熊本地震のような群発地震は前例がないというのはウソ
熱移送説の角田史雄先生の新書が出た。今回は藤和彦さん(元通産省官僚で、エネルギー・産業技術政策分野の研究者)との対談である。
http://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-83132-9
今回は、その中から、「熊本地震のような群発地震は前例がないというのはウソ」だという事実を紹介したい。
熊本地震は本当に「前例のない地震」だったのか?
角田氏は今回の熊本地震について「松代(まつしろ)群発地震」との比較が参考になると指摘している。松代群発地震とは、1965年8月に長野県埴科郡松代町(現・長野市)付近で約5年半もの間続いた、世界的に見ても稀な長期間にわたる群発地震のことである(震度1以上の有感地震は6万2826回)。
松代群発地震についてはネットで簡単に検索できるにもかかわらず、熊本地震の発生後にマスコミに登場した地震学者は「前例のない群発地震」という指摘を繰り返すばかりで、松代群発地震のことに一切触れなかった。
松代地区には「松代地震センター」が存在し、当時の記録や写真などが保存されている。地震学者たちが松代群発地震のことを知らないはずはないと思うのだが、あえて黙殺するのは、この地震の存在がプレート説にとって「不都合な真実」なのではないかと勘ぐりたくなる。
松代群発地震の活動期には、震源地に近い皆神山(標高659メートルの溶岩ドーム)が発光するという怪現象が生じた(真夜中なのに夕暮れのようにボーツと明るくなった)。このことから「熱せられた鉄が光るように地下の岩層が熱せられている」と考えた当時の地震学者たちはこのような事象を丹念に精査して角田氏が提唱する「熱移送説」とほぼ同様の結論に至ったと言われている。
松代群発地震では、多くの発光現象の観察記録が集められ、特に松代町東条の栗林亨氏による世界で初めての写真撮影例、10例(8例はカラー)が得られました。これらの資料は、発光現象を科学的に調査する上で貴重な資料となりました。上記はそのひとつ
http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/matsushiro/mat50/disaster/higai.html より転載
以上は「次の震度7はどこか」の紹介として藤和彦さんがJBPRESSの記事に書かれていることですが、以下に、本書から、さらに衝撃の事実を紹介します。
(松代群発地震では)ハチの巣のように震源が集中する地震の巣を持ち、これが(戦国時代の戦場として有名な)川中島あたりから北東方面に移動していったことがわかっています。当時、東大地震研究所は地下の温度状態を調べました。このために使われたのが全磁力計です。これはキューリー夫人の夫であるピエール・キューリーが発見した「数百度になると磁力がなくなる」というキュリー点の原理を応用したものです。磁力の強弱で地下の温度の高低がわかるのです。「地下が熱くなって地震を起こすのに必要なエネルギーがたまり、岩盤が膨らんで、裂けて地震を発生させる過程で消費エネルギーがどのように使われたか」が計算されましたが、これは誰もが認める力学の法則に則った地震論です。
このような理論がほぼまとまった頃に、松代群発地震が起こったのです。松代群発地震の調査チームは、火山と地震は共通の原因=マグマで起きるとの結論に達していたのですが、プレート説の爆発的な流行でその調査結果が埋もれてしまったのは、大変残念なことでした。
松代群発地震を参考にすると、熊本は少なくとも1年半以上の地震活動時期を想定しておく必要があります。
松澤武雄氏が「熱機関説」を提唱したのが1962年。松代群発地震の発生が1965年。しかし、その直後1969年のベンローズ会議で日本の研究者たちはプレート理論を知り転向していった。熱機関説が、順調に発展していれば日本の地震予知に関する状況は全く変わっていただろう。(続く)
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