日本人は何を食べてきたのか part6 明治・大正・昭和・平成
こんばんは。今回は「日本人は何を食べてきたのか part5 安土桃山~江戸時代」に引き続き、日本の食の歴史について「日本人は何を食べてきたのか part6 明治・大正・昭和・平成時代」として追ってみたいと思います。
今回は、大きな時代区分としては、西洋から料理が流入され、上・中流階級の間でもてはやされ浸透していった明治~大正・戦前(昭和)と、終戦後アメリカの影響の下、貧困からの脱出を図っていった戦後~70年まで、そして飽食の時代といわれる70年~現代にわけて紹介していきます。少々長くなりますが、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。
文明開化と平仮名英語さんより
それでは、ポチットの後、どうぞ!!
1.明治~大正・戦前(昭和)
西洋料理が移入され、上流階級と知識人を中心に浸透、されには和洋折衷である洋食が生まれる。
しかし、洋食の普及は上流階級や都市部に限られ、庶民の日常の食事は和食が大半であり、特に農村部や貧困層の食生活においては、その影響を与えていないような時代だった。
○明治初期 ~珍しい料理としての洋食
洋食は江戸時代に長崎で行われていたが、幕末になると洋食に接する機会が増えた。明治維新前後になると、洋食は開花の食事として上流階級・知識人を中心に、食べる人々が多くなった。まだ洋食の味がわからない時代でもあり、福沢諭吉は、西洋料理を奇異に感じながらも、作法について紹介したりしている。
西洋文明は優れているという見なされる風潮の中、滋養目的で、明治天皇が肉を食したことが、大衆に大きな影響を及ぼした。また牛肉食は文明開化の象徴とされ、牛肉を食べないものは文明人でないというような風潮から、肉食は、まずは牛肉食としてそのまま取り入れられが、やがて日本古来の調理法を応用し、牛鍋、いわゆる「すき焼き」としてアレンジされ、流行した。
但し、日本の家庭においては、座式の生活様式をとっていたたため、西洋の食事習慣をそのまま取り入れるのは不可能なこと、食材が高価なこと、日常食とはあまりにも違いすぎていることより、普及はしなかった。
<すきやき ~ぼうずコンニャクのうまいもん日記さんより>
○明治中期 ~上・中流階級への西洋料理の浸透
西洋料理の調理技術が日本的に再編成され、フライ・油料理・牛豚料理など、西洋風の新しい作り方を紹介する雑誌も登場し、料理雑誌の紙面の過半を占めるようになる。但し、実際に西洋料理を作る家庭はほとんどなかった。
西洋料理が、上流階級や知識人により公的な場を中心にして普及していくが、その原因として、明治30年刊の「等級繁昌記」には、次のように理由を挙げている。
1.西洋料理の長所は簡易であること。
2.日本料理は酒(日本酒)を好まない人には、宴会などでも手持ちぶたさを感じるが、西洋料理は酒の種類も多く、飲みたい酒が飲める。
3.好きな料理くれば、食べ、好まないものは食べなくてよい。
4.献酬や給仕しなくてもすみ、芸妓などを招く必要もなく、会食ができる。
○明治後期 ~和洋折衷と西洋の味覚の浸透
本格的な西洋料理に変わり、和洋折衷料理としての洋食が台頭してくる。
洋食は、米飯に適したおかずとして、また気楽な西洋料理として、箸で食べることができ、栄養的にも優れているという点で、普及し始める。
また、調味料として、ソースが香辛料と共に盛んに使用されるようになった。
但し、普段の家庭での食事メニューは、和食が中心であり、たまに洋食を作り食べる程度であった。
○大正~昭和初期
家庭料理の中にも洋食が少しずつ浸透し始めるが、この時代、洋食の普及を牽引していったのは、外食としての洋食だった。都市化が進む中で、大衆食堂を中心に、全国に洋食が普及していく。都市部では、肉屋の惣菜として洋食が盛んになり、コロッケ等、熱いうちに家に持って帰り、食卓に並べるようになった。
<コロッケ ~日光の観光スポット・足尾の歴史を案内する写真館四代目のブルグさんより>
2.昭和(戦中)~戦後復興期
終戦後のアメリカの支援による復興支援(≒アメリカ市場への組込み)の下、そして高度経済成長を経て貧困からの脱出を図っていった日本において、庶民の日常の食生活にまで欧米(アメリカ)の影響が浸透していった時代だった。
○戦時中 ~食料統制による食生活の制限
都会における洋食の浸透は、戦時の足音が近づくにつれて大きく変わらざるを得なかった。アメリカ等からの食糧の輸入はとまり、また凶作も重なったことから食糧問題が深刻化し、戦時中は、物資使用制限・配給統制がしかれ、食生活は大きく制限され、変わることになった。
○戦後 食料難にあえいだ時代 ~アメリカ主導による日本型食生活の改造計画
■給食による粉食と乳製品の導入・普及
終戦直後は、それまで朝鮮や台湾からの移入米も途絶え、さらには海外から復員軍人や引上者が帰ってきたこととあいまって、食糧事情は、むしろ戦時中よりも悪化することになった。米穀は配給されてはいたが、遅配・欠配が目立ち、人々は官憲取締りの目をかいくぐりながら地方の農家への買出しがを行い、一方で食料品を高値で売買するヤミ市がにぎわうこととなった。
