2009-12-29

環境を考えるには構造認識が不可欠!『潮流1:共認原理と私権原理』

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「日本はエネルギー貧困国だ」と言われていますが、それは、“石油至上主義”に囚われているからです。
「新資源・新エネルギー」は、技術的には、すでに様々な開発が行われ、化石燃料に代わる技術的可能性はたくさんあります。
しかしながら、化石燃料との供給性・効率性・コスト性の比較を建前に、どれも実用化される見通しが見えてきません。もしくはとても可能性の見える技術があっても、それだけで次代のエネルギー・資源の答になっているのかといえば違和感が残ります。

Q.その原因はどこにあるのでしょうか?

それは、エネルギー・資源も含めた環境の問題を考えるとき、背後にある“市場”を前提にしたまま、“環境”という抽象観念の枠組みのみで思考する結果、視野が狭くなっているからではないでしょうか。
環境問題の根本的原因の分析(※歴史認識)、なんでこんな状況を招いたかの根本を置き去りにしては、本当の可能性の答になりません。
このことを誰もが潜在思念ではわかっているから、市場の枠組みのなかで目先的な技術論だけで答を紡いでも違和感が残るのです。

『次代を担う、エネルギー・資源』を模索することは、それはとりもなおさず、生産・消費を含めた私たちの生活様式の見直しにつながる『生産の構造を大転換させる』ことと同義です。
そしてそれは、『集団・社会の構造の大転換』を意味します。

とすれば、『次代を担う、エネルギー・資源』を模索し、具体的に可能性の実現を目指すためには、『市場の起源に遡った歴史的認識』が不可欠です。
そしてそのためには、人類・集団の起源にまで遡り、その原基構造を解明した『構造認識』が不可欠であり、それなくしては『次代を担う、エネルギー・資源』の実現の答に至りません。

そこで、当ブログの年末年始の記事は、特別企画として12/29~01/06の9日間(全9記事)にわたり、『るいネット』より、時代の意識潮流を分析した『潮流シリーズ』の記事を紹介し、
そのなかから『次代のエネルギー・資源の“パラダイム”』を考えて見たい。

(さらに…)