2009-03-07

日本人は何を食べてきたのか part4 鎌倉・室町時代

日本人は何を食べてきたのか part3 奈良・平安時代 に続いて、
中世の鎌倉時代~室町時代を概観してみます。
源氏が京都の平家政権を倒して迎えた鎌倉時代、南北朝の内戦を経て京都に政権が戻った室町時代は、古代からの荘園制のなかで武家社会が形成され成長する時代です。
蝦夷(縄文人部族)がまだ多く分布していた東北地方への侵略、奥州藤原氏との対立、モンゴル帝国(元寇)に対する防御、そして足利尊氏が台頭して南北朝時代を迎えるなどまさしく争乱の世となったのです。足利氏が両皇統合を実現し足利政権は230年も続くのですが、中期には応仁の乱があり、後半はいよいよ戦国時代、群雄割拠・弱肉強食の時代となって秩序は乱れていきます。
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画像は掣圏真陰流さんから拝借しました。
さてこの時代、ひとびとの食生活はどのような変化を見せたのでしょうか。
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平安時代の貴族、僧侶といった上流階級は形式的な食事を重視し、仏教の影響を受けて肉食を禁止した結果、食品の種類はかたより不健康な食風でした。
武家の世となると玄米食と獣肉を自由に食す風潮が広がります。平家の衰亡を教訓として質素倹約に努め、栄養価の高い食生活で“もののふ”の活動エネルギーを蓄えたのです。平安時代と比べると簡素な食風ですが実際的で健康な食生活に変化していきました。
武士の棟梁は地方貴族でしたが、大半の武士は農民の出身で戦時は武器を持って闘いますが、平時は土着して土地を耕作する食糧の直接的な生産者だったのです。
彼らは狩りによって得た獣肉はそのまま彼等の食料としていたので、貴族が嫌がろうとも気に止めず、洛中の寺院の境内で公然と肉食の宴を開いたりしたそうです。
新仏教や禅宗も登場し、次第に貴族や僧侶の方が武士に感化されていき、獣肉を食すことは禁忌ではなくなってしまいました。
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画像は情報処理推進機構さんから拝借しました。
この時代は食材が多様化し、近代まで日本人が食してきた材料がほぼ出揃います。また調味料や料理技術も進歩して生物、汁物、煮物、煎り物、炙り物、蒸し物、漬物といった「和食」の基本的なカテゴリーが生まれ、料理の専門家、流派が登場します。


<食品材料>  「清良記」「庭訓往来」の記述から
【穀類】米、大麦、小麦、大豆、小豆、粟、稗、黍
【野菜】茄子、瓜、大根、牛蒡、芋、蕗、茗荷、薊(アザミ)、芹、茸
【果物】栗、柿、胡桃、梅、李(すもも)、桃、山桃、枇杷、杏、梨 
【柑橘類】柑子(こうじ)、橘、蜜柑、柚子、橙、金柑、石榴、棗(なつめ)、苺、百合、椎、銀杏、樫 
【海藻類】若布、青海苔、海苔、アラメ、もずく
【魚類】鯛、鯉、鮒、鰈、鰹、鮭、鱒、鯵、烏賊、蛸、トビウオ、イシモチ、鮑、サザエ、蛤、海豚、海月、海胆、鮠
【鳥類】山鳥、ツグミ、ウズラ、雉
【獣類】兎、猪、鹿、熊、狸  
牛、馬は農耕の労働力だったので食用にされなかったらしい。 
【薬味】山葵、芥子、生姜、胡椒、胡桃
胡椒は室町後期に琉球から輸入された。
<調味料>   「庭訓往来」の記述から
塩、酢、酒、醤、飴、甘煎葛(あまずら)、蜂蜜、果実粉
醤のうち穀醤系のものが味噌⇒嘗め物に使われた。醤油は室町時代に分離して普及する
酒も調味料だった。酒かすに漬け込む粕漬けはこの時代に興った。
そして砂糖が室町時代の上流階級で甘味料として重用されるようになる。
<調理法>
【飯・粥】強飯(米を蒸した飯≒おこわ)が中心、姫飯(米を釜で炊いた飯)は僧侶だけ。精白米は公家階級の一部だけ。
     庶民は米飯をほとんど食べられず、粟、稗と副菜(野菜)という食事が一般的だった。
【副食】生食、焼き物、煮物、蒸し物、茹で物、羹(あつもの)、汁物、にこごり、嘗め物、醤、漬物、干物、鮨
干物や餅などの保存食も多く登場する。

