日本人は何を食べてきたか第二部part4~米を希求してきた理由~
日本人は、米を主食にしてきたというより、米を希求してきた民族だと言われます。
このシリーズで見てきたように米は古来から日本人全員が常に食べれた訳ではありません。
米は元々、熱帯系の植物で寒いところでは育ちにくい。
東南アジアでは日本と同じように米が主食で、「ごはん」=「米」という食事と米が同義語である文化が多い。
そんなところでは、みなとにかくご飯を食べないと気が済まないらしく、辛めのおかず少しで大量の米を食べるようです。
東南アジアなら米に適した気候だから、米が絶対的中心の食文化になったのは解ります。
とにかく米はたくさん取れるのだから。
田舎写真さんhttp://yamabe.com/node/158から拝借しました
しかし、日本では適さない。
雪国の新潟が米どころになり、北海道でも米が実るようになったのは、ひたすら日本人がこの土地で米がとれるように努力したからです。
何故ここまで我々の祖先は米を希求したのか?
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実は、日本人は米と対極にある肉食を1300年も前から禁止してきました。
それも天皇が禁止令を出して。
るいネット「聖なる米と穢れた肉」http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=201832から
○古墳・奈良
・古代国家は米の安定的な収穫を図るため、もう一つの栄養価の高い食物としての肉の排除を試みる。天武天皇は675年、肉食禁止令を発布する。ウシ、ウマ、イヌ、サル、ニワトリの5種で、4月朔日から9月晦日という限定付き。ウシ・ウマは農耕に有益な役畜であり、イヌ・ニワトリも生活に必要な家禽であることから、食用とすることが憚られた。日本人が古くから食用の対象としてきたシカ・イノシシは対象となっていない。仏教的倫理観からの肉食禁止では無い。また、4~9月という限定は水田耕作の期間にあたり、密接に関連すると想像できる。米の収穫を安定させるための殺生禁断令と見なせる。古代国家は米を確保するために、肉を犠牲にしたのである。
・やがて、天皇が祭祀を司る聖なる米に対し、穢れた肉という価値観が社会的に浸透していった。
・仏教による殺生禁断の罪、神道による不浄穢れの観念がつきまとうようになる。
○平安
・古代国家の下で形成された「聖なる米」と「穢れた肉」という価値観が社会的に浸透していく過程だった。親鸞は、殺生を行って悪人と見なされた猟師や漁師こそ往生できるとして肉食を許した。社会全体が肉食忌避の方向へ進んでいった。
・大宝律令時代は税として米と粟は同格だったが、天平年間から米の価値が高まり、平安時代にはそれが固定されていった。米が国家財政の中心となっていった。
○室町・戦国
・武士の時代となっても、封建領主として水田から米を欲した。
・フロイスは「日本人は動物を殺すと驚く・・」と記しているが、狩猟による猪・鹿は食べていたことが書かれている。武士はその出自から狩を好んで行い、その肉を食べたが、時代が肉食禁忌に進むに連れ、これも表向きの行事としては廃れてゆく。
○近世
・肉を穢れたものと見なす風潮は中世を通じて社会に浸透し、近世には最高潮に達した。そうした価値観の帰結として米に高い比重を置き、肉を嫌う指向が形成された。それ故、動物性タンパクとして、代わりに魚を好んだことから、米+野菜+魚という日本的食生活パターンが定着を見る。
・元禄期には「生類憐れみの令」が出され、肉食否定は最高潮に達する。
この禁止令が解除されるのは明治4年です。
そう、「肉が米の対極にある」という我々の感覚はこの歴史が作ってきたのです。
写真はあるきメデスhttp://blog.goo.ne.jp/saikoroat/m/200808/1さんから拝借しました
米を聖なるものとし、その対極に肉を穢れた物としたのも日本人だけです。中国・韓半島も東南アジアも肉を昔から食べる。
米+おかずが基本だから、肉・魚は少量ずつ食べれば良いのですが、日本人は家畜を食べることを拒みました。
殺生を嫌う仏教と、穢れを嫌う神道の影響は大きい。しかし、どの時代も人々は隠れて食べており、宗教が絶対的だとは思えません。肉を捨て、米を選んだのです。
日本では、米を作り、米を管理する事が国家統合においても共同体の統合においても根幹になったからではないでしょうか。
これが高度に発達したのが「米本位制」の社会だったのです。
米は市場価値が高く、税に適しており、手間のかかる集約型農業が必要で共同体の運営に高いレベルが要求されます。
高度な自治を支えたのが米作で、日本人にとって米を最上位に置く事が支配者にも農民にもぴったりきたのではないでしょうか。だから、社会全体が肉を捨て米を選んだのです。それが日本人にはぴったりきたのです。
生産力の面でも、栄養価の面でも、社会統合の面でも米作が日本にとって最も適していた、ということなのでしょう。
少々、気候の不利な部分は努力によって克服してしまった。
日本民族が米を希求し、ついに列島どこででも収穫できるようにして、自給できるまでにしたのは正解だったのです。
これで第二部を終わります。
でも、ごはんの栄養で見てきたように、米だけ(特に白米)では生きていけません。
次は米を補佐する食品群を見てゆきます。
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コメント3件
黒パン | 2010.01.05 19:40
>エネルギー・資源を含めた環境の破壊は、根本的には、この『自然を共認対象から略奪対象へ転換』したことが起因している。
『自然を守ろう』という、お題目のような問いかけも、一見、自然を共認対象として、守ろうとしているようにも見えますが、実は、その根本には、「自然は人間のモノである」という、エゴが見え隠れしているのかもしれませんね。
新しい次代を作るのに、本当に必要な、『自然=共認対象』の追求シリーズ、楽しみにしています☆
雑草Z | 2010.01.13 0:09
>環境の破壊は、根本的には、この『自然を共認対象から略奪対象へ転換』したことが起因
確かにその通りだと思います。
崇拝の対象だった自然を、略奪の対象にする事を進歩だと考えたのでしょうか?。社会の中でもエゴの強い人間が、他から抜きん出ようと私有権の拡大を追求したのでしょう。・・・今日の社会に通じてます。
>集団を破壊する自我や性闘争は、永い間、封印されてきた。
それはどうしてなのでしょうか?試行錯誤の結果でしょうか?集団的直観(・・本能・・)でしょうか?
それが集団的自我によって封印が解けた・・・というのがユニークな仮説だと思いました。
ふぇりちゃん | 2009.12.30 18:41
>そこで、当ブログの年末年始の記事は、特別企画として12/29~01/06の9日間(全9記事)にわたり、『るいネット』より、時代の意識潮流を分析した『潮流シリーズ』の記事を紹介し、
そのなかから『次代のエネルギー・資源の“パラダイム”』を考えて見た
この年末年始は認識の勉強をしっかりしたいと想っていたので、このシリーズがすごく嬉しいです。
ありがとうございます♪
すべての生物は自然があることで存在することができている。
なのに人間だけは自身の私権のために自然を所有物と捉え、めちゃくちゃに破壊してきた。ひどいですね。(私もその中のひとりではありますが・・・)
>【自然を共認対象としてとらえる】ことこそが、その答の基盤となる。
シリーズを読み進めることで、学んでいきたいです。
楽しみにしています☆