『首都直下型地震4年以内にM7級が70%』報道にみる学者・マスコミの迷走(2)~“地震の発生確率”は現実と乖離した数値~
前回に続いて、「首都直下型地震。4年以内にM7級が70%」報道について考えていきます。
この確率は算出手法が適切でなかったり、大きな誤差を含んでいるものであることは、前回の記事でも扱いましたが、そもそも、地震の発生“確率”を考える意味はあるのでしょうか?
結論から言うとありません。
それは、「…4年以内にM7級が70%…」の地震発生確率とは算出手法が異なる“30年確率”の値でも同様です。
2008年に地震調査研究会が瀬戸内海西部の周防灘断層群で今後地震が発生する確率を発表した際に、地震の発生確率を考えることの無意味さを的確に指摘している記事があったので紹介します。
11月17日の報道で、地震調査研究会が瀬戸内海西部の周防灘断層群で今後地震が発生する確率を発表したことが伝えられました。以下は毎日新聞からの引用です。
「国の地震調査委員会は17日、瀬戸内海西部の周防灘断層群(宇部沖断層群)が起こす地震の長期評価結果を発表した。主要な断層帯(延長44キロ)の今後30年以内の地震発生確率は2~4%で、規模はマグニチュード(M)7.6程度。山口県防府市や周南市、大分県豊後高田市、中津市などが最大震度6強以上の揺れに見舞われると予想している。
同断層群は北東-南西方向に伸びる多数の断層で構成され、延長44キロの主要断層帯と、長さ22キロと23キロの二つの断層帯からなる。
海上保安庁の複数の探査から、主要断層帯は1万1000年~1万年前に地震を起こしており、活動間隔は5800~7500年と推定された。」
「今後30年以内での地震発生確率は2~4%」というのは、どう考えたらいいのでしょう? 来年地震が起こる確率は2~4%といわれれば、地震が起こる可能性はゼロではないが極めて低い、もしかしたら起こるかもしれないと思うことができます。しかし、今後30年以内、といわれてもねえ。普通の感覚であれば、これは無視してもいいという判断になるでしょう。
地震調査委員会のサイトを見ると、「長期的な地震発生確率の評価手法について」というのがあって、そこに貼られているリンクから地震発生確率の求め方の解説を見ることができます。
(長期的な地震発生確率の評価手法について)
(長期的な地震発生確率についての解説)
この「解説」をできるだけ簡単に紹介します。
地震は活断層やプレートがずれ動くものであり、一定の期間内にこのずれが起こる確率を求めようというものであることがわかります。
仮に、活動周期1000年の活断層Aがあったとします。その活動はぴったり1000年周期で起こるわけではありません。前後にずれることがある(これを「ばらつき」といいます)ことはおわかりでしょう。問題は、その「ばらつき」がいつ発生するかなのですが、「ばらつき」の分布という考え方でグラフ化(横軸に時間、縦軸にばらつきが起こる可能性をプロット)すると、1000年のところに頂点があるなだらかな山形を描きます。このことは、1000年に近いほど発生する可能性が高く、離れればそれだけ可能性が低くなっていくことをあらわしています。
また、山形グラフの面積を求めるとそれは確率100%に相当するということにもなります。
ここでグラフの面積の90%がどの期間にまたがっているかというと、1000年に対して2/3から2/3の期間、すなわちおよそ700年から1500年の間に90%の面積が含まれるということが、BPT分布という考え方によって導かれるとしています。700年から1500年の間は800年間ですから、この800年間の間に90%の確率で次回の活動(地震)が起こるというのは、感覚的にもありそうなことです。
地震発生確率として、今後30年以内に活断層やプレートが活動する確率を求めるには、この山形グラフのうち任意の30年間を区切り、その部分の面積がグラフ全体の面積に対してどれだけの割合を占めているかを求め、それをもって地震発生確率とするというものです。
ここで、注意しなければならないのは、活動周期が長い活断層ほどグラフがなだらかになるために、そのうちの30年間を切り出して活動が発生する確率を求めると、かなり低い数値となるということです。つまり活動周期1万年の活断層がある場合、そのグラフの90%の範囲は7000年から15000年の間に収まるものですから、そのうちの30年間というのはほんのわずかなものにしかなりません。
