2009-05-16

日本人は何を食べてきたのか?第二部 part3 ~米本位制経済と米食の関係~

14日の江戸社会をさぐる~江戸経済を支えた市場の割合は?で江戸時代のコメの流通機構が詳しく書かれています。生産者と消費者の関係がよくわかります。
「日本人は何を食べてきたのか?」シリーズでも江戸時代のコメ市場について簡単に触れておきたいと思います。
前稿で日本人が主食としているコメ(ごはん)は非常に優れた食糧である(日本人は何を食べてきたのか 第二部 part2 ~ごはんの優秀さ~)と書きました。
古来、日本の人々はコメ(ごはん)を頼りに生きてきました。
日本中のどこでも都市部を少し離れると水田を見ることができます。「コメだけは自給する」日本人の強い意志の現われだと思います。日本人にとってコメは絶対に欠かすことの出来ない食糧であることは間違いないでしょう。
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画像はJANJAN様から拝借しました。
さて、昔からわれわれ日本人は不自由なくコメを食すことが出来ていたのでしょうか。
一般に日本人は弥生時代からずうっと米食民族だったというステレオタイプの常識がまかり通っており、一方で大部分の農民は貧しくてコメを生産していながらコメを食すことは出来なかったという貧農史観も根強いものがあります。
日本全土がほぼ国家の元に統合された江戸時代、人々にとってコメという食糧がどのようなものだったのか、経済的な観点から探ってみたいと思います。
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「米本位制」の経済
現代は「石油本位制」経済となっています。
日本では中世から年貢はコメで徴収され、江戸時代は「米本位制」の経済が確立していました。
「米本位制」経済がなぜ成立したか、石油市場との近似性にヒントがあります。
なるほど!と思わせる論説「分散型エネルギー社会を目指して」がありましたので、引用します。(筆者にて要約、編集していますが論旨は変えていません)

現代の石油市場と江戸時代のコメ市場の構造が近似
<石油市場の特徴>
①需要側も供給側も価格硬直的である。値段が上下しても消費量・生産量が(短期では)変化しにくい。需給曲線は垂直になる。
②通常時(需要を供給力が上回る)は最低の価格水準で推移するが、値段が安いと需要がどんどん増加し、供給力を上回った瞬間に突然暴騰するという性質を持っている。
つまり石油価格には
(1) 最低水準で推移する一般的状態
(2) 突然の暴騰(多分あまり長期間は続かない)
(3) カルテルが機能し安定した状態
の3つのフェーズがあることになる。
 なぜ石油価格がそのようにふるまうか
(1) 基幹物資であるため、需要が抑制されにくく、短期的代替も難しい。
(2) 装置産業である(初期投資が大きく、運転費が小さい)ため供給側に生産能力上限まで稼働させるインセンティブが強く働く。
<コメ市場の特徴>
(1) 江戸時代の大多数の日本人はカロリーの大部分を米から摂取していた
(2) 新たに開田しない限り、米の生産量を労働投入で調整することは難しい
(3) 江戸時代は貨幣経済の比重がけっこう大きくなり、かつ自由市場が発達していた
(4) 江戸時代、常時は1人平均年間1石(150kg、現在の約2.5倍)の米を食べていた
(1)によれば、米は基幹物資だということになり、需要曲線は垂直になることになる。
(2)は、供給曲線も垂直になることを意味する。
(3)江戸時代は相当程度に市場経済が浸透していたが、当時は農協も食糧庁も存在しなかったので、江戸時代を通じて全国的なカルテルは形成されなかった。
とすると米相場は
(1) 最低水準で推移する一般的状態
(2) 突然の暴騰(多分あまり長期間は続かない)
の2つのフェーズがある。
これは現代の石油市場と同じ性格を持っている。
江戸時代の飢饉について
現代、石油価格が暴騰するたびに「石油危機」と騒がれるが、江戸時代にも飢饉(米危機)がたびたび発生した。
 なぜ飢饉が起こるか、直接の原因は不作という場合が多いだろう。つまり(垂直の)需要曲線が左にずれて、(垂直の)供給曲線を下回ってしまうということ。
 当然米相場は暴騰する(石油危機ならぬ米危機である)が、これが何をもたらすか。
 まず前提として、不作には必ず地域性があるということ。全国一律の不作というのは考えにくく、地域によっては平年作だったりむしろ豊作ということもあっただろう。しかし市場経済が発達しており地域間売買も盛んだったとすれば、全国合計の供給量が全国合計の需要量を下回れば不作、そして飢饉ということになる。
 主要なカロリー源が米であったので、大規模な不作の年に餓死者が出ること自体は避けきれなかっただろう。これはやむを得ない。
 ただし経済メカニズムがその被害を拡大したおそれがある。米が税金の計量基準になっていたことから何が起こったか。
 まず単純に言えることは、不作(飢饉)の年には税金が高くなること。貨幣経済が相当程度浸透し、税金の金納(米の金額換算での税金支払い)も広く行われていたらしいので、米相場が高い年は金額ベースの税金が高騰したはず。
 このような年には、米を主要作物としていた農家は収入が増えたことだろう。米の現物で税金を支払い、自家用にも使い、そして余剰分を市場で販売して現金収入にしていた農家(いわば米の専業農家)は現金収入が増加したはずである。
 一方、水田に向かないなどの理由で例えば機織に力を入れ、反物を売って収入にし、現金で税金を払っていた農家は税金の高騰に苦しんだに違いない。自作農家であれば家族の最低限の食料は相当不作でも確保できただろうが、借金でも抱えていたら娘を売りに出す、などということもあったかもしれない。小作農家の場合どういう悲劇に見舞われたか、まあ、悲惨なことがあったんでしょうねぇ。
先物市場が誕生した理由
 