このような時期に学校給食が開始(復活)される。この給食の材料には、アメリカの食糧援助物資が当てられたが、表向きの食糧援助・飢餓援助の目的だけでなく、その背後には、アメリカ国内の余剰小麦の削減による国際市場の低落を防ぐ事、さらには共産主義浸透に対する防壁として農作物を利用する狙いもあった。
49年ユニセフからの対象の脱脂粉乳の寄贈から給食への配給が始まった。
また、給食開始当時は、副食だけで、主食(米)は各自持参だったが、50年には、パン食を加え、完全給食が始まり、54年には、粉食を基本とする学校給食の普及拡大を図ることが法制化され、子供たちからパン食が食生活の中に定着するようになった。
給食による粉食の浸透は、1964年に「アメリカがスポンサーになった日本の学校給食でアメリカのミルクやパンを好きになった子供達が、後日、日本をアメリカ農産物の最大の買い手にした」と、アメリカの上院議員が述べるほどになる。
<給食 ~九州の温泉宿の旅・観光日記さんより>
■キッチンカーキャンペーン
給食が子供達へのアメリカ型食生活への改造を目指していたとすれば、一般家庭へのアメリカ産農作物の浸透=アメリカ型食生活の普及を目的としておこなわれていたのが、キッチンカーキャンペーンだった。
1956年、通称キッチンカーと称される日本食生活協会が造った栄養指導車が、日本全国の周り安くて栄養のある食事の作り方を指導して回るようになったが、出来立てのハイカラな食事を試食させるキッチンカーはどこに行っても人気で、訪れた場所では、試食された食材が売り切れる事態も発生するほどだった。
キッチンカー事業は、56年、アメリカ農務省の代行機関であるオレゴン小麦栽培者連盟と協会が結んだ契約によるものであり、アメリカの資金提供により運営されていた。
その際のアメリカ側の条件が、指導で作る献立の中に最低一品は小麦を使ったものを入れることであった。しかしその裏には、当時のアメリカでの、余剰農作物が大量に存在しているという事情があった。
<キッチンカー ~健康日本21さんより>
○高度成長と食
■手軽さと利便性を追求し始めた食
食料難を乗り越え、食生活に一定落ち着き、洗濯機、冷蔵庫、テレビといったいわゆる三種の神器がもてはやされ、食以外のものにも目が向き出した時代、食の世界にもその波が、押し寄せてきた。55年2月に販売され始めた「自動式電気釜」の登場である。スイッチ一つで、炊き上がるこの機械は、大いに売れた。
調理が簡単で、安価、保存性もあって、しかもおいしい食料として、登場し、瞬く間にヒット商品となったのが、1958年に販売が開始されたインスタントラーメン、いわゆる即席めん「チキンラーメン」であった。このインスタントラーメンの成功と国民への普及により、ラーメン類に限らず、以降様々なインスタント食品が開発され登場してくることになった。
<チキンラーメン ~鮨,寿司,うまいすし,ラーメン,うどん,そば,美味いもの,グルメ@京都情報大学院大学さんより
■住環境の変化が食生活の変化をもたらした
この時代に公団住宅による食寝分離に重きを置いた間取りによるダイニングキッチンが登場する。ダイニングキッチンにはダイニングテーブルが備え付けられており、このダイニングキッチンの広がりと共に、従来の日本の食生活スタイルである、ちゃぶ台を置き座って食べる習慣から、テーブルに向かって食事をするスタイルに変わった。この食事スタイルの変化は、調理台や冷蔵庫がテーブルのすぐ近くにあることより、調理され取り出された順に、料理を次々とテーブルに乗せていくという西洋料理のスタイルに近かづくことになったことも、その後の食生活スタイルの変化として大きな影響を与えたといえるだろう。
<ダイニングキッチン ~たばこと塩の博物館さんより>
3.70以降~現代
豊かさを実現し、飽食の時代と言われた現代。豊かさを享受すると同時に、核家族化から単身者の増加、週休二日制による余暇の増加等、食生活をはじめ人々のライフスタイルが大きく変化した時代でもありました。
○70年~現代 貧困の消滅と食生活の多様化
■外食産業の発達
貧困が消滅した言われる、1970年は、「外食元年」と呼ばれた年である。この年以降、ファミリーレストランやファーストフード店が、続々と登場し、日本人の食生活を大きく塗り替えていった。
ことの起こりは、69年3月に第2次資本自由化が実施されたことに始まる。その指定業種に飲食業も含まれたいたことから、アメリカを中心とする外国有力企業が、成長の可能性のある日本市場に狙いをつけたことからだった。
こうした新しく登場した外食産業を後押ししたのが、日本人の生活水準や所得の向上と、核家族、単身者の増加という家族構成の変化の影響も大きい。また週休二日制の導入による、余暇時間を外出で過ごし、その際に外食を利用するといった側面も大きい。
<すかいらーく ~KAWAMACHI WEB PRODUCTSさんより>
■コンビニの登場
日本人の生活環境の変化により適応する形で、74~75年に登場したのが、コンビニであった。