したがって、活動周期が長い活断層ほど確率が低くなる傾向にあるということを「解説」は指摘しています。
このことは「長期的な地震発生確率の評価手法について」P28にも述べられており、それによると、日本の陸域および沿岸域の主要な98の活断層帯について今後30年以内の地震発生確率を求めてみると次の通りであるとしています。
約半数の断層帯:30年確率の最大値が0.1%未満
約1/4の断層帯:30年確率の最大値が0.1%以上~3%未満
約1/4の断層帯:30年確率の最大値が3%以上
また、調査委員会では、30年確率が3%以上の活断層帯は、「今後30年の間に地震が発生する可能性が,我が国の主な活断層の中ではやや高いグループに属する」としており、0.1%~3%未満の断層帯については、可能性がやや高いグループであるとしています。
なお、この「高い」というのは、98の断層帯の中では、という相対的なものに過ぎないのですが、このレポートはすぐ後に気になる記述をしています。それは阪神大震災(M7.3)を起こした野島断層についての地震発生直前の30年確率で、それによると0.38~7.8%であったというものです。同様に1858 年飛越地震(M7.0~M7.1)における30年確率はほぼ0%~11%であり、1847 年善光寺地震(M7.4)では0.85%~17%であったとしています。なお、それぞれの活動周期は野島断層が1800年から3000年、飛越地震の跡津川断層では1900年から3300年の間、善光寺地震の長野盆地西縁断層では1000年から1200年であるとされています。
レポートが、わざわざこんなデータを示しているのは、活動周期が長いので30年確率は見かけ上低くなるけれども安心してはいけませんよ、というつもりなのでしょうか? 理解に苦しむところですが、この例を見る限り、地震発生確率の計算は役に立たないと私は思います。
理論に基づいて計算式を導くのは当然ですが、それを実際にあてはめてみたときに、うまくあてはまればそれは正しいと思って差し支えないでしょうが、あてはまらない場合はその計算式(または理論)は間違っているということになります。事実から帰納して理論を導くのが科学的手法ですから、現実にあてはまらない理論は無意味です。
地震確率の求め方についての、各ステップは今まで見てきたように、理屈では納得できるのですが、現実の問題として、地震確率が2%から4%あるといわれても、だからどうしろというんだ、といいたくなります。つまり、地震が起こる可能性がありますよ、というのは理解するけれども、それだけでは役に立たない情報であるといわざるをえません。
どうしてこんなことが起こるのでしょうか?
理由は、この問題は確率で扱うことにはなじまないからではないかと思います。
「解説」では確率について、次のように説明しています。
「おみくじ100本の中に凶が3本あるとする。このおみくじをひくとき、凶をひく確率は3%である。『今後30年間にこの活断層が活動して地震を起こす確率は3%』と言うときの3%も、おみくじの3%と同じ『危なさ』である。確率の計算の仕方は、おみくじの場合、凶のおみくじをひく確率は、おみくじを作った人におみくじの本数とその中の凶の本数を聞けば分かる。これは非常に簡単に計算できる。しかし、活断層が活動して起きる地震の場合は、そんなに簡単ではない。」
おみくじをひく際に凶をひく確率3%と今後30年間にこの活断層が活動して地震を起こす確率3%は同じ「危うさ」である、というのですが、それは違うと思います。
おみくじ機という機械があって、その機械は30年間に1回だけおみくじを出してくれます。そのときがいつになるかは誰にもわかりません。けれども30年の間に1回だけおみくじを自動的に出すことは間違いありません。そのときに凶が出る確率は3%です。
こういうおみくじ機があった場合の3%と、今後30年間にこの活断層が活動して地震を起こす確率は3%とが同じ「危うさ」であることは認めます。しかし、現実にはそんなおみくじはありません。今ひくからおみくじの意味があるのであって、だからこそ確率が意味を持つのです。「解説」でも「おみくじをひくとき、凶をひく確率は3%である」とっているように、おみくじをひかない限り凶をひく確率は0%です。ここのところをいっしょにしてはいけません。
