2010-08-26

『次代を担う、エネルギー・資源』トリウム原子力発電15~原子力発電の推進体制を考える2・・・共認収束の潮流に逆行する原子力推進体制

『次代を担う、エネルギー・資源』トリウム原子力発電7~原子力発電の推進体制を考える1・・・日本の原子力推進体制

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具体的には、官僚機構・電力会社の自己増殖集団は、社会的に要請される理由を超えたところで、原子力開発そのものに価値があるという共認と、世論の圧力をうけず強力に事業推進できる体制を持ち合わせている、ということです。この結果、世論に対して強行に政策実現できる体制が、推進派と反対派の対立を作り出し、とその狭間で地域住民の存在基盤である共同体をことごとく破壊してきたというのが日本の原子力開発の大きな流れです。

トリウムを含めた原子力発電は、

『次代を担う、エネルギー・資源』トリウム原子力発電11 ~地球の物質循環から切り離された廃棄物の増量→蓄積の危機~

『次代を担う、エネルギー・資源』トリウム原子力発電13~サブガバメントモデルを支える電気料金の仕組み1/2

『次代を担う、エネルギー・資源』トリウム原子力発電14~サブガバメントモデルを支える電気料金の仕組み2/2

の記事から、

☆☆☆技術的問題

地球の物質循環から切り離された廃棄物の増量→蓄積の危機という根本的な問題があること。

☆☆☆体制的問題

電気料金に含まれる電源開発促進税等により原子力推進組織は自己中心的な自己増殖を行ってきたこと。

のように、原子力発電の問題点は固定されてきました。

そこで今回は、そのような原子力発電所開発が、建設場所の地域社会にどのような影響を与えてきたのか?について意識潮流の変化とあわせて見ていきたいと思います。ここに注目する理由は、みんなが充足する新たなエネルギー開発推進体制の構築していくために、現状の具体的問題点を探るためです。

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☆☆☆共認収束の潮流に逆行して、反対の多い原発が計画通りに実現されていく

潮流3:’70年、豊かさの実現と充足志向

また、生存圧力が衰弱し、物的充足が飽和状態に達した状況での新たな(=より大きな)充足可能性は、物的価値ではなく類的価値(人と人との間に生じる欠乏)の充足の中にしかない。そして、類的価値の充足とは、共認充足に他ならない。又、充足志向は安定志向を生み出すが、この安定も相手との共認や規範の共認etc人々の共認によって実現する。

従って、生存圧力を脱した人々が志向する充足・安定志向は、必然的に共認収束の大潮流を形成してゆく。それだけではない。生存圧力が弛緩したことによって私権圧力→私権欠乏も衰弱過程に入ってゆく。つまり、’70年、豊かさの実現(=貧困の消滅)をもって、人々の意識は私権収束から共認収束へと大転換を遂げたのである。

76年スリーマイル島原発事故、86年チェルノブイリ原発事故の影響で原発反対の世論が形成されてきました。その結果、新規原発開発は大きな逆風を受けることになります。この背後には、安定を旨とする共認収束の潮流があったことは間違いありません。しかしそれでも、ほぼ計画通りに原発は建設されていきます。なぜでしょうか?

☆農業漁業中心の経済停滞地域に集中する原発設置

80年代になると、原発が危険であることの認識は、程度の差はあれ日本全国に広まっていました。だから、原発受け入れに対して、最初から誘致賛成が多数であった地域はほとんどありません。また、地元の議会も含めたすべての人々が反対ならば原発は建設できません。しかし、議会の決定があれば、それを地域の意思として誘致可能になります。

つまり、いくら反対運動が強くて、国や電力会社が強引に原発誘致を決めたというイメージがあろうとも、地域内で賛成する人の『力』が反対する人のそれを上回っていなければ、原発建設は出来ないのです。にも拘らず、よく『反対を押し切って』という表現が使われますが、その解釈では事実を見誤ってしまいます。

ここで建設候補地となるのは、農漁村に集中しています。その表向きの理由は、地価が安く、大規模な土地取得が可能というものです。しかし、原発建設の可能性の高さという軸で見れば、都心への影響が少ないこと、人口が少なく経済的に停滞していて権力(≒金の力)で同意させやすいということのほうが大きいと思います。

☆物的豊かさと共認充足の綱引きの中で

’70年以降、共認収束の大潮流の中で、人々の意識は私権収束から共認収束へと大転換を遂げました。だから、危険で今までの共同体的共認を破壊する、上から押し付けられた原発建設は地域の人々から敬遠されるはずです。しかし、それに賛成する人々が増えていったことが原発実現につながったのも事実です。それななぜでしょうか?