食の多様化に加え、この時代の特徴は「戦陣食」の形成と「一日三食制」の発生です。
【戦陣食】
玄米を携行し、手拭で包み水にぬらして地に埋めてその上で火を炊いて飯を作ったそうです。また屯食(おむすびの原型)と呼ばれる焼いた握り飯を竹の皮や木の葉に包んでよく携帯した。(「吾妻鏡」より)
また糒、焼き米、梅干、味噌、塩、胡麻、鰹節、麦焦がしなどを携行しています。餅類、干魚、塩魚など保存食が発達したのも戦場での食事の必要からだったのでしょう。
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「屯食(再現)」
画像は縄文から現代までの食さんから拝借しました。
【一日三食制】
鎌倉時代に順徳天皇は三度食事をした(「禁秘抄」「海女藻芥」より)とあるが後醍醐天皇の「日中行事」には二食となっており、宮中の原則は二食だったようです。僧侶は元来一食のみでしたが間食を取るようになり、菓子などを食べていました。12世紀の末ごろになると比叡山の山法師、興福寺の奈良法師は三食となっていて僧侶が先行して三食制に移行したようです。(「古今著聞集」より)
武士は平時はニ食が普通。(但し分量は三食に相当する量をとっていたようです。)ですが、戦場などでの労働の激しい時には三食を取るようになった。昼食の習慣は僧侶からの影響を受けたと考えられますが、戦乱の続く世にあって慣習化し平時でも三食制となっていきました。やがて京都の公家も感化され、室町時代に三食制が一般化します。
また、米の収穫量が上昇して米が常食になったとされています。
たしかに公家、僧侶、武士は米を常食とするようになりました。農民でも一部の裕福な農民は米を常食としたようです。
しかし、私権時代を通して、支配者階級と被支配階級の差は明白です。中世の世においても公家、僧侶、武士はたびたび酒宴をもよおし、食生活を楽しむ機会に恵まれていたのに対し、彼らに種々の生産物を提供していた農民の食生活は前代からほとんど変化していません。
蓮如上人が奥州地方に下向し、大農家でもてなしを受けたとき「日ごろ食するものをこしらえよ」というと、農家の主は稗粥(ひえがゆ)を出してきたという。(「空善記」より)
大多数の農民は米を生産していながら相変わらず米を食することは出来なかったというのが事実ではないでしょうか。
次回はいよいよ近世日本「安土桃山~江戸時代」です。ご期待ください。

List    投稿者 finalcut | 2009-03-07 | Posted in N01.「食への期待」その背後には?10 Comments » 

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コメント10件

 海の子 | 2009.10.29 21:06

そもそも温暖化って原子力発電を推進するためにできた、いわば科学の領域に政治的要素が組み込まれたというこでしょうか?
>それは科学が、哲学という社会を対象とした領域から独立したことであり、科学が社会の期待から切り離され、市場拡大の期待に応える方向に進んでいるということ。<
そもそも科学ってなんのでしょうか?

 nannoki | 2009.10.29 23:55

科学者というと、無意識に正しいと感じてしまうところに、問題があるのだと思う。
近代以降、科学は現実の自然圧力を対象とした事実の体系である一方で、市場拡大(その結果の戦争も含めて)の期待のみが科学に求められていたのだとと思います。古典科学まで遡って、その認識のあり方が本当に正しいのかを問い直す時代にきている。