この場合、おみくじをひくとき結果は100通りあります。そのうち3本が凶なのですから、凶をひく確率は3÷100=3%となります。つまり、確率というのは、何か特定のことが行われる(この場合は「おみくじをひく」)ときに、その考えられるすべての結果(おみくじの合計は100本です)に対して、特定の事象(この場合は凶をひくこと)がおこる回数を割合であらわしたものを確率と呼びます。ただし、すべての結果が起こる可能性は「同様に確からしい」ということが条件になっています。いかさまサイコロでは、1から6までの目が出る可能性が「同様に確からしい」とはいえないので、この場合は確率を求めることはできません。
確率を計算する場合、そこに時間という要素が入る余地はありません。なぜならば、サイコロを1回振って1の目が出る確率は1/6ですが、これを5分間に1回サイコロを振って1の目が出る確率は1/6であるといういいかたをしても、5分間に1回であろうが1時間に1回であろうが、サイコロを振るのは1瞬ですから、時間は意味をなさないのです。
お前はそういうが、活断層においては時間が経てば経つほど地震が起こる可能性が高くなっていくはずだ、とおっしゃるかもしれません。これは全くその通りなのであって、私もそう思います。しかし、その「可能性」を確率という「数値」であらわすのは不可能です。将来、活断層にかかっている力を測定することができるようになり、それがある一定の限界を超えると地震が起こるというその限界値が明らかとなって、現在かかっている力がの状況からそれが限界を超えるまであとどれくらいの時間がかかるのか? ということがわかるようになれば、地震発生の予測がかなり正確に出せるようになると思います。
ただし、それはあくまでも予測であって、確率として数値化することはできません。私たちには、それが起こるかどうかよくわからないものに対して、その不安を払拭するためか、「それが起こる確率は○○%である」といいたがる傾向があります。可能性を数値化することで相対的にそれが高いか低いか評価ができるというのは理解しますが、それを確率と表現するのはどうかと思います。
次に30年間という長期間を扱うことについてですが、これは期間としては長すぎます。30年あれば、今年生まれた子供が成人し、もしかしたら子どもが生まれているかもしれません。あるいは、30年の間に俺は死んでるよ、と思う人もいるでしょう。あまり実感がわかないというのが30年という単位です。
したがって、科学的に正確さを期すために30年というある程度長期にわたる期間を設けたのでしょうが、そのことが却って現実味を乏しくしてしまっているようです。今年新築された木造住宅でも、30年経てば建て替えや大幅な改修が必要となります。地震で家がダメになるのか、老朽化でダメになるのかは誰にも判断つかないところでしょう。
どうしても確率という表現を使いたいのであれば、(極めて困難で多額の費用を伴いますが)観測技術の精度を上げるしかありません。そのうえで、今後数年以内にこの断層で活動が起こり地震が発生する確率は○○%である、と発表していただくのが科学的姿勢であると思います。
しかし、わが国には大森房吉博士の例があり、地震に携わる学者にとっては避けたいところでしょう。
だからといって、いったい何を意味しているのか不明な「確率」(30年間地震がなければ確率が低いせいにできますし、地震が起これば、確率は0であるとはいっていないのですから「指摘した通り」と胸を張ることができます)を公表することが世の中のためになることなのでしょうか? 社会に警告したいのであれば、「可能性がある」といえばいいのです。それを確率などという一般人も誤解している概念を使って、その可能性を定量的に記述しようとするからおかしなことになるのだと思います。
少年漫画でときどき、「お前が俺に勝てる確率は10%だ」とか「彼が犯人である確率は20%だ」などという場面があります。これらはご愛敬として済ますことができますが、国の機関が曖昧なことをいっちゃいけません。
科学者としての姿勢を貫こうというのであれば、30年間に地震が発生する確率などと曖昧なことをいわずに、わからないものはわからないとはっきり認めることが必要ではないでしょうか。
カクレ理系のやぶにらみ
地震発生確率は意味があるのか?
