2009-03-21

日本人は何を食べてきたのか part5 安土桃山~江戸時代

日本人は何を食べてきたのか part4 鎌倉・室町時代http://blog.sizen-kankyo.com/blog/2009/03/000500.htmlに続き、安土桃山~江戸時代を概観します。
日本文化の基層部が出来上がった江戸時代に、現在に繋がる和食の形も出来上がりました。
その前段階として安土桃山時代に、その材料が出そろいます。
それまで輸入と言えば主にシナからだったものが、南蛮、つまりヨーロッパと東南アジアからの食材が入ってきます。
料理法でも、油で揚げるという手法が伝わります。家康が鯛の天ぷらにあたって死んだという話は有名ですが、駿府城にいる家康に、京の土産話として「最近は流行っている料理」を紹介されて、試してみたら美味しくてたくさん食べ、調子が悪くなりそのまま死んでしまった、という話が伝わっているからです。
また、食事の形式でも、信長はそれまでの形式を無視し、秀吉が保護した茶の湯の中から懐石という形が表れます。
つまり、和食に於ける食材、料理法、食事形式の原型が揃うのが安土桃山というわけです。
%E9%AF%9B.jpg鯛のてんぷら!
また、それまでは武士も領地で生活し、平時は農作業も行っていましたが、刀狩りによって、武士は農民と明確に分離され、都市部での消費者となりました。商工業者も都市部に集められ、町人という階級が生まれます。都市に食料生産基盤を持たない消費者が集積され、市場が大発展する基盤が出来たことになります。
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安土桃山時代
 外来した食物
西瓜、南瓜、玉葱、唐辛子、甘藷、ジャガイモ、トマト、ほうれん草、葡萄、南京豆、イチジク、バナナ
ジャガイモはジャガルタ=ジャガタラを経由したことからジャガタライモと呼ばれていました。
甘藷は既に琉球で栽培されていた物が薩摩に入った。薩摩では琉球芋と呼ばれ、その他の地域では薩摩芋と呼ばれていた。
 外来した料理法
油で揚げる=天ぷら、がんもどき
砂糖を使う南蛮菓子=カステラ、ボーロ、金平糖
 新たな食事形式
茶の湯の流行に伴い、懐石料理が登場する。懐石とは僧侶が空腹を紛らわせるために懐に暖めた石をいれたことから来る名前で、茶を楽しむ前に空腹を和らげるために出される食事。茶をもてなす主の趣味趣向が反映される。
それまでは、貴族の伝統を継承した本膳料理が武家の正式な食事だった。複数の御膳に数多くの料理を決まった位置に置き、食べ方も手順が決まっている形式張ったものだったらしい。これに対し禅の思想が入った懐石は、質素で形式張らず洗練されたものとなって行きます。
江戸時代
まず、国内に平穏が続き、農業と漁業が大発展します。新田開発や品種改良、新しい漁場や漁法の開発が時代を通して行われてゆきます。収穫量の増大は、都市部人口の増大と共に市場の拡大を促し、魅力的な料理となってゆきます。
 米の炊き方の確立
実は今のような米の炊き方が確立したのは江戸時代です。炊干し法と言い、最初から分量を量った米と水を釜に入れ、水分を全て米の中に吸収させる炊き方です。
 調味料の確立
江戸時代になって本格的に醤油が使われるようになります。それまで調味料と言えば、塩、味噌、酢でした。
また、砂糖、昆布、鰹節が現れます。多くが専門メーカーによって作られ市場に流通して行きます。
 大多数の農民や下層町民は何を食べていたか?
農作物が増産されても、農民が常に米を食べていた訳ではありません。地域によって大きな差がありますが、普段食べていたのは米半分、雑穀半分でした。これに菜を混ぜ込み、一緒に炊いて食べることが多かったようです。
都市部では流通しているのが米であり、庶民も基本は米を食べていたようです。
ちなみに、屯食と呼ばれた携帯食が、おにぎりと呼ばれて一般的になるのが江戸時代です。
 外食産業の登場
江戸は新しい都市で、多くの労働者を集めました。そのため男女比率が圧倒的に男子の方が多かったのです。
18世紀中頃から、彼らに食事を提供する飯屋、居酒屋、屋台が登場します。
それまで食事を提供するところは基本的に宿くらいしかありませんでした。
その中から、鰻屋、饂飩屋、蕎麦屋、寿司屋が現れます。現代の和食専門店の原型です。
19世紀、幕末の頃には料理屋が発達し、現在の料亭に繋がる形式が出てきます。
 本膳料理から会席料理に
安土桃山に現れた懐石料理は、茶会から離れて会席料理へと発展してゆきます。堅苦しい本膳料理ではなく、もっと気楽に酒を飲みながら楽しむ料理です。
これらは、支配者である武家の台所ではなく、都市の料理屋で発達しました。当時の江戸、上方などでは料理屋の番付の載ったガイドブックやレシピ集が発売され人気を博しています。
ミシュランなんかよりずっと早い。フランスで初めてレストランが登場したのが1765年とされていますから、宮廷ではない市場での料理の発達はヨーロッパの最先端と同時期と考えて良いでしょう。
%E6%9C%AC%E8%86%B3%EF%BC%93.jpg本膳料理
kaiseki.jpg懐石料理
これで今、和食と呼ばれる様式の基本は完成です。
この後、全く様式の異なるヨーロッパ発の食事が入って来ますが、これも日本の食事は取り込んで行きます。
次はpart6明治~現代です。

