原発事故で、放射能はどのように拡散するのか? 3.放射能物質の拡散は、地形・風向・降雨による
前2回では、原発事故後の福島県、関東・首都圏への放射能物質の拡散状況をみてみました。
今回は、その拡散状況が、どのような要因で生じたのかを分析します。
現在も、小規模な放射能物質の放出が続いていますので、拡散を決める要因は重要なことです。
図は、グーグル・アースによる福島第一原発とその周辺の俯瞰図です。
第一原発のある地域は、福島県の「浜通り」と呼ばれ、海岸線に沿って平坦な地形が南北に広がっています。そして、その西側には標高数百mから千mの阿武隈山地が存在します。
この地形を念頭に入れて、風向を確認しました。12日~15日の爆発による放射能物質は、風にのって、北西方向に飛来していきました。
さらに、降雨(降雪)があると、空中の放射能物質が、雨と共に地上に降りてきます。降雨も関係してきます。
1.北西方向に風が吹き、阿武隈山地を越えて、高濃度の放射性物質が拡散
2.高い奥羽山脈に阻まれ、東向きの風に押し戻されて、中通りを南下
3.20日以降の南向きの風、絞られた地形、降雨が合わさり、首都圏のホットスポットが生じた
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1.北西方向に風が吹き、阿武隈山地を越えて、高濃度の放射性物質が拡散
12日~15日の原子炉爆発の時、原発周辺の風向はどうだったでしょうか。
地震のため、観測データの欠落がありますが、原発周辺の優勢な風向をプロットしてみました。
(なお、図の判例は、μシーベルト/時です。後の図も同じです。)
原発のある浜通りでは、北西方向の風が吹いていました。南相馬市と南20kmにある広野町の観測データです。そこから推定すると、爆発後の原発からの風向は、北西方向です。北西方向40kmの浪江町では、北北西方向の風が吹いていました。
そして、各地点の風の強さは、平均風速数m、最大風速5~7mでした。
12日~15日の爆発で吹き上げた放射能物質が、北西方向の風にのり、飛来して行きました。この方向の阿武隈山地は、余り高くないので、山地を越えて、中通りまで達しました。
一方、南西方向20kmの川内村は、飛来が非常に少ないです。川内村では、当時、東向の風が吹いていました。そして、原発との間に、比較的高い阿武隈山地があります。
原発から南西方向への放射能物質飛来量は少ない上に、阿武隈山地を越えるのを、東向の風が押し戻したとみられます。
風向と地形により、20km~40km圏域は、高度の汚染を受けた北西区域と、比較的汚染の少ない南西区域に明暗が分かれました。
2.高い奥羽山脈に阻まれ、東向きの風に押し戻されて、中通りを南下
次は、60km区域である福島市等(中通り)に達した放射能物質の動きです。県境を越えて、山形県へ向かったのでしょうか。
浜通り(福島市、二本松市、郡山市)の風向を先の図に加えて、プロットしてみました。風向は、爆発時期の12~14日の風向(白矢印)と15~17日の風向(黄矢印)をプロットしてあります。
浜通りは、西側に奥羽山脈があります。図にある安達太良山の標高は1709m、西吾妻山は2035m、東吾妻山は1949mです。奥羽山脈は標高1500m以上の山並みですね。
爆発直後の多量な放射能物質の飛来は、白矢印の風向(奥羽山脈から吹き降ろしてくる風)によって、押し止められ、中通りに滞留しました。
放射能物質は、奥羽山脈の高い壁と吹き降ろす風によって遮られ、山形県には達しなかったのです。
そして、15日~17日になると、浜通りでは、南向の風が優勢になります。この南向の風にのって、浜通りに滞留していた放射性物質が、浜通りを南に向けて飛来し、北関東にまで拡散したのです。
だから、60kmの郡山市の放射線強度が、40kmの田村市の強度を上回っているのです。
図は、22日の空間線量μシーベルト/時です。郡山市の4月初めの数値が2μシーベルトを超えていますので、3月22日には確実に2μシーベルト以上です。22日の田村市は2μシーベルト未満ですね。
北西方向に拡散した放射能物質は、奥羽山脈の山と風によって阻まれ、中通りを南に拡散して行きました。
3.20日以降の南向きの風、絞られた地形、降雨が合わさり、首都圏のホットスポットが生じた
最後は、首都圏ホットスポットの分析です。ホットスポットは、3月21日、22日から放射線強度が高まりました。
3月20日以降は、原発からは、南向の風が優勢でした。
ホットスポットの地形を大きくみると、千葉側の下総台地と東京都側の武蔵野台地に挟まれた位置にあります。
原発から小規模に放出された放射能物質が、南向の風にのって、海沿いに南下し、霞ヶ浦、利根川下流の低地を経て、千葉東部、東京東部に達したのです。(図の白矢印のライン。)
また、15日以降の浜通りから関東平野に拡散した放射能物質が、最後に滞留するエリアとも考えられます。(図の黄色矢印のライン。)
放射能物質が滞留しやすい場所の上に、3月21日には、雨が降りました。この雨によって、比較的多かった空中の放射能物資が地上に降り注ぎ、ホットスポットを生じさせたのです。
なお、今回の作業で感じた、政府・専門家の怠慢と欺瞞への断罪を箇条書きにしておきます。
①安全・保安院は爆発直後の肝心なデータを隠蔽した。
(爆発による大量の放射能物質の放出を早期に伝えなかった。)
②政府は、北西への大量拡散を把握していたが、それに基づく避難指示をしなかった。
(文科省がカーモニタリング測定を始めたのが北西地点からであり、北西方向の深刻な汚染を認識していた。)
参考:原発事故中間まとめ(4) 「悪意」か? 私たちの政府(武田邦彦氏)
③東京大学は柏キャンパスの測定値を公表し、警告を発しなかった。
3月21日に、柏キャンパスで測定値0.7μシーベルト/時を観測しました。この数値は、60日2ヵ月で1ミリシーベルトに達する数値であり、警戒すべき数字でしたが、その測定値を無視しました。
④東京都は、6月になって、やっと都内100地点の放射線測定をはじめます。
新宿の測定値は、地上18mの測定であり、地表に積もった放射能物質の測定ではありません。この測定数値で「安全だ」としていましたが、民間人が各地で地上測定を行い、新宿数値では収まらないことをネット上で発信しだしたため、仕方なく、6月になって、地上測定を行なうこととしました。
政府は、事故調査委員会を設置し、政府の対応を含めて検証するとしていますが、上記のような隠蔽と誤魔化しについて、しっかりと検証されるとは、思えません。
調査検証委員会の委員に、京都大学の小出裕章氏(原子炉事故の経過検証)、群馬大学の早川由紀夫氏(放射能物質の拡散経路)、中部大学の武田邦彦氏(事故対策の原理と避難基準)が加わらない限り、有効な調査報告書は出てきません。
政府の「事故調査委員会」に対抗できる、民間ベースの「事故・避難対策検証委員会」が必要だとつくづく思います。
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コメント6件
匿名 | 2013.03.01 7:55
ガン治療は明治時代にアメリカの医者が簡単な方法で治療出来るのを発見したのだが、アメリカの医学会が消した。医者のおまんまのために何人もの命が失われている現実に、腹わたが煮えくりかえる。
匿名 | 2013.03.01 19:33
抗がん剤は癌を治す薬ではなく人を殺すための薬ですよ。全部利権ですよ、金儲け!
だから国(日本)でも癌促進キャンペーンやってるじゃないの。がん検診とか二人に一人は癌ですよって。
あき | 2013.03.30 20:55
うちの父は、病を得てから
がんと共存し、痛みを抑えながら
自然に任せて逝きました。
スキルス胃がんのステージ4で発覚、
余命6ヶ月宣告から5ヶ月でした。
家族と扱く過ごし、絆を深めて
つらかったけど幸せな時間でした。
抗がん剤はつかわず、がんと向き合い、
がん細胞に身体を蝕まれる動物の最期、
そんな病状でした。在宅ホスピスで。
黒岩洋祐 | 2013.03.31 10:57
妹が膵臓ガンで死にました。10月に見つかって、明くる1月に死にました、膵臓ガンと聞いてすぐ観念してしまって、生きることをあきらめてしまいました。僕の近所の奥さんは余命3ヶ月と宣告されてハーバライフ食を食べました。あれから、5年今も生きています。医学を変えなければダメだと思います。ハーバライフは武器として役立ちます。マクガバンレポートや分子矯正医学の人たちと力をあわせて医学を変える運動を起こしましょう。
ぴのこ | 2013.04.13 23:25
みなさん、コメントありがとうございます。
何より、こういった情報を一人でも多くの方に知ってもらえるように、拡散していきたいと考えています。
どんな金儲けも、どんな勢力でも、わたしたち普通の人たちには、数では勝てません!
匿名 | 2013.02.27 20:19
そんな特効薬作ったらいし医者が倒産するんじゃ無いんですかね~