日本人は何を食べてきたのか part3 奈良・平安時代
日本の食 の歴史について「日本人は何を食べてきたのか part2 縄文・弥生・古墳時代」に引き続いて「奈良・平安時代」を追ってみたいと思います。
この時代の社会的特徴としては皇族・貴族と庶民の階級に分かれることと、遣唐使など中国の影響を受けることがあります。
一方で食生活 としては、縄文・弥生・古墳時代の継承をうけて、主食と副食がより明確になってきたことがありそうです。 😀
●奈良時代貴族の食事(特別な日)
では、奈良時代、平安時代の食の中味に移る前に
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■奈良時代(日本食生活史:渡辺実著より引用しました。)
<社会背景>
中央集権国家へ移行し、遣唐使や国家活動の活発化、交通整備の発達、仏教文化の興隆、産業の発達が都を中心にとして著しく現れ、貴族階級を一層富裕にして奢侈的な唐様食を取り入れることに熱心になる。
<食生活>
庶民階級は貧窮生活者が多く、食生活も粗食であった。貴族は米を常食としていたのに対し、庶民は租米(税)のあまりはほとんどなく、雑穀(粟・稗)を主食としていた。
奈良時代の特色としては、貴族食と庶民食の区別がはっきりとあらわれてきたことにある。
食器についても同様で、貴族は漆器・青銅・ガラス器を用いているのに対し、庶民は土師器・須恵器・木製品であった。
また仏教の普及と天皇の殺生・肉食禁止令の影響もあって、皇族・貴族を中心とした上層階級は肉食をしだいに止めていく。彼らの食生活の欠陥を補ったのは、当時すでに用いられていた牛乳や乳製品であった。
一方庶民には仏教の普及はまだ浸透しておらず、禁令もあまり効果はなかったため必要に応じて山野の獣を捕ってその肉を食べていた。
農民の食物の種類
畠)米、粟、稗、麦、蕎麦、大豆、小豆、大角豆など
野菜)あおな、大根、ちしゃ、蕪菜、茄子、瓜、黄瓜、荏胡麻、芋、茶など
野草)芹、はこべ、あざみ、ふき、山芋、わらび、韮、茗荷、葛、など
肉類)牛、馬、鹿、猪、熊、猿、狐、兎、鳥など
●貴族の食事(日常)
●庶民の食事
奈良時代の食事参考資料
○キッズ平城遷都1300年
○調べてみよう!日本人のくらしの移り変わり-食事
○奈良時代の食事
■平安時代(日本食生活史:渡辺実著より引用しました)
<社会背景>
遣唐使が廃止され大陸文化の模倣は無くなったが、藤原氏による摂関政治、院政へと変化していく。一方で地方政治の動揺は激しくなり、荘園の増加とそれを守る武士が発生する。
平安時代の貴族の生活は、地方の庶民の多大な犠牲の上に築かれたものであったので、貴族階級と庶民階級との生活の落差は奈良時代よりも顕著となっていた。
<食生活>
貴族の食膳は調味や栄養よりも、盛り合わせの美をより尊重する、見る料理を育成することになった。この形式的食生活は、日本食の性格を後世にまで規制する源泉ともなった。
一方で奈良時代から上層階級で用いられてきた牛乳や乳製品はますます多く用いられたが、貴族階級の衰退や宮廷の財政難、度々の戦乱と武家勢力の台頭などにより、入手は少なくなって、肉食を禁止していたことも相まって体格の発達を著しく阻害する結果となった。
また庶民の食生活はまだ仏教信仰による戒律は知らず、山野の野獣を捕らえて食していた。
しかし生活は貴族と格段の差で低いものであったことから、前時代と大きくは変わらなかった様である。
●貴族の食事
記録としては「和(倭)名類聚抄」にその一部の記載が残っています。
日本語と日本文化 平安時代の食生活:和名類聚抄から読み取る
から引用しました。
まず主食として食べられていたであろう穀類には、稲類、麦類(大麦、小麦、カラスムギ)、アワ、キビ、ヒエなどがある。
平安時代にもなると、主食としての米の地位は圧倒的だったと思われるが、上流階級は別として、庶民は米に加えてアワやヒエなどの雑穀を食べていたと推測される。(混ぜ合わせて粥にしたのだろう)
(中略)
一方副食についていえば、和名類聚抄が記す食物の中でもっとも種類の多いのは野菜である。
ウリ類(弥生時代以来の野菜の中心)、蒜類(ねぎ、にら、にんにく、ラッキョウなど)、水菜類(せり、ジュンサイなど)、園菜類(アオナ、カブラ、タカナ、カラシナ、フキ、こんにゃくなど)、野菜類(ナスビ、アブラナ、ワラビ、ゴボウなど)、草類(ウド、イタドリ、蓬、ユリなど)、蓮類、葛類、たけのこ、タラノメ、ククタチ、キノコ類など多彩なものが記録されている。
(中略)
こうしてみると、平安時代における食べ物の種類は、想像以上に豊かだったことがわかる。
(中略)
