のぞいてみよう!昭和39年の暮らしから学ぶ、共同体♪4~お風呂から感じる肯定視~
みなさん、昭和39年のくらし、のぞいていますか
ぜひ、のぞいてみたい 🙄 と、いうかたは・・・
「のぞいてみよう!昭和39年の暮らしから学ぶ、共同体♪」こちらのシリーズ
その1~過剰なエネルギー消費を見直そう~
その2~ごみの出ない暮らし~
その3~みんなの資源、みんなの中での役割~
を、ぜひ、一読してください
さてさて、今日は、前回の記事でも、少し紹介した、お風呂 についてのお話。
この頃のお風呂は、家のこんなところにありました
今年も応援よろしくおねがいします
続きをどうぞ
じつは、お風呂のある場所は、「土間」なんです
(土間参考写真)
つまり、間仕切りや目隠しなど、ない、 オープン な場所に設置されているんです
今であれば、家族以外の人はもちろん、家族でも・・・見られちゃうのはちょっとはずかしい 、落ち着かない なんて、おもいますよね
でも、この頃は違ったみたい
この頃は、このシリーズで読み取れるように、日々の生活や仕事、家族みんなで協力して、寝食共にして・・・いまよりも、もっともっと一体感があったのだとおもいます
今のように、「全員個室 家族でもプライベートは大事 」という観念は、共同性のたかい日本にはなかったのでしょう。
また、るいネットから、こんな記事を見つけました
混浴にみる性への肯定観 (リンク)
ちょうど、徳川幕府が大政奉還をする前後に、エドワルド・スエンソン(デンマーク海軍士官)が日本を訪れている。なんといっても多感な青年将校だったスエンソンは、「江戸幕末滞在記」という書籍に日本の印象を細かく書き記している。
(中略)
貝塚で有名なモースと、同行した女性のマレー博士の体験談だ。
彼等はとある街角に人力車に乗ってさしかかる。その街角でちょうど、若い女が裸で行水をしていた。
行水をしていた女性はモースたちに気が付いたが、それでもそれまでと変わらずに体を洗っていたが、モースがマレー博士にそれを教えようとすると、女性はわずかに体を隠すようにした。
モースの人力車を引いていた車夫はまったく女性の方を見なかった。
(中略)
《モースの感想》
日本の都会でも田舎でも、娘たちが胸のあいた服を着ているのを見たことはなかった。それに比べて自分の母国(アメリカ)では、肉に食い込むようにわずかな布を身につけている女性が白昼堂々と歩き回っている。
日本人が見る我々は、我々がみる日本人より、ずっと慎みがないと見えるだろう。
○まず第一に、江戸時代の日本人は「自然をありのままに受け入れる」としていたので、「若い女性の裸」もその一つであり、何ら隠したり、遠慮したりする必要がないと感じていたこと。
○第二に、仮に裸を見る人が「イヤらしい目」で見た場合に限り、少し身をそらしてその視線から外れるようにする。
つまり、裸が問題なのは、裸になっている人の方ではなく、それを見る方の心にあると考えていたことが娘さんの態度などで判る。
○第三に、人力車をひくような労働者は普通はエロ話などをしているし、ジロジロと女性の裸を見るのではないかと考えがちだが、江戸時代は「武士の時代」だったので、人力車を引く人夫ですら、裸の女性を見なかった。
(中略)
現代の日本男児が、かつての日本男児の面影が無く、貧弱で魂のないものになってしまったと強く感じる。
今、「混浴」と聞くと、「おおっ!運が良ければ(卑猥な目で)女性の裸がみれる」と思う。日本男児がそう思えば、混浴は、ヨーロッパの悪しき文化と同じく、当然、成立しないだろう。
女性が気兼ねなく行水をし、屈託ない気楽な社会ができるためには、日本の男性の「魂」が試されるのだ。
きっと、家族の間でも、こんな風な感じだったのではないのかなと、おもいました。
男性も女性も、本当に互いの役割を、性を肯定視していたからこそ、日々共同し生活していたのでしょう
豊かな生活って、本当はこうゆうことなのかもしれませんね
よんでくれてありがとう
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