2011-03-28
東北地方太平洋沖地震~原発は必要か否か14~放射線はどのように広がっていくのか、またそれが肉体にどのように影響するのか、の放射線の原理~
原子力保安院・東電・政府・御用学者の発表する被爆被害度はあまりにも楽観的かつ根拠に乏しいと思います。そこには、自分たちの責任ではない、原発政策の間違いを認めたくないなど、さまざまな思惑が見て取れますが、今みんなが期待しているのは、論理が整合した確からしい予測です。
そして、彼らが拠り所としている基準すら科学的に十分確立されているものではありません。例えば、何マイクロシーベルトだから安全というように、あたかも、確固たる根拠があるような報道が多いですが、これすら十分な根拠を持ったものではないのです。
なぜならば、放射線による被害は何十年もあとに出てくることが多く、その結果、何十年か後に、被害が出ている可能性がある統計的数値として出てきます。その多くは、原発被害を受けた人々を支援する団体からです。その貴重な情報を、原発推進側は因果関係が不鮮明ということで否定するということを、アメリカも日本も繰り返してきたからです。画像は『北の国から猫と二人で想う事』様からお借りしました。
このような問題を孕むならば、まず原発を作るかどうかの議論が先なのですが、今はまったく逆です。
原子力開発の推進理由は次から次へと変わっています。初期は、夢のエネルギーとして、石油に比べて効率的優位性が謡われていました。次に、効率的優位性は無いことが明らかになり、石油に代わり増加するエネルギー消費をまかなえるのは原子力だけという理由に変更されました。そして現在、温暖化を防ぐ救世主としての原子力という理由が主流になってきました。 このように、首尾一貫した理由は無いにも拘わらず、長年の間、計画的に原子力発電所が建設されてきました。
ように原発ありきで事業が組み立てられ、理由は後付でころころ変わっているのです。それは、『治外法権を確立してきた原発推進体制』という利権体制に問題があるからです。このことは外国からよく見えているようで、【米国ブログ】それでも東電は破綻しない「政府とのなれあい続く」でもふれられています。
このような状況ですから『安全な原発』など幻想にすぎません。むしろ、上記のような現実を覆い隠すために、原発の潜在的危険性は高いが、高度な制御によって事故発生確率を下げているので、それらを掛け合わせたリスクは小さいとう、事故発生確率を組み込んだ安全理論が捏造されたのだと思います。
そして、その確率すら間違いで、このような大惨事がおきてしまえば、想定外だったという一言で責任転嫁をしているのです。そして被害度の情報も断片的で良くわかりません。そこで今回は、測定される事実である放射線被曝量をどのように理解して行けば良いのかについて、素人の目で考えて見たいと思います。
不十分なところは、こころある専門家のかたからのアドバイスを受けたいとも考えています。そのことで、少しでも被害が少なくなることが、多くの人々の期待するところだと思うからです。