真っ先に豊かさ実現したのは都会のほうで、地方、とくに農業・漁業中心の地域は、当時残っていた共同体の中での共認充足はあったものの、経済的には苦しい状況にありました。これは、農業や漁業は、エネルギーの安定供給と同じで、社会にとって不可欠であるにも拘わらず、市場原理には乗りにくい産業だからです。

かつ、市場原理色を強める国家政策によって、人々にとって重要な仕事に携わる彼らを、窮地に追い込むことになっていたのです。その結果、地域の人々の中には、都会と同じように物的に豊かになりたいという欠乏が芽生えていったのだと思います。このように、物的豊かさと共認充足の綱引き状態がはじまったのだと思います。

☆物的豊かさと引き換えに、共認充足を失っていく地域共同体

この状態から、最終的には受け入れ賛成までの、経緯は『原発列島日本を行く』に詳しく紹介されています。

具体的な方法は、立地選定の段階で電力会社が主体となって現地事務所を構え、何年もかけて地元工作を行います。まず、経済的に停滞した地域を交付金によって活性化しようとする首長や議員に根回しを行います。そこで、一部の賛成が得られると、漁業補償などを武器に地元住民を徐々に切り崩していきます。

そうするうちに、共同体的連帯から原発反対で団結していた人々が徐々に分断されていきます。自分たちの町は自分たちで創っていくという共同体的結びつきは、反対派と賛成派が色分けされ、議員も住民もだんだん引き裂かれ対立していくようになります。

こうなると、もともとあった共認充足は一気に失われます。すでに原発建設から何十年もたった地域で、当時のこと知る老人は『仲間同士が互いにいがみ合うようになり、住みにくい町になった』のようなことを、一番つらかった思い出として語っています。

そうなると、地元の結束は壊れます。そこでは、お金も含めた国家権力という大きな力を背景にしているということもあいまって、原発建設は容易に実現していったのです。つまり、膨大な交付金で地域共同体は物的豊かさを実現し、それと引き換えに共認充足を失ってきたのです。

☆共同体を崩壊させ、共認充足を遠ざける反対運動家

このような地元住民の共同体的連帯を引き裂く原因の一つは、官僚・電力会社連合ではありますが、もう一つの原因として、反対運動に加勢する運動家たちがいます。

共認革命6 チンケな運動(要求運動の終焉)

この悪循環の根は、古い運動(論)のパラダイムにある。´70年、貧困が消滅した途端に、思想は輝きを失い、無思想・無関心が蔓延していった。思想の終焉である。そして、思想の終焉と共に、運動は閉塞していった(ex.´70年以降の社・共の凋落は、誰の目にも明らか)。その原因が、豊かさ追求(貧困からの脱出)と、それを正当化した近代思想(自由・個人・人権)と、それに導かれた要求運動というパラダイム全体の終焉であることは明らかである。

これら運動家や集団も近代思想に基づいた要求というパラダイムにそった運動であったため、根本的な問題解決には無効であったということが、現在なら事実として認識できます。というのは、

環境問題の改革を進めるには、新しい社会統合機構が不可欠!8『官僚制の突破口は、「半専任・半事業⇒参勤交代制」』

これは、自分たちの権益を拡大するばかりの官僚も、消費の自由だけを要求しエネルギー供給に対する責任を官僚に押し付けるだけの大衆も、その双方とも問題を孕んでいるため、エネルギー・資源や環境問題を解決する当事者足りえないのです。

のように、近代思想に導かれた消費する自由は絶対という大衆の価値観は、エネルギーの安定供給という役割を、自ら担うことなく、官僚に押し付けるだけの構造にあります。この構造を代弁しているのが、同じ近代思想に導かれた運動家たちだからです。

そこでは、エネルギー供給の逼迫の原因である、自分たちの消費の問題には触れず、ただ要求しているだけの構造になります。つまり、反対する側も原因の一部を負っているにも拘らず、そこを含めた新しい社会のありかたを提起することをせず、ただ反対しているだけの状態になるのです。

このように、近代思想に立脚した要求するだけの反対運動は、その対立を止揚し新たな社会のあり方を提示できる理論も持ち合わせていなかったため、共同体を崩壊させ、共認充足を遠ざけてきたのです。

☆交付金依存症に陥る自治体と同一敷地での原発増設

『次代を担う、エネルギー・資源』トリウム原子力発電13~ サブガバメントモデルを支える電気料金の仕組み1/2

過疎化に悩む自治体にとって、20年間で総額893億円という交付金と固定資産税は大きな魅力となり、原子力発電所の立地が推進されることとなります。

しかし、運転開始後の固定資産税は設備の減価償却に伴い年々減少していくため、運転開始後十年、二十年とたつと自治体の収入が急激に減少していきます。

そうなると、地元は再び次の原発建設を誘致しないと税収を確保できなくなります。原発の集中立地が目立つ背景には、こうした交付金制度の存在があるとされます。

交付金や原発施設の固定資産税の額は、小さな自治体を運営していくには十分すぎるほどの額になります。その資金を利用して、贅沢な公共施設が整備され、一時的には物的には豊かになりました。しかし、交付金依存の自治体運営は、自ら生産して生きていく活力を衰弱させ、地域の産業を衰退をさせていくのです。

そして、交付金や固定資産税の額が激減する10年20年後には、財政難に陥り、自ら進んで次の原発誘致を申し入れるようになってきます。これが、’80年以降の新規原発の建設が、反対運動の大きな逆風の中でも、ほぼ計画通りに建設が推進されてきた理由です。