List    投稿者 hihi | 2009-03-21 | Posted in N01.「食への期待」その背後には?6 Comments » 

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コメント6件

 hidoro | 2009.11.09 13:23

マーガリンは割りと好んで食していたのですが、やっぱりってかんじです。
ところでバターも同じなのですかね?
作る側の人間にとっては、同じ技術を使うのでは?と考えてしまいます。

 2010 | 2009.11.09 17:29

トランス型脂肪の危険性は海外でも国家レベルで認知されてますね。
ドイツではマーガリンの製造・販売禁止措置、アメリカ等でも国がその使用量を厳しく規制しています。
日本政府は問題ないとしていますが、マーガリン文化の先進国で規制や制限が行われているという事実からすると、トランス型脂肪の使用に関しては日本は野放し状態にあるという認識が必要です。

 leonrosa | 2009.11.09 18:48

トランス型脂肪産は、水素添加加工だけでなく、大豆から大豆油を製造する過程でも生成される。
植物油(大豆油)は、旧来は搾油法(圧縮して油分を絞りだす方法)で製造していたが、それでは、絞りかすに油分が残ってしいます。
そこで、有機溶媒に溶かし込む「抽出法」が採用される。そして、有機溶媒を分離させる為に高温過熱する工程で、大豆油の油脂がシス型からトランス型に変化してしまう。
以下、簡単解説・・・・
トランス型脂肪酸の生成には以下の三つの過程が考えられています。
(1)植物油の加工(油を固化させる)をする際に水素添加を行うことによりシス型からトランス型に変化する。
(2)牛などの反芻動物の第一胃内でバクテリアにより、バイオ水素添加が行われ、一部トランス型脂肪酸が生成される。
(3)油脂を高温で加熱する過程で、シス型からトランス型に変化する。(石油系化学溶剤のノルマルへキサンを使用する抽出油は、その工程で植物油を溶かし出した後に蒸留缶で加熱してノルマルへキサンを揮発させます。更に高温の中で蒸気を吹き込んでノルマルへキサンを取り去ります。このためトランス脂肪酸が増えやすくなります。)
引用元:紅花マーガリンを販売している創健社のマーガリン頁から
http://www.sokensha.co.jp/products/transsan.html
創健社のPRではありません。

 egisi | 2009.11.10 18:32

hidoroさんコメントありがとうございます。
バターは、牛乳を原料としており、その製造方法は大きく違います。
http://www.agri.pref.hokkaido.jp/center/syuppan/daigomi/20.htm
もし参考になるのならば、上記のサイトを紹介します。
もともとバターの代用品として、戦争時の携帯保存食としてつくられてきたマーガリンは、そもそもバターの代用品なのです。

 egisi | 2009.11.10 18:38

2010さん、コメントありがとうございます。
まさにそうですね。
日本は、食品における安全の視点がどうも輸入物に偏っていて、国内で生産される人工物質には、まだ甘いのかもしれません。
これからは、人工物質の観点だけでなく、その背後にある市場原理にもつながる記事を書いていけたらとおもいます。

 egisi | 2009.11.10 18:42

leonrosaさん、コメントありがとうございます。
(3)のトランス型の変異のパターンは、まさに揚げ物の油の使いまわしでも同じことが起きそうですね。
特に、ファーストフード店の揚げ物とか、非常に怖い予感がします。。。

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