2009-12-31
環境を考えるには構造認識が不可欠!『潮流3:’70年、豊かさの実現と充足志向』
今年もいよいよ最後の日になりました。ご愛読して頂いている皆様、どうもありがとうございました。来年はいよいよこのブログも、新しい社会の具体的な制度創りにむけて動き出します。みんなの手による社会創りの一助になればと思います。どうぞよろしくお願いいたします。 😀
では、【潮流2:戦後日本の意識潮流】に引き続き、今日は貧困という生存圧力が弛緩した以降に現れた【潮流3:’70年、豊かさの実現と充足志向】を扱います。
画像はこちらからお借りしました。
日本において’70年代とは、時代の大きな転換点でした。’70年代という時代は、ほぼどの家庭にも3種の神器(テレビ・冷蔵庫・洗濯機)が普及し、また豊かさを牽引してきた科学技術の象徴として大阪万博が開催され、またアメリカ経済を終に日本が追い越した時代(ニクソンショック)であります。『金貸しは、国家を相手に金を貸す』のブログを参照。
それまでの時代は、貧困という生存圧力を主圧力とし、豊かになるために国家から企業、家庭、個人に至るまでみんな私権に収束していましたが、この’70年頃を境に、豊かさが実現され生存圧力が弛緩すると、私権への収束力は心底で急速に衰えていきます。
この生存圧力の弛緩という、生物史を通じていまだ経験したことのない出来事が、現在の環境問題を見るうえでも重要なポイントとなります。
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