このように料理されたものが、平安人の食膳を飾ったと思われるのだが、その食事は非常に質素なものだったようだ。上流階級は別にして、中流の人々にあっても、せいぜい一汁三菜程度であったことが、平安時代末期の絵草紙などに描かれている。それを見ると、米の飯と汁に添えて、干物を焼いたものと、野菜類のあえ物や漬物が並んでいるにすぎない。
(参考)戸田秀典「平安時代の食物」
平安時代の食事参考資料
○平安時代の食事
奈良・平安時代の食事をみてみると、貴族と庶民の階級差からして庶民の食事は質素であった様子。また遣唐使など中国の影響も受けている時代と云えそうです。
そして縄文・弥生・古墳時代の継承を受けて、主食と副食の形態がよりはっきりしたのが特徴といえそうです。
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コメント5件
さんぽ | 2009.10.22 21:59
>乳牛は、10ヶ月間、コンスタントに乳を出せるように、ありとあらゆる人の管理が行われる。
その一つが、アカチャン牛がまだいると思わせるような、ホルモン類の投与だ。
一年中、乳を出せる牛って、よく考えたらおかしいですよね。
こんなことが行われていたとは(><)
そして体質的にも日本人には合わないものを、「カラダにいい」っていうからおかしなことになるんだと思います。
せめて、「ジュースなどと一緒で、飲みすぎたら、害になりますよ。」と言って欲しいものですね。
leonrosa | 2009.10.22 22:58
リンゴヨーグルトさん、連続コメントありがとう!
世界のベストセラーである「スポック博士の育児書」の1998年の第7版で、旧来の牛乳礼賛から、180度変り、牛乳を飲ませないことをすすめている。
>スポック博士は次のように結論している。「自然界には、離乳期を過ぎてミルクを飲む動物はいない。人間も同じで、離乳期を過ぎたらミルクを飲まないことが正常である・・・。必要なタンパク質を植物から摂った方が、子どものカルシウム・バランスは良くなる。」
>個人的なことになるが、私(スポック博士)は、88歳になった1991年から乳・乳製品を完全に絶ち、肉は脂身のない部分を少ししか食べないという食生活に切り替えた。この食事にしてから2週間で、長年の抗生物質の治療で効果のなかった慢性気管支炎が消えた。私の中高年の友人で、食事から乳製品や肉を除くことによって持病の心臓病がよくなった人が何人もいる。この種の食事が効果を発揮するためには、精製しない穀物、たくさんの野菜・果物を食べて、よく身体を動かすことが必要である。
>私はもはや、2歳を過ぎた人間に乳・乳製品を勧めることはしない。たしかに、乳・乳製品が望ましい食物だと考えていた時期もあった。しかし、最近の多くの研究や臨床経験に基づいて、医師も「乳・乳製品はよいものだ」とする考えを見直さざるを得なくなったのである。
参照:『ひとりよがり』
http://www.eps1.comlink.ne.jp/~mayus/lifestyle2/hitoriyogari.html
牛乳が危ないと教えられた児童の、従兄弟との会話が面白い。
従兄弟「牛乳が危ないっていうが、美味しいじゃん」
児童「でも、お前、ネズミの乳を飲む気になるか?」
従兄弟「それは、キモイ!」
児童「ネズミも哺乳類、牛も哺乳類。何で、牛ならよくて、ネズミならダメなんだ!」
従兄弟「そういわれれば、そうだなぁ」
このやり取りは、本質を突いている。
leonrosa | 2009.10.23 18:07
さんぽさん、コメントありがとう!
さんぽさんへのコメント返しからは離れてしまいますが。
酪農牧場の人達にとって、あまりにも普通になっていて、決して語らない事があります。
それは、次の年に必ず出産し乳を分泌するように、出産2ヵ月後位に、人工授精をすることです。(自然受精は皆無です。)
母牛は、人間の為に乳を分泌し続けると共に、胎児への栄養供給を同時に行っている。
現代の酪農は、知れば知るほど、暗澹としてくるのです。
匿名 | 2009.11.01 15:17
西欧人とその他は体質が違うとは!
勉強になりました。
あと、猿が住めるか住めないかも!
リンゴヨーグルト | 2009.10.22 20:45
>3.現在の牛乳は、大きく動物原理から逸脱した「人工物質」である。だから、欧米の肉体改造した民族でさえ、「牛乳の害」が発生している。
この内容は、具体的にはどういことなのだろうと、ふと疑問に思いました。
例えば、骨密度の問題や精神の成長(脳への影響)などが、出てきているのでしょうか?。
もしよろしければ教えてください!。