漢方ってなんだろう ~漢方の歴史(2) 日本編~
こんばんは。前回は、中国における漢方の起源について紹介しまししたが、今回は、日本での漢方の歴史についてです。
前回は、漢方は実は日本で発達した日本独自の医療であることについて、少し触れました。「漢」方というくらいなので、中国の漢の時代に編纂され体系付けられた中国起源の医療であることを、前回のエントリーで紹介ししました。
では、中国で生まれた漢方はいつ頃、日本に渡来し、広まっていったのでしょうか?
http://www.gakken.co.jp/kagakusouken/spread/oedo/05/kaisetsu2.html
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●弥生・古墳・飛鳥時代
~渡来人によってもたらされ、支配者層に対して漢方が使われていた時代~
中国の漢の時代において、漢方に関する主要な書物は編纂させているので、同時代である弥生時代の中後期には医術の知識を携えた渡来人が日本に渡来してきたことも考えられそうです。
但し、記録上の医術の伝来は上記のように朝鮮半島経由で414年には伝わってきたのが最初のようです。その後も、度々朝鮮半島から渡来人によって、医者と医療が伝えられます。
さらに、遣隋使、遣唐使が始まると、直接中国からの医療の伝来が始まります。
<遣唐使船>
http://www.geocities.jp/imanarikenkyukai/kaihou.html
●奈良・平安・鎌倉時代
~天皇お抱えの医療集団から、当時の知識階級層である僧侶と寺院を中心に漢方が使われた時代~
この当時の、漢方医学の担い手は、中国へ留学した僧侶などが持ち帰った当時の中国の先端技術の一つとして伝来しているケースが多く、寺院や僧侶がその担い手の中心だったことが伺えます。
と同時に、奈良時代から、平安、鎌倉時代にかけて、中国から伝来したものが、時代が下るにつ入れて、より日本風に書き直され編纂され、日本独自の医療として変化を遂げつつある時代だったともいえそうです。
●室町・安土桃山・戦国時代
~大衆まで普及し始め、漢方を職業とする医者が登場する時代~
室町時代は、現代につながる日本独自の文化が形成された時代でもあり、中国から伝来した医療も、受け入れられ日本風に姿を変えて広まっていったと思われます。
また、戦国時代には、多くの戦乱により負傷者が増えるのに伴い、漢方が普及していった側面もあるようです。
<室町時代の終わりに明に留学し当時の明の医学を持ち 帰った田代三喜>
http://www5f.biglobe.ne.jp/~yoshi3/ijin.htm
●江戸時代
~日本独自の医療として花開いた時代~
漢方は、経済的、技術的に発展した江戸時代において、日本独自の医療として、発展し花開いていきます。
またこの時代は、現在に繋がる漢方の諸流派が生まれ拡がった時代でもあります。
流派については、後ほど紹介します。
<江戸時代の町医の往診風景>
http://www.hum.ibaraki.ac.jp/mayanagi/paper04/shiryoukan/me103.html
●明治・大正・昭和時代
~西洋医療の導入に押され、医療としての中心的な地位を奪われた時代~
漢方は受難の時代を迎えます。
西洋の近代技術やそのベースとなる思想性まで含め、漢方を始め、古来から伝えられ利用されていたのものは、古臭い時代遅れのものとして下にみられる傾向にあったのでと思ます。表舞台から、姿を消した漢方は、民間医療に近い存在として、脈々と伝えられていった時代でもあります。
●現代
~西洋第一の価値観の行き詰まりから再び漢方への注目が集まりつつある時代~
前回のシリーズで扱ったように、万能と思われていた西洋医学や薬にも、副作用などの症状が現れたり、必ずしも万能えないということが分かってきました。それに伴い、再び漢方への注目、関心が高まってきています。この漢方のシリーズをはじめる、基底となる意識潮流です。
現代における漢方を取り巻く状況については、後日、別のエントリーで紹介いただければと思います。
■漢方の流派について
先ほど少し触れたように、現在の日本には、大きく分けると、「後世派」「古方派」「折衷派」という3つの漢方の流派があります。
「後世派」は室町時代の田代三喜以来、日本において初めて広く拡げられた漢方の流派で、理論的である「黄帝内経」を重視した流派です。江戸時代の初期に一斉を風靡しました。
江戸時代に新たに広まったのが「古方派」です。「古方派」は、大衆に広がっていくにつれて、理論・観念上を重視するよりも、現実にどう直すかという、実学的な側面を重視した流派です。実践的である「傷寒論」を重視しています。後発の「古方派」が当時の漢方界を席巻します。
「折衷派」は、この「古方派」が盛んになっていく反動として、両者を調整しその中間の成果を取り入れ発足した流派です。
