2015-03-18

抹殺された治療法(09)「核膜磁場」こそ遺伝情報を記憶している当体

あなたは現代の科学を信じますか?と問われれば、多く方が“はい”と答えるのではないでしょうか。
しかし、本当に信じているかと言うと、“そう教えられたから”とか“発展している歴史があるから”という明確な根拠のない、曖昧なものではないでしょうか。

実際、前回の「生物の命(生体磁場=生体魂)」でも述べたように、近代科学は、生命に対する従来の『唯物的な発想(目に見える物質を中心にした考え方)』ですが、これはたかだか500年程度の歴史しかありません。
それまでは、人類の祖先たちは『唯心的な発想(目に見えない場を中心にした考え方)』という「物事の本質」を悟った思想だったのです。

はたして、我々が信じている科学は本当に正しいのでしょうか?

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「抹殺された治療法(08)生物の命(生体磁場=生体魂)」に引き続き、生きる バウの道中記【ソマチッド概論1】より引用します。

本道を逸脱した狂った科学に洗脳された我々人類は、一日も早くその「無知の呪縛」を解き放ち、色(物質)に惑わされない正確な洞察力を身に付けたいものです。

現代科学の『勘違い』は、心と体の関係ばかりではなく、体そのものの解釈に於いても同様な過ちを冒しています。

例えば、DNAとは本当に「遺伝子」なのでしょうか? 私に はそれが、ただのタンパク質製造器にしか見えませんが、貴方にはそれがどう見えるのでしょうか。

たった一個の受精卵が人間にまで成長する事実を考えれば、どこに頭部や脚部を配置して、体のどの部分に臓器や組織を配布するのか、あるいは神経電線や血管を一体どの様に接続するのか、人間の受精卵が人間の形態を造り出す為の真の遺伝情報がDNAの一体どこに記憶されているのでしょうか?

電磁気学的な常識を述べさせて貰えば、そもそも記憶とは特定の物質内に存在するものでは無く、磁場が行う特権作用であって、そこに磁場が無ければ記憶など有り得ない話だと言えましょう。

承知の様に、DNAは細胞核の内側に存在し、それが生産する巨大タンパク質(酵素のこと)も細胞質の中に閉じ込められています。

人間の受精卵がカエルではなく、正確に人間の姿を彫刻する為には、少なくてもその形態を造作する工作因子が受精卵の外側に存在しなければ、両親を足して二で割った様な顔付きの子供など造れる筈もありません。

現代科学はDNAとは「遺伝子」だと主張します。その心はそれが仕事人(彫刻家)である「酵素」を生産するからだと言います。

つまり仕事人さえ先に造ってしまえば、後は彼等が勝手にカエルでは無く人間を組み立ててくれると言う大雑把な考え方です。

では、仕事人である酵素は一体どんな情報(設計図)を見て、人間の彫刻作業をつとめているのでしょうか? その遺伝情報は一体いつ、DNAから酵素へと転写されたのでしょうか。

そしてDNAとは受精卵の一体どこから遺伝情報を獲得したのでしょうか。「記憶情報」という実体を持たない磁気的な「空」の存在物が、電気(磁気)を介して物質磁場に転写できる事実は、情報機器を扱う現代人にとっては、もはや当たり前の常識ですが、現在の生物医学界とはそんな常識的な物理発想が全く通じない、極めて非常識な「無知の殻」に閉じ込もったままの状態だと言えましょう。

それよりも運動器官を持たない酵素がなぜ動けるのでしょうか?
いや、果たしてそれは自力で運動を起しているのでしょうか?

電磁場の中では、電気ロボットは別に電線で繋がれていなくても、電磁場から電気を獲得し、自ら運動を始める事実は承知の通りです。

無論、ロボットだけでは無く、電磁場あるいは高周波場の中においては、蛍光灯が勝手に点灯するばかりか、あらゆる電化製品が自然に稼働を始めるものです。

それを外側から観察すれば、まるで物体が己の意志で自律運動を起している様に見えますが、もしかしたら、生体物質は皆これと同じメカニズムで運動を起しているのではないでしょうか?

つまり、それらは動いているのでは無く、動かされている(操縦されている)と解釈しなければならないのです。

もし、そのロボットの頭脳(ICチップ)に外指令を受け取る受信機能が有れば、コンピューターを介して電磁場に指令を打ち込むだけで、ロボットを意のままに遠隔操作できる事になります。

当然、ロボットがその電磁場の領域外に出れば、指令が届かないばかりか、電気という駆動力を失ったそれは停止を余儀なくされてしまいます。

それが理想的な未来ロボットですが、良く考えて見れば、我々人間の体も空の上の自己(心霊)によって操縦されているものであり、高性能のセンサー・ロボットと言うべきものです。

「酵素がなぜ動くのか?それは動いているのでは無く、生物体の『命(場)』によって動かされているのだ」と言うのが新しい考え方ですが、それと同様に「DNAに記憶情報が在るのでは無く、それを包み込む外側の場つまり「核膜磁場」こそ遺伝情報を記憶している当体だ」と言うのが、唯物発想を越えた唯心論的(磁場的)な考え方です。
DNAも、はたまたそれが生産する酵素も、そしてこれから語るソマチッドも、単なる生体物質に過ぎません。それらは自力で動いているのでは無く、全て「命の場」によって支えられ動かされているのです。

極端な話をすれば、遊離細胞(血球のこと)もあるいは定着細胞(体細胞のこと)も自力稼働が不能な物質の一員だと言えます。

それら全てを統括操縦している所の本源の「命の当体」を無視して、我々人類は生体の謎の一体何を解いたと言えるのでしょうか?

唯物論に象徴される20世紀の科学、これから私たちが解き明かす21世紀の科学は「似非科学」の衣を脱ぎ捨てて、未来宇宙に通じる本来の科学を樹立しなければなりません。

如何でしょうか?
現代科学を盲信している我々には思いもつかない内容ですが、決しておかしい=論理整合していない内容だとは思いませんし、むしろ、盲信していた現代科学のいかがわしさが見えてきます。

次回は、現代科学とは異なる発想の下で、今一度改めて「生命の発生」、ソマチッドを考えて見たいと思います。

List    投稿者 tutinori-g | 2015-03-18 | Posted in N.健康・医療・食品, N05.「がん」を考えるNo Comments » 

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