2011-03-02

人の寿命ってなんだろう?その1~周りの役に立ち、充足して生きる

%E3%82%86%E3%81%9A%E3%82%8A%E8%91%89.jpg
みなさん、こんにちは 😀
「人生、80年」そんな風に言われている、昨今ですが・・・さて、みなさん 😉
みんなの役に立ちたい その充足を得たい
そして、
できればずーっと 、生涯終えるまで充たされていたい
みんな、こんな風におもっていますよね
じゃぁ、充たされた人生って、どうゆうことなんでしょうか
                   
さてここで、みなさん、「ゆずり葉 」って、知っていますか?

春に新芽が出ると、まるで代を譲るかのように一斉に前年の葉を落とすことから、この名前が付いた。「代々の家督の継承」を象徴する縁起のよい木。

(花言葉辞典:リンクより)
このような、ゆずり葉という植物に、人生の終末をなぞらえた、すてきな投稿がるいネット(リンク)にありました
「ゆずり葉のような人生とは命ある限り闘い抜くこと」リンク
続きも、ぜひ読んでください
その前に・・・応援 ポチッを、お願いします
ありがとうございます

 にほんブログ村 環境ブログへ

『ユズリハのようでありたい-「一つの老後の生き方」(リンク)』
を読んだとき、深く心に染み入るものがありました。ただ、その理由も良くわからないままでした。ところが、本日80歳半ばまで現役最前線で闘われていたお客様の通夜に参列して、私なりにその理由がわかりました。
その方と知り合って1年になりますが、つい先日まで最前線の課題に対して数々の判断を下されていました。ご高齢と言うこともあり時間的にも体力的にも非常に制限がありますが、毎回的確な判断をされていました。その打合せは、日に日に衰える体を前に、まさに命がけという感じでした。
そこで体験したのは、体の機能が落ちていきながらも、のこる命で集団を引張りつづけ、生涯現役で闘い続けることでした。『命のある限り誰かの役に立ちたい』という思いは、生前に話しておられましたが、まさにそのような人生だと思いました。
これらを通して、全く別集団に所属する私も、人間何のために生きるのか?という答えを頂きました。これは、単に企業経営のために最後まで頑張ったという次元を超えています。そういう体験をさせていただき、
>こんな風に、自分達のために生きてくださる人がいるということが、本当にありがたく、また自分も「大切な物を受け継いだ存在」として、しっかりと生きて生きたいと思うようになりました。いずれ自分にも老後があるとすれば、今度は自分がそのように生きたいと思います。
『ユズリハのようでありたい-「一つの老後の生き方」(リンク)』
これと全く同じ気持ちになりました。また、戦後教育からくる、何もしないで穏やかに暮らすという日本人の老後観も制度も、早急に見直さなければと思いました。

きっと、人々の命はこうして受け継がれてきたのでしょうね
それが、人の寿命なんだとおもいます
                   
しかし、現在、人々は本当に“寿命”をまっとうしているでしょうか
そんな問題意識から、このシリーズを始めてみたいとおもいます 😀
日本は長寿大国と言われ「平均寿命」は、2009年値で
男性79.59歳、女性86.44歳、いずれも4年連続過去最高値を更新しました。
女性は世界1位 だそうです
(2010年7月27日 読売新聞より:リンク
一方で、
自殺の増加や突然死 ・・・増えていませんか?
医療の発達により、延命治療が増えている ・・・本当に生きて(活きて)いるの?
お年寄りの1人暮らし、孤独死 ・・・平均寿命のデータ、本当なの?
と、今みんなが定義している「平均寿命(=寿命)」と、実感とは合ってきません
では、先述したように、人類にとっての本当の“寿命”はどう捉えたらいいのでしょうか?
「周りの役に立ち、活力をもって、充足して生きる」
これが、“人々の寿命”と、定義できるのなら、
その限界はどのくらいなのでしょうか?
どうすれば、それを少しでも長くできるのでしょうか?

そんな疑問に応える追求にしていきたいとおもいます

List    投稿者 nisi-miw | 2011-03-02 | Posted in M01.身体の自然環境2 Comments » 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.sizen-kankyo.com/blog/2011/03/844.html/trackback


コメント2件

 どきんちゃん | 2012.01.18 17:03

職人はなぜ本源的認識方法を残していたのでしょうか?
彼らはキリスト教徒ではなかった?
確か、中性のかなり遅い時期まで土着信仰は残り続けていた様な記憶もありますが、どうなんでしょう?

 yama3nande | 2012.01.19 13:27

鍛冶師にせよ石工にせよ、大地を傷つけて、生活の糧を得ている訳で、自然への畏れというものはなくなりはしないでしょう。実際に鉱山が崩れて生き埋めになるというような事故もたえなかったのですから。鍛冶師は、仕事の前のお祈りをかかさなかったそうです。そういう現実の自然圧力を知る職人たちにとって、現実と切り離された架空観念は本質的には響かなかったのではないでしょうか。勿論、中世にはそのような土着的信仰も魔女狩とともに殲滅させられていくわけですが。

Comment



Comment