さらには、上記の3つの派閥のほかに、中国で発展した中国医療を、現代においてあらためて日本に持ち込んだ「中医学派」があり、別の派閥として区分する場合もあるようです。また、現代は存在しない流派だと思いますが、江戸時代に蘭学からの影響を受け、漢方への取り込みを試みた「漢蘭折衷派」という流派もありました。
<各流派年表図>
http://www.yukon.co.jp/kiso/kiso-003.html
このように、駆け足で漢方の歴史及び大きな流派について紹介してきましたが、漢方の基本的な理論や概念等については、後のエントリーにゆだねることにします。
【参考文献】
詳細については、下記のHPを参照してください。
・中国医学の日本への伝播
http://www.yukon.co.jp/kiso/kiso-003.html
・日本伝統医学裏話
http://www.nexsite.net/html/column/column03.htm
・東洋医学の歴史
http://www.misagodo.com/kanpo/kekisi/index.html
・中国本草と日本の受容
http://www.hum.ibaraki.ac.jp/mayanagi/paper01/honzojuyo.html
・人と薬のあゆみ 年表
http://www.eisai.co.jp/museum/history/1000/index.html
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コメント6件
finalcut | 2009.04.11 20:18
三内丸山などの縄文遺跡において広葉樹のクリが構造材として使用されていたことが知られています。実際、木肌が緻密で堅いクリの木はたいへん優れた建材で、柱、土台、枕木などに現代でもまれに使われます。
しかし歴史時代に入ってから、スギ、ヒノキが全国ネットで植林されて来たのに対し、クリは食用として栽培されるにとどまっています。
なぜ、スギ、ヒノキが選ばれ、クリは切り捨てられたのか、気になります。
木の実のなる樹木だからでしょうか?
市場の要請によるものなのでしょうか?
Kz2022 | 2009.04.11 20:23
私が育った田舎はあまり戦災にもあわず、有名ではない神社やお寺がたくさん残っていました。(もちろん今もあるのですが)最近になって、たまたま本でみると、よじ登って遊んだ神社の建物のなかにも、数百年の歴史があるものが結構ありました。
それらの神社の柱や外壁の板などは、表面は灰色に風化しているのですが、中身はまだまだ丈夫なものでした。(何故わかったかはあえて言いませんが)
耐久性でいえば、木の建築はコンクリートよりも優れていると実感します。
yosiyosi | 2009.04.13 16:28
hihiさん コメントありがとうございます。
伊勢神宮の式年遷宮では20年毎に内宮・外宮の正殿など正宮・別宮の全ての社殿と鳥居を建て替え、御装束・神宝も造り替え神体を遷します。
遷宮においては、1万本以上のヒノキ材が用いられるそうですが、木造造りだからこそ、この様な大祭ができるのですね!
yosiyosi | 2009.04.13 17:04
finalcutさん こんにちは
クリの木は北海道南部、本州、四国、九州に分布します。重硬で強く、保存性が高いことから日本産材中では最高と言われています。建築に用いると非常に丈夫なものができ、今でもクリが多く生育している地方では、殆どの柱がクリでできている建物が見られるそうです。
建築(特に土台)、家具、器具、車輌、枕木、土台、橋梁、彫刻、漆器木地などに使われますが、切削などの加工が難しく、近年ではこれらを上手く加工する職人さんが減ってきている為、建築材としてあまり使われなくなってきているのだと思います。
yosiyosi | 2009.04.13 17:31
Kz2022さん コメントありがとうございます。
法隆寺は世界最古の木造建築物で1300年経過しています。木造の耐久性はコンクリート造とは比較にならない程、はるかに優れているのですね!
最近では、全国で学校等の教育施設を木造にする事例が増えています。また福祉施設、医療施設等でも内装材料には木を積極的に取り入れられています。
木のぬくもりや、やさしさと言った質感に加え、衝撃を吸収したり室内の温度や湿度を調整するなどの特性が再評価されている為です。木の香りがする建物は本当にすばらしいと思います。
hihi | 2009.04.11 20:00
うーん、今回は建築材料論でしたね。日本にとって木こそが建設材料ですね。木は再生可能ですから、本来は建設に一番適しているとも言えます。石を切り出して作ったヨーロッパの建築では、元の石山を再生出来ません。
20年に一度、建て替えを行う伊勢神宮の式年遷宮は、永続可能システムの典型ですよね。