けての準備を本格化していく時期に来たといえそうです。
■寒冷化を契機に食糧危機が始まる
北半球の平均気温はマウンダー極小期では-0.6℃、ダルトン極小期では-0.5℃低下した。 日本(京都)の冬の気温はマウンダー極小期では-2.5℃、ダルトン極小期では-2.5℃低下した。
ヨーロッパではマウンダー極小期には気候が寒冷化し、経済活動が停滞し、ペストが大流行して飢饉が起こり、英蘭戦争や三十年戦争をはじめとする戦乱の多発によって人口が激減したため、「危機の時代」と呼ばれた。
日本では江戸四大飢饉のすべてがマウンダー極小期とダルトン極小期に発生している。
寛永の大飢饉(1642年~1643年)全国的な異常気象(大雨、洪水、干ばつ、霜、虫害)
享保の大飢饉(1732年)冷夏と虫害
天明の大飢饉(1782年~1787年)浅間山、アイスランドのラキ山噴火による冷害
天保の大飢饉(1833年~1839年)大雨、洪水、冷夏、稲刈りの時期に降雪の記録あり。
特に天保7(1836)年はコメが平年のわずか10%しか収穫できなかった。
2015年以降、世界的な感染症の流行と食糧不足、大恐慌を想定しておいた方がいい。より引用
私たちは食糧危機に対してどのように対処していけばよいのでしょうか?
そのヒントもマヤの歴史に見ることができそうです。
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