地震の発生確率として提示されている数値は、定められた計算式に基づいて算出されているでしょうが、そもそも現実と乖離した計算式から導き出されているため、その結果もやはり現実から乖離した役にも立たないものになっているのです。
では、なぜそんな役に立たないものが算定され、さらに報道されるのかというと、現実に対して傍観者でいることのできる学者やマスメディアの自己中心性に行き着きます。
~前略~
平田教授のいい訳は省くが、日本の今年度の地震調査研究関係予算は135億円で、来年度の概算要求額は460億円を超えるが、それを牛耳っているのが東大地震研なのだ。だが、地震研は地震観測一辺倒で、阪神淡路大震災が起きたときでさえも、「予知は不可能だから、地震現象の基礎研究に重点を移す」としてしまった。
東日本大震災が起きて「地震学者たちは何をしていたのか」という批判が出てきたため、あわてて「予知モドキ」を出てきたのだそうだ。つまり、自分たちのアリバイ証明として派手な花火を打ち上げたということらしい。原発事故で原発ムラへの批判が噴出したが、地震ムラも東大3 件地震研が牛耳っていて、「成果をほとんど挙げなくても、潤沢な予算を得ることが出来たのですから、学問として発展するはずがありません」(島村英紀・元北大地震火山研究観測センター長)
~後略~
「首都圏直下型4年以内に70%」ヤマ勘だって!?地震ムラの「予知モドキ」
~前略~
首都直下型地震の場合、家屋の倒壊や転倒による死者が8割を占めるといわれる。逆に、その対策をしておけば8割の人は助かる。しかも、家屋やブロック塀が倒れなければ、火災も発生しにくく、発生しても消火活動はスムーズになることが指摘されている。
そうした必要な情報、国民が安心できる現実は伝えず、試算内容を検証することもなく、各メディアはなぜ古いデータに基づいた数値だけを垂れ流し、不安を煽ったのか。
日本新聞協会研究所所長などを歴任したジャーナリズム研究の第一人者、桂敬一・立正大学元教授は、「ジャーナリズムの質が劣化している」と一刀両断した。
「学者はあらゆる事態を想定した上で数値を弾き出す。その数値は様々な文脈の中から出てきたものなのに、全体を伝えず、一部を切り取って事実を増幅するやり方は、読者や視聴者から理性を奪う非常に危険な報道です。記者の無知と、ジャーナリズムの責任に対する無自覚が原因ではないか」
記者の無知、無自覚によるパニックは、放射能報道でも問題になったばかりである。記者クラブメディアは普段、「説明されたまま書く」ことしかしないため、自分で調べて書く技術も意欲もない。だから、「基準の○万倍」「汚染水○万トン」という“スゴそうな数字”だけを報じ、その数字がどれくらい危険か、そうでないかを解説できない。
報道する側が原子力や放射能について知らないのだから、国民にも本当のことが伝わらず、不安だけが広がっていった。それに悪乗りした週刊誌が、さらにセンセーショナルなデマを書き散らす構図も同じである。
「今やセンセーショナリズムは週刊誌より新聞のほうがひどい。新聞を読む人が減っているから、記者は読者が注目する数字を欲しがっている。だから、誰かが数字を出せば、すぐに飛びつく。新聞がその数字だけで扇動するから、さらにテレビや週刊誌によって、正確でない報道が増幅されていく。こうした状況は日本のジャーナリズムの末期症状といえるでしょう」
~後略~
首都圏M7地震報道背景に“スゴそうな数字”に飛びつく癖あり
学者やマスメディアに厳しい評価圧力をかけていく必要はありますが、彼らの批判だけをしていても、皆が期待している地震のメカニズムの解明には至りません。
まずは、専門家と呼ばれている人たちも、自然の営みについてはほとんど何も分かっていない状況であること、むしろ専門家であるがゆえに、課題に向かう(期待に応える)ことよりも、身分維持が優先されてしまう構造にあることをしっかり認識する必要があります。
地震の発生確率報道では、多くの人が不安に駆られたとは思いますが、「この確率は一体どう捉えたらいいの?」と思った人が少なくないのも事実です。
既存学説に囚われていない素人が、違和感と可能性を流さずに、事実を追求していくことこそが、地震のメカニズム(自然の摂理)への同化→解明への道筋であるように思います。
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石田昭 | 2014.05.24 23:02
地震爆発論学会は、活断層に固執する原子力規制委員会委員長代理・島崎邦彦氏の更迭を求める署名活動を開始いたしました。
原子力規制委員会を支配している「活断層理論」は最新の理論ではありません。水はマグマの熱で水素と酸素に分解します。分解した酸素と水素が爆発を起こしているのが地震であり、活断層地震説は間違っています。
その間違った理論に基づいて、原発の安全性問題を審議していることは重大な国家的損失を生みます。
断層は爆発の結果起きる亀裂であり、地震の原因ではない。!
活断層説は原因と結果を取り違えている。!
活断層は存在しない!
島崎氏は公開質問状に答えていただきたい!
ご賛同いただければ、署名活動にご協力をお願いします。署名用紙は
http://www.ailab7.com/sedet-2014shomei.pdfからダウンロードしてください。
チラシ配布にご協力して頂ける方はhttp://www.ailab7.com/gaisentirasi.pdf からダウンロードしてください。
公開質問状はhttp://www.ailab7.com/simazakisitumon.pdf からダウンロードしてください。
以上
地震爆発論学会 会長 工学博士(元・名古屋工業大教授) 石田昭
http://bakuhatu.org