 いそがぜ | 2009.10.30 17:06

現代人は、「科学的に実証された」や「科学的見地から」という言葉に弱く、盲目的に正しいと認識してしまいます。これも洗脳されているってことですね。あらゆるものを利用してまで拡大しようとする市場社会、その構造を解明していかないと、環境問題は解決していかないと思いました。

 oikos | 2009.10.30 19:17

欧州がエネルギー政策の推進のために温暖化を使ったというのは、周知の事実。
ロシアが京都議定書を批准する条件としてWTOへの加盟の後押しを欧州にさせたことは有名な話です。
IPCCの妥当性や温暖化懐疑論を貫いた日本は、結局のところ先行した太陽光発電の普及に遅れを取りました。
化石燃料産出地域でさえ、温暖化という世界的潮流に対して適応していこうとしている中で、日本人はいつになったら気づくのでしょうか?

 goqu | 2009.10.30 19:44

>海の子さん
コメントありがとうございます。
>そもそも温暖化って原子力発電を推進するためにできた、いわば科学の領域に政治的要素が組み込まれたというこでしょうか?
そうですね。もっと言えば、(原子力)市場拡大の圧力の受けて政治的に利用されたということだと思います。
>そもそも科学ってなんのでしょうか?
難しい質問ですね。私は「科学」って、自然法則の解明(そして応用)だと思います。
「科学」についてはるいネットにも興味深い投稿がありますので、是非見てみてください。→るいネット科学と事実認識http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=4004

 goqu | 2009.10.30 20:58

>nannnokiさん
コメントありがとうございます。
>近代以降、科学は現実の自然圧力を対象とした事実の体系である一方で、市場拡大(その結果の戦争も含めて)の期待のみが科学に求められていたのだとと思います。
そうですね。「CO2が温室効果ガスであること」は正しい。そのことを以って「温暖化の原因はCO2である」としていることに強引さ、事実の捻じ曲げがあり、それは市場拡大要求の圧力なのです。
科学を市場拡大にのっかった科学者の手から取り戻すことが必要だと思います。

 goqu | 2009.10.30 21:09

>いそかぜさん
コメントありがとうございます。
>現代人は、「科学的に実証された」や「科学的見地から」という言葉に弱く、盲目的に正しいと認識してしまいます。
専門家に弱いのはどこの国も同じなのかな?日本が特にヒドイのかな?→ちょっと気になります。
とはいえ専門家は時に専門バカと言われ、専門家ゆえに専門外のことが見えず暴走しやすい傾向にあることが段々見えてきました。
専門家の意見は常に偏っており、それらを統合してどうするか?というのが答えであり、皆が今求めているものだと思います。

 こめっと | 2009.10.30 23:44

温暖化問題が政治家による研究者買収とマスコミの偏向報道によって捏造されたものであること、その動機は市場拡大であることがよく分かりました。
>専門家の意見は常に偏っており、それらを統合してどうするか?というのが答えであり、皆が今求めているものだと思います。
様々な意見を統合していくためには、科学者の置かれる圧力状況や、社会全体の動きを知ることが不可欠になりますね。
専門家は暴走しやすいという構造にあるのなら、私たち素人(みんな)が勉強して、みんなにとって何が本当に必要なのかを考え発信していく必要があると思います。

 goqu | 2009.11.01 10:50

>oikosさん
コメントありがとうございます。
>欧州がエネルギー政策の推進のために温暖化を使ったというのは、周知の事実。
そうですよね。ネットや書籍ではそのことを取り上げているものが結構あります。でもマスコミはそのことをあまり取り上げていないので、知らない人が意外に多いようです。あるいは世論として形成できていない。
機会があるごとにドンドン広めていきましょう♪

 goqu | 2009.11.01 11:00

>こめっとさん
コメントありがとうございます。
>様々な意見を統合していくためには、科学者の置かれる圧力状況や、社会全体の動きを知ることが不可欠になりますね。
そうですね。それと問題意識の共認が重要だと考えています。「温暖化」が問題だというけど、それは本当なの?暖かいとダメなの?寒いといいの?など・・。
仮に「温暖化」が問題として、次はCO2を減らせば本当に解決するの?どのくらい減らせばどれだけ効果があるの?など。
CO2を減らすという温暖化防止の手段が目的となり、その成果の検証がなされないのは非科学的ですよね。

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