その後コンビニは、より生活に密着する形で、店舗を拡大し、サービスを拡充することで、今日、私達が目にするような形になっていった。コンビニは、生活の一部となり、もはや、コンビニなしでは生活ができないといった方も多くいらっしゃるのほどの存在になっているのではないでしょうか。
<セブンイレブン ~やーまがブログ。さんより>
4.今後の「日本人は何を食べてきたのか」シリーズの展開について
様々な種類の料理が巷に溢れ、食事が行えるようになった現代は、食生活は乱れ、メタボという言葉がもてはやされるほどになり、また人工物質の氾濫・乱用により、人体・健康に対する不安の増大といった事態を招くようにもなっています。
日本人の食の歴史的変遷を紹介した「日本人は何を食べてきたのか」第1部のエントリーは、今回をもって一旦区切りとなりますが、次回以降は、「日本人は何を食べてきたのか」第2部のシリーズとして、今まで紹介してきた歴史的な視点や論点を加えて、食に対する、さらなる追求、可能性を探っていく2段階目のエントリーに入っていきます。ご期待ください。
■今までの「日本人は何を食べてきたのか」シリーズ
よかったら、これを機会に、過去のエントリーも覗いてみてください。
日本人は何を食べてきたのか? part1 ~プロローグ編
日本人は何を食べてきたのか part2 縄文・弥生・古墳時代
日本人は何を食べてきたのか part3 奈良・平安時代
日本人は何を食べてきたのか part4 鎌倉・室町時代
日本人は何を食べてきたのか part5 安土桃山~江戸時代
■参考図書
日本食生活史 渡辺実著
とんかつの誕生 岡田哲著
食と農の戦後史 岸康彦著
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コメント6件
イルカ | 2009.11.25 16:54
図がすごく分かりやすいですね~☆
川の水が上流から下流に流れる高低差のエネルギーを効率良く使うように、木のエネルギーを使っていけたら効率いいのに、現代のリサイクルは途中ポンプで水を吸い上げ(エネルギーを加え)てから再生するような非効率なことになっているんですね~!
(@@;)エコじゃないじゃん…
daruma | 2009.11.29 20:40
原子力エネルギーは安全性の問題がクローズアップされますが、それだけではなく、このエネルギーの流れ、自然の摂理としての太陽エネルギー循環の枠外になっていて、きわめて無暴なシステムであることが分かりました。
>今まで別のものだと考えていた第1次2次3次産業が、一体の循環サイクルに組み込まれていくことでもある。また、その循環を維持する生産と消費の関係が、未来社会の基底的な共認事項になることでもある。>
これまでは経済効果として、自動車、建設などが、波及効果の高いものと論じられてきましたが、この一体の循環サイクルという視点は、今までエネルギー戦略単独で考えると困難なことも突破できる指標になると思います。
メーン | 2009.11.30 20:54
単に江戸時代に戻るとか言うと、実現性が薄いですが、
現在の技術を使って、その「循環」にのせるという発想は気付きでした。
なんか急にリアルに感じられるようになりました!
にわかブロガーの成功哲学研究所★ろぐ | 2009.12.02 11:58
江戸時代のリサイクル
地球温暖化防止のためにエコライフやクールビズ・ウォームビズが推奨される昨今ですが、実は江戸時代の頃からリサイクルなどの3R(Reduse、Reuse、Re…
ブログ de なんで屋 @東京 | 2009.12.19 1:38
【メルマガるいNO.369】 新資源・新エネルギーの開発
こんにちは。本日はメルマガるいの紹介です。
今回は、資源そしてエネルギー開発の最新技術を紹介します。
突然ですが、日本の主エネルギー(一次エネルギ…
なえさん | 2009.11.25 14:25
>まずは、人間では作り出せない、他の生物が作り出したエネルギーを有効に利用させてもらうという意識が必要
>そして、エネルギーの高い状態(≒高分子)から、それの低い(≒低分子)状態へと、自然のエネルギーに則った一方向の利用の流れを形成すること
なるほど~!!気づきが満載です!!(@@)
エネルギー利用の観点からみると、今まで私達が”リサイクル”と呼んでいたものの多くは、一度エネルギー密度の低い状態に分解したものを再びエネルギーを投入して密度を高めて製品にするという、非常にムダの多いモノのつくり方だったのだと言えますね。
しかしそのような大量生産・大量消費を助長する活動を、あたかも「自然のサイクルに乗せています」というように宣伝する企業やマスコミによって、間違った大衆共認が形成されてきました。そこには時間という概念が欠落しています。やはり、素人が自ら事実を確かめ、そこから「どうする?」を導き出さなければ、本当に必要な技術開発は進展しない、でなければ早いところ外資企業にもっていかれてしまうと思います。
貴重な気づきをありがとうございます☆