 税収(石高)の一定比率を先物で確保する。 春のうちに先物を買っておく。豊作だったら売買損が発生するけれどそれはリスクコスト。
 不作になったら、秋の米相場は暴騰する。もし物納が多い地域の殿様だったら、税金を安くする(徴収する米の量を減免する)ことができる。もちろん自分と家来の食料はあまり減らせないが、売って現金収入に充当するための米の量(税金)は少なくしても、高く売れるから大丈夫。米の代替になる食料を買う、という選択もあったかもしれない。
 金納の多い地域の殿様だったら、先物市場から(春のうちに安く買っておいた)米を秋に入手してほっと一息。金額ベースの税金を高くすることは避けられないけれど、米相場の上昇分を丸々税金に転嫁しなくても、自分と家来の食料分全部は転嫁せずに済む。したがって米ベースの税率を、やはり下げることができる。
 このように堂島の米先物市場は不作・飢饉による社会不安を緩和するのに役立った。

画像は歴史画「逆説の日本史」様から拝借しました。
日本人は米を食べていたのだろうか
日本人がみんな米を食べるようになったのは昭和になってかららしいです。
食べたくても食べれなかったのではなく、大事な商品だからもったいなかったのです。
「農民=米が食べれないほど貧困にあえぐ」イメージは事実に反するようです。
前述の飢饉のときはともかく平常時にあっては、無駄には食わないが生きていくには不自由しない地産地消説のほうが納得できます。。
るいネットから引用します。
(筆者にて一部要約、編集していますが論旨は変えていません)

民俗学者柳田国男の文によれば、米が本格的に日本人の主食になったのは明治以降であり、全国で一律に米食になったのは戦時中だという。
江戸時代の農村部では、江戸や大坂・京都など消費都市とは異なり、米以外の主食物を手に入れることができた。地方ではそれぞれの土地で生産されたものを食べることが多く、多くの郷土食が生まれた。江戸時代に米を食べていたのは、食物を買わなければならなかった武士や町人・漁民だった。農民にとって米は貨幣であり、食べるなんてもったいないことはしなかった。
農村部でも徴兵制度で兵士になったものや都会に出たものが米食の慣習を農村に持ち帰り、米の使用量は増加した。それでも、非日常的なハレの日以外にはまだ米を食っていなかった。相変わらず、日常はそれぞれの土地にあったものを食べていたのだ。それが戦時中、全国一律に実施された配給制度によって、普段は米を食べない村にも米が配給されることになった。戦時中に米食が増えたというのは本当に意外だ。
戦時中に実施された一連の計画経済のなかで、食糧管理法による米作保護は、戦後の食糧危機の中で継続された。日本の本格的な米食は、戦中・戦後の計画経済の中ですすめられたといっていい。

画像は山歩きの写真記録様から拝借しました。
日本では「米本位制」経済が長く続いたため、米は食糧、基幹物資であると同時に「財」としての価値を持つものであったのです。
だから、生産者はむやみに消費に回すことはせず、日常は雑穀を食す割合が高かった。一方で武士や都市住民は米を消費するしかなく、高騰した時には生活が困窮したのです。
常時食すようになったのはどうやら戦後の話です。が、コメという優れた食糧を、日本人はいつも大切にしてきました。
今回紹介したのは経済的な観点ですが、これでは一面的でしょう。
日本人の深いところにある「米を希求してきた理由」
を次稿でお送りします。ご期待ください。

List    投稿者 finalcut | 2009-05-16 | Posted in N01.「食への期待」その背後には?3 Comments » 

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コメント3件

 海の子 | 2009.12.24 14:41

地域振興の地産地消だけでなく、エネルギーについても非常に有効な手法ではないでしょうか。
太陽光だけですが、小水力やバイオマスなどを組み込んだ取り組みがなされると、エネルギーの地産地消が成立する可能性を秘めたものだと思います。

 コバヤシ | 2009.12.25 8:52

>「参加者が損をしない」自立的な仕組み
この発想がこの事業が上手く言っているポイントであり、限界でもあると思います。
市場の中では等価交換が原則なので、「誰も損しない」ことになっています。しかし誰かが儲けて、誰かが損をしている。(あるいは損を自然に押し付けている。)
損を明らかにし、負担を共有することが次のステップだと思います。

 isgitmhr | 2010.01.05 19:27

海の子さん、コメント有難うございます。「エネルギーの地産地消」、なかなか上手いこと言いますね。
たしかにエネルギーを搬送することは、ロスもでるし、搬送エネルギーも必要になるのでいいことなしですね。

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