『「世界の原子力発電開発の動向 2006年次報告」編集発行 社団法人 日本原子力産業協会』より作成。
『2006年以降は計画値・基数のカウントは営業運転開始時期』


このグラフで②は、既存サイト(既存敷地)に増設した基数を表します。80年半ば以降のほとんどが既存サイトでの増設になっています、また、①-②は新規サイトでの建設ですが、80年半ばで減速・90年代でほぼなくなっています。つまり、80年半ば以降は新規の土地開発は行われておらず、交渉の簡単な既存敷地を再利用することで、原発基数を計画通り増やしているのです。

このようにして、膨大な交付金を得ることと引き換えに、人間にとって最も充足度の高い、自らの組織を自ら担うことによる充足を手放していったのです。

☆☆☆雇用創出という観念で矮小化される役割充足

推進側の理論として、原発建設は雇用促進につながるので地域貢献をしている、というものがあります。確かに、原発施設などでの雇用は増えますが、それらは、もともとの農漁村の共同体の中にあった役割充足とは大きく異なります。

つまり、新たな雇用は、自分たちで主体的に社会に関われるようなものではなく、秘密主義の大規模な原発関連会社の全業務から、ほんの一部の仕事が切り取られ、意味も解らず仕事をさせられる可能性が高いからです。

それは、単にお金をもらうだけの仕事で、地域の誰かの役に立っているなどの充足(=役割充足)はほとんど考えられません。このように、雇用創出という観念は、市場原理の則り、金銭を得られる機会の創出するという意味が強く、役割充足の問題を矮小化してしまうのです。

☆☆☆極度な管理社会は人々を役割充足から遠ざけていく

『原発がどんなものか知ってほしい』~ある現場技術者からの告発

素人が造る原発・原発でも、原子炉の中に針金が入っていたり、配管の中に道具や工具を入れたまま配管をつないでしまったり、いわゆる人が間違える事故、ヒューマンエラーがあまりにも多すぎます。それは現場にブロの職人が少なく、いくら設計が立派でも、設計通りには造られていないからです。

原発事故は絶えません。さまざまな安全性についての議論は、賛成派・反対派で意見が分かれるところですが、原発を運転する人間の能力の限界については、議論の余地が無いと思っています。それは、人間の能力を超えた運転管理が求められているからです。

そこでは、あまりにも複雑な運転対応が求められるため、マニュアルに沿って行動は管理されます。しかし、現実に起こる現象はは複雑すぎて予測がつかないため、マニュアルも起こりうる事象のほんの一部しか反映できていません。よって、現実の事故では、過去の事故事例がそうであるように、マニュアルには無い、複雑な事態に対処する必要に迫られます。

このように、マニュアル通りに正確に動くことを要請して、その人間がマニュアルに無い事象に対処しなければいけないという根本的な問題を孕んでいるのです。また、このようなマニュアル管理社会に適応していくためには、全体のことに疑義をはさむような思考は排除されます。そのような極度な管理社会は、人々を、全体にかかわることで得られる役割充足から遠ざけていくことになるのです。

☆☆☆共認収束の潮流に則ったエネルギー・資源の開発のために

このように、原発開発の事例を通して、『地球の物質循環から切り離された廃棄物の増量→蓄積の危機という根本的な技術問題』と同時に、共認収束の潮流に全く反するエネルギー開発推進が行われていることがわかりました。これは、

『次代を担う、エネルギー・資源』 プロローグ

次代のエネルギー・資源は、『共認充足』を得られる役割や場を、いかに構築していくかをセットで考えて行く必要があるが、

市場原理を脱却した、自然の摂理に則った新エネルギー・新資源の構築は、物的需要を越えたところに、新たな生産を創出し、活力のある集団と社会の再生に繋がり、共認充足を得る場を開く可能性を持っている。

でも触れられており、原発に限らず、すべてのエネルギー開発推進にかかわる重要な問題です。

エネルギー問題を議論するとき、よく『自然の摂理をに則ったエネルギーは?』といわれていますが、これらの多くは技術問題の偏った視点での問題提起になっており、『共認収束の潮流』などの、人々の意識はほとんど対象にしていません。

しかし、共認収束の潮流の乗り、かかわる人々の役割充足が得られる社会(エネルギーの開発や供給体制を含む)を考えていくことは、自然の摂理に含まれる人間集団の摂理に則った社会を実現するための根源的な課題なのです。

そのためには、シリーズ編の

環境問題の改革を進めるには、新しい社会統合機構が不可欠!8『官僚制の突破口は、「半専任・半事業⇒参勤交代制」』

を具体的に押し進めていくことが必要になります。また、人々の意識状況は、すでにそれを受け入れる状況へと大きく変化しています。このように、実現基盤はそろいつつあるのです。

今回で、『次代を担う、エネルギー・資源』トリウム原子力発電の追求テーマを終了します。今後数回で、今までの記事の要約を掲載します。

お楽しみに

List    投稿者 sinsin | 2010-08-26 | Posted in E03.トリウム原子力発電, F03.原子力発電ってどうなの?